第61回 SDE の読み方 ― ドリフト項と拡散項は何を言っているのか

第61回 SDE の読み方 ― ドリフト項と拡散項は何を言っているのか

位置: 第6部 第61回 / 前提: 第58回、第60回 / 数学編: M25 / この回でできるようになること: 確率微分方程式を読んで、ドリフト項と拡散項がそれぞれ価格の何を表すかを説明できる

目次

0. 物語 ― 刻みを小さくしても数値解がずれる

ここまでの道のりを振り返ります。ブラウン運動という、どこでも微分できない不思議な関数を手に入れました。微分ができないなら積分でいこう、ということで伊藤積分を定義しました。道具は揃いました。では、連続時間の金融モデルで中心的な役割を果たす「確率微分方程式」とは、いったい何を書いた式なのでしょうか。

式には2つの項が並んでいます。1つ目は時間の経過に比例する項で、「平均としてどちらに動くか」を決めています。2つ目はブラウン運動の揺れに比例する項で、「経路がどれだけ散らばるか」を決めています。前者をドリフト項、後者を拡散項と呼びます。この2つの役割を理解すれば、式が語っている内容を読み取れるようになります。

ところで、この式を数値的に解こうとした人が壁にぶつかりました。普通の微分方程式では、時間の刻みを4分の1にすれば計算誤差も4分の1に縮みます。確率微分方程式でも同じだろうと考えて、刻みを細かくしてみました。ところが、刻みを4分の1にしても誤差は半分にしかなりません。刻みの数を50本から2000本に増やして、計算量は40倍になったのに、誤差は0.75から0.12程度まで、およそ6分の1に減っただけです。

原因は、解に含まれるブラウン運動の標本路が微分できないことにあります。微分できる滑らかな関数とは根本的に振る舞いが違うため、刻みを小さくしたときの精度の上がり方も違うのです。この回では、式の中の各項が数学的に何を意味しているかを定理として示し、微分形の記号が実は積分の省略であることを証明します。

1. 動機 ― 式の形から何が読み取れるか

この回を読み終えると、確率微分方程式を読んで、ドリフト項と拡散項がそれぞれ価格の何を表すかを説明できます。

確率微分方程式(SDE)は、連続時間の金融モデルの基本言語です。しかし初めて見ると、何が書いてあるのかわかりにくいものです。

この式を見て、次の疑問が浮かびます。 とは何の微分なのか。 と はどんな量を表しているのか。そもそもこの式は「微分」なのか。

今回の目標は、この3つの疑問に正面から答えることです。 がドリフト係数と呼ばれる理由、 が拡散係数と呼ばれる理由を、条件付き期待値と分散から導きます。そして「微分形」という表記が実は「積分形」の省略であることを証明し、標本路が微分できないという第56回の結果と整合させます。

この記事で証明すること

  • THM-SDE-1 ドリフト係数は微小時間での増分の条件付き期待値の割合であり、拡散係数の二乗は増分の条件付き分散の割合です。
  • THM-SDE-2 係数がリプシッツ連続で線形増大条件を満たせば、強い解が一意に存在します。証明は引用にとどめます。
  • THM-SDE-3 微分形の表記は積分形の省略であり、標本路が微分可能であることを意味しません。

2. 設定と仮定 ― ドリフトと拡散に分ける

以下の仮定を置きます。

  • 係数の依存性: と は時間 と現在の値 だけに依存します。過去の経路には依存しません。
  • 係数の正則性: と は連続で、THM-SDE-2 のリプシッツ連続性と線形増大条件を満たします。THM-SDE-1 で「 が小さいとき係数がほぼ一定」とみなし、極限と期待値を入れ替えるのに使います。
  • 初期値: は与えられた定数です。
  • 強い解: 解は、与えられたブラウン運動 に対して標本路ごとに定まる強い解を指します。
  • 数値実験: オイラー・丸山法を使い、シードを固定します。

