第57回 二次変分 ― 微分できない代わりに残るもの

第57回 二次変分 ― 微分できない代わりに残るもの

位置: 第6部 第57回 / 前提: 第56回 / 数学編: M20, M21 / この回でできるようになること: 価格の経路から二次変分を計算し、それが実現ボラティリティとどう結びつくかを説明できる

目次

0. 物語 ― 一次変分は収束しない

「株価の動きの激しさを測りたいんですけど、変化の大きさをそのまま足していけばいいですよね」。ゼミの発表で、学生がそう提案しました。値動きの上がり下がりを絶対値にして足す、いわば「道のり」を測ろうというわけです。

先生は黙ってパソコンを開き、1秒間の株価の動きを模した経路を表示しました。時間を10等分して道のりを測ると、約4でした。100等分にすると約9になりました。1000等分では約26、1万等分では約80、10万等分にすると約253です。分割を細かくするたびに値はどんどん膨らんでいきます。

「おかしいですね。同じ経路を見ているのに、細かく見るほど道のりが長くなる」。学生は首をかしげました。

先生はもう一つの数字を見せました。同じ分割を使って、変化量を足すのではなく二乗してから足した値です。10等分では約2.1、100等分では約1.2、1000等分では約1.06、10万等分では約1.01。こちらは分割を細かくするほど「1」に近づいていきます。

「道のりは発散するのに、二乗の合計は安定するんですか」。学生は驚きました。

先生が答えます。「しかも、この収束先の1は偶然ではなく、ぴったり経過した時間そのものです。ランダムな経路は細かく見るほどギザギザしていて、道のりは際限なく伸びます。でも変化を二乗して足すと、ギザギザの度合いがちょうど時間に釣り合うように定まるんです」。

道のりが無限に発散するということは、滑らかな関数で使える道具がここでは通用しないということを意味します。しかし二乗和は時間という確かな値に収束します。この量を「二次変分」と呼びます。微分ができない経路であっても、二乗和を通じて「どれくらい暴れているか」を正確に取り出せる。それがこの回の主題です。

1. 動機 ― 微分できない経路から何を取り出せるか

この回を読み終えると、価格の経路から二次変分を計算し、それが実現ボラティリティとどう結びつくかを説明できます。

ブラウン運動の経路は連続ですが、どの点でも微分できません。微分ができないということは、「瞬間の変化率」という道具が使えないということです。解析学で最も頼りになる道具を失った状態です。

では、ブラウン運動の経路からは何も定量的な情報を取り出せないのでしょうか。実はひとつ、はっきりした量が取り出せます。それが二次変分です。

二次変分とは、経路の変化量を二乗して足し合わせたものです。普通の滑らかな関数でこれをやると、分割を細かくするにつれて 0 に潰れます。ところがブラウン運動では、分割をどれだけ細かくしても、二乗和は 0 にならず時間 そのものに収束します。この事実こそが、ブラウン運動に対する積分を普通の積分と同じようには定義できない根本的な理由です。

今回は、この収束を の意味で厳密に証明し、分散の評価を与え、滑らかな関数との対比で「なぜブラウン運動だけ二次変分が正なのか」を明確にします。

この記事で証明すること

  • THM-QV-1 区間 の等分割の刻みを 0 に送ると、ブラウン運動の増分の二乗和は に 収束します。
  • THM-QV-2 等分割のとき、二乗和の分散は に等しく、分割数 に反比例して 0 に近づきます。
  • THM-QV-3 連続微分可能な関数の二次変分は 0 です。二次変分が正であることはブラウン運動に固有の性質です。

2. 設定と仮定 ― 分割と二乗和

区間 の分割 を、 の形で定義します。分割の刻み幅を と書きます。

ブラウン運動 に対する二乗和(二次変分の近似)を次で定義します。

等分割の場合は なので、 として

と書けます。各 はブラウン運動の独立な増分で、 に従います。

の極限、つまり としたときの収束先を二次変分と呼び、 と書きます。

比較のために、一次変分(総変動)も定義しておきます。

滑らかな関数では一次変分は有限に留まりますが、ブラウン運動では分割を細かくすると一次変分は際限なく増大します。この対比が後で重要になります。

まとめると、二乗和 は分割ごとに定まる確率変数で、その極限が二次変分 です。

3. 主張 ― 二乗和は時間そのものに収束する

定理 THM-QV-1(二次変分の収束) の等分割 ()に対し、二乗和 を で定義する。このとき

すなわち である。

定理 THM-QV-2(分散の評価) 等分割のとき、

である。特に分散は分割数 に反比例して 0 に近づく。

定理 THM-QV-3(滑らかな関数の二次変分は 0) が連続微分可能であるとき、

である。二次変分が正であることはブラウン運動に固有の性質であり、連続であるだけでは起こらない。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 期待値と分散を直接計算する

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第20回「有界変動とリーマン・スティルチェス積分」、数学編 第21回「ブラウン運動で普通の積分ができない理由」へ。

THM-QV-2 の証明(分散の評価)