SDE の微分形と呼ばれる表記は次の通りです。

右辺の第1項 をドリフト項、第2項 を拡散項と呼びます。 をドリフト係数、 を拡散係数と呼びます。

この式の正確な意味は、後の定理 THM-SDE-3 で述べる積分形です。まず、 と が何を測っているのかを明らかにします。

この節のまとめ: SDE は に比例する確定的な項と に比例するランダムな項の和で書かれます。

3. 主張 ― 係数は平均と分散の割合である

定理 THM-SDE-1(係数の意味) が (1.1) の解であるとき、微小時間 に対して

である。

定理 THM-SDE-2(解の一意性の条件) 係数 と が次の2条件を満たすとする。

  1. リプシッツ連続: ある定数 が存在して、すべての に対し 。
  2. 線形増大条件: ある定数 が存在して、すべての に対し 。

このとき、(1.1) の強い解が一意に存在する。

THM-SDE-2 の証明はピカール反復による不動点定理の応用で、Oksendal(2003)の定理 5.2.1 に完全な証明があります。本記事では引用にとどめます。

定理 THM-SDE-3(積分形が本体) 微分形 (1.1) は、次の積分形の省略記法である。

第1の積分はルベーグ積分(標本路ごとの通常の積分)、第2の積分は第58回で定義した伊藤積分である。この表記は の標本路が微分可能であることを意味しない。

この節のまとめ: ドリフト係数は増分の条件付き期待値の速度、拡散係数の二乗は条件付き分散の速度です。解の存在と一意性にはリプシッツ連続性と線形増大条件が必要です。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 条件付き期待値と分散を計算する

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第25回「常微分方程式」へ。

THM-SDE-1 の証明

積分形 (1.2) から、時刻 から までの増分を書き出します。

期待値の計算。 (2.1) の両辺の条件付き期待値を取ります。第58回で示した通り、伊藤積分のマルチンゲール性から

です。伊藤積分は平均ゼロのマルチンゲールなので、確率的な項の寄与は期待値に現れません。したがって

が十分小さいとき、 は区間 上でほぼ に等しいので

で割って とすれば、第1の等式が得られます。

分散の計算。 条件付き分散は です。

を展開します。(2.1) を使うと

第1項は です。第3項(交差項)の期待値は、コーシー・シュワルツの不等式により です。第2項の期待値は、伊藤等長公式(第58回)により

伊藤等長公式は、確率的な積分の二乗の期待値を被積分関数の二乗の通常積分に変換する公式です。これにより確率積分の「大きさ」を測ることができます。

以上を合わせると

一方 ですから

で割って極限を取ると

∎

THM-SDE-3 の証明

(1.1) の , , は単独では意味を持ちません。(1.1) は「任意の に対して (1.2) が成り立つ」ことの省略記法として定義されます。

なぜ省略記法が必要かというと、拡散係数 が 0 にならない限り、 の標本路は微分可能にならないからです(第56回)。もし が存在するなら、(1.1) を で割って普通の微分方程式として読めますが、ブラウン運動の標本路が微分不可能である以上、 は存在しません。したがって も存在せず、(1.1) を「 の微分が に等しい」と読むことはできません。

(1.1) を正当化するのは、あくまで積分形 (1.2) です。右辺の第1項 は標本路ごとに通常のルベーグ積分として定義されます。 の連続性から被積分関数は可積分です。第2項 は第58回で構成した伊藤積分です。

微分形は記号として便利なので広く使われますが、「微分している」のではなく「積分の略記」であることを常に意識する必要があります。

∎

5. 反例 ― 微分形は微分ではない

CEX-SDE-1: 微分形をそのまま微分だと読む誤り

(1.1) を見て「 を で微分したもの」と読むと、 が存在することになります。しかし第56回で証明した通り、ブラウン運動 の標本路はほとんど確実にどこでも微分不可能です。 が存在しない以上、 である限り も存在しません。

微分形は積分形 (1.2) の省略であり、, , は個別に意味を持つ量ではなく、積分の中でセットとして使われる記号です。

CEX-SDE-2: 係数の条件を確認しなくてよい、という姿勢

THM-SDE-2 の線形増大条件を満たさない方程式では、解が有限時間で発散することがあります。

この方程式には拡散項がなく、常微分方程式 と同じです。厳密解は で、 で発散します。

ドリフト係数 は を任意の について満たす定数 が存在しないため、線形増大条件を破っています。

数値で確認します。 のオイラー法で計算すると、

厳密解 数値解
0.5 2.0 1.9972
0.8 5.0 4.9603
0.9 10.0 9.7775
0.95 20.0 18.8929

に近づくにつれ解が急激に増大し、有限時間で発散します。線形増大条件は「解が爆発しない」ことの保証であり、SDE を立てるたびに確認すべき条件です。

CEX-SDE-3: 数値解法は刻みを小さくすれば必ず正確、という理解

通常の微分方程式(ODE)のオイラー法では誤差が刻み幅 に比例して縮みます。しかし SDE のオイラー・丸山法では、強い意味の誤差が に比例します。

幾何ブラウン運動 (, , )で、刻みを変えたときの強い誤差を測定しました。

刻み数 強い誤差
50 0.02 0.7475
200 0.005 0.3754
1000 0.001 0.1706
2000 0.0005 0.1213

対数スケールでの傾きは 0.4921 であり、理論値 0.5 とよく一致します。刻みを 4 分の 1 にしても誤差は半分にしかなりません。ODE の感覚で「刻みを細かくすれば十分」と考えると、計算コストに見合わない精度しか得られません。

この節のまとめ: 微分形は記号の省略であり、標本路は微分不可能です。係数の条件を破ると有限時間発散が起き、数値解法の収束は と遅いことが確認できます。

6. 数値例 ― 係数を数値的に取り出す

THM-SDE-1 を数値で検証します。幾何ブラウン運動

で , , とします。

ドリフト係数と拡散係数の推定

として 100000 本の経路で増分 を生成し、平均と分散を計算します。

ドリフト係数の推定には統計的なばらつきが残りますが、拡散係数の二乗の推定は 901.6224 対 900.0 と良い一致を示します。分散の推定は期待値よりも安定していることがわかります。これは THM-SDE-1 の通り、 が分散の主要項であるのに対し、 は の信号を拾う必要があるためです。

オイラー・丸山法と厳密解の比較

幾何ブラウン運動の厳密解は

です。(1000 刻み)で 10000 本の経路をオイラー・丸山法で計算し、同じブラウン運動の実現を使った厳密解と比較します。

  • 厳密解の平均: 104.9847
  • オイラー・丸山法の平均: 104.9839
  • 強い誤差(パスごとの絶対誤差の平均): 0.1691

弱い意味(期待値の差)では 0.0008 と非常に小さい誤差ですが、強い意味(パスごとの誤差)では 0.1691 と、弱い誤差より桁違いに大きくなります。

この節のまとめ: 短い時間の増分の平均と分散からドリフト係数と拡散係数を数値的に取り出せることを確認しました。オイラー・丸山法は弱い意味では十分な精度ですが、強い意味では収束が遅くなります。

7. 次回へ ― 平均に引き戻される動き

今回の SDE では、ドリフト係数が正ならば平均として増加し、拡散係数が大きいほど経路が広がることを見ました。

次回(第62回)では、ドリフト係数が「現在の値が平均から離れるほど引き戻す力が強くなる」ような SDE を扱います。平均に回帰する動きは、金利や為替のモデルで中心的な役割を果たします。

次のマイルストーンまであと 16 本です。

よくある質問

dXやdWは何ですか

微小な変化を表す記号で、実際には積分の形が本体です。単独で意味を持つ量ではありません。

ドリフトが正なら必ず増えますか

平均としては増えますが、個々の経路は下がることもあります。

数値で解くときの注意はありますか

刻みを小さくしても誤差の縮みが遅いことです。精度が要るなら別の方法を使います。

参考文献

  1. Oksendal B.、Stochastic Differential Equations、第6版、Springer、2003年
  2. Kloeden P. E. and Platen E.、Numerical Solution of Stochastic Differential Equations、Springer、1992年

数値例は compute.py により乱数シード固定で検算済み。

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