THM-QV-1 の証明に分散の値が必要なので、先に THM-QV-2 を示します。

等分割で とします。各増分 は独立で に従います。

期待値の計算。 の期待値を求めます。 なので

です。これはガウス分布の分散の定義そのものです。したがって

となります。二乗和の期待値はどの でもちょうど です。

分散の計算。 の分散を求めるには、各 の分散が必要です。 ですから は自由度 1 の 分布に従います。 の分散は 2 なので

です。ここで の分散が 2 であること(4次モーメントから計算できます)を使いました。

増分 は独立なので も独立です。独立な確率変数の和の分散は、分散の和に等しいので

が得られます。 で です。 ∎

THM-QV-1 の証明( 収束)

収束の定義は です。 を展開します。

右辺の第2項は、 より なので 0 です。第1項は より です。したがって

が成り立ちます。 は の意味で に収束します。

これが二次変分 の意味です。 ∎

THM-QV-3 の証明(滑らかな関数の二次変分は 0)

が 上で連続微分可能であるとします。平均値の定理により、各区間 にある が存在して

が成り立ちます。二乗和を評価します。

は 上で連続ですから、最大値 が存在します。これを使って上から押さえます。

右辺の和をさらに評価します。刻み幅の最大を と書くと、各 なので

ここで という分割の基本的な性質を使いました。 と を合わせると

となります。滑らかな関数の二次変分は 0 です。

ブラウン運動ではこの議論が破綻します。ブラウン運動の経路はどこでも微分できないため、平均値の定理 を適用できません。増分を の1次で押さえることができないのです。これが「微分できない粗さ」の正体であり、二次変分が正に残る理由です。 ∎

5. 反例 ― 滑らかな関数では 0 に潰れる

CEX-QV-1: 分割の取り方で値がばらつく

二次変分は 収束であって、特定の経路で各点収束するとは限りません。同じ経路に対して異なるランダム分割を適用すると、二乗和の値は試行ごとにばらつきます。

1000 点のランダム分割を 5 回試した結果は次の通りです()。

試行 二乗和
1
2
3
4
5

いずれも の近くにありますが、標本ごとにばらつきます。THM-QV-1 が保証しているのは「多くの経路にわたって平均二乗誤差が 0 に近づく」ことであって、「1本の経路で必ず に収束する」ことではありません。ほとんど確実な収束が保証されるのは、たとえば刻み幅の和 が有限になるように分割の列を細かくしていく場合(等分割を2倍ずつ細かくする列など)です。

CEX-QV-2: 滑らかな関数では二次変分が 0 になる

「二次変分が正なのは連続でないからだ」という誤解があります。ブラウン運動は連続ですから、これは間違いです。原因は連続性の欠如ではなく、微分可能でないこと(経路の粗さ) です。

(連続微分可能)の二次変分を計算すると、分割を細かくするにつれて 0 に潰れます。

分割数 の二乗和

を 10 倍にするたびに値が になっています。 で示したように で潰れることが数値でも確認できます。連続でも微分可能なら二次変分は 0 です。

CEX-QV-3: 一次変分は発散する

二次変分が に収束する一方、一次変分 は分割を細かくするほど大きくなります。

分割数 一次変分 比

一次変分は のオーダーで発散しています。比はおよそ に近づきます(半正規分布の期待値 に由来します)。

分割を無限に細かくすると一次変分は無限大に飛んでしまうのに対し、二乗和は にぴたりと落ち着く。これがブラウン運動の経路の根本的な特徴です。

まとめると、ブラウン運動は連続であるにもかかわらず二次変分が正であり、その原因は微分不可能な粗さです。一次変分は発散し、滑らかな関数では二次変分は 0 に潰れます。

6. 数値例 ― 分割数を10万まで増やす

でブラウン運動の 1 本の経路(シード 42)を取り、等分割の分割数 を から まで変えて二乗和を計算しました。

分割数 二乗和

が増えるにつれて は に近づいています。 では 2 倍以上ずれていますが、 では差が 程度です。

分散の検証。 10,000 本の経路で を繰り返し計算し、標本分散と理論値 を比較しました。

分割数 標本分散 理論値 比

比はいずれも 1 に近く、THM-QV-2 の が数値的にも確認できます。

まとめると、分割数を増やすほど二乗和は に収束し、そのばらつきは で減少します。

7. 次回へ ― 普通の積分が使えない理由

ブラウン運動の二次変分が であるという事実は、次の回で決定的な意味を持ちます。

普通のリーマン・スティルチェス積分は、被積分関数が連続で、積分する関数が有界変動であるときに定義されます。ところがブラウン運動の一次変分は発散する、つまり有界変動ではありません。このため、 を普通の積分として定義することはできません。

第58回では、二次変分が正であるという事実を出発点にして、ブラウン運動に対する積分(伊藤積分)を別の方法で構成します。

次のマイルストーンまであと 22 本です。

よくある質問

二次変分とは何ですか

変化量を二乗して足したものです。普通の関数では 0 ですが、ブラウン運動では時間そのものになります。

なぜ時間に一致するのですか

各増分の分散が時間差に等しいからです。二乗の期待値を足すと時間になります。

これが後で何の役に立つのですか

確率過程に微分の連鎖律を当てたときに、余分な項が出てくる理由そのものです。第59回で使います。

参考文献

  1. Karatzas I. and Shreve S. E.、Brownian Motion and Stochastic Calculus、第2版、Springer、1991年
  2. Shreve S. E.、Stochastic Calculus for Finance II ― Continuous-Time Models、Springer、2004年

数値例は compute.py により float 演算で計算し、乱数シード 42 で再現性を確保済み。

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