数学編 第21回 ブラウン運動で普通の積分ができない理由 ― 有界変動でないことの証明

数学編 第21回 ブラウン運動で普通の積分ができない理由 ― 有界変動でないことの証明

位置: 数学編 D群 第M21回 / 前提: M14(ルベーグ積分)、M20(有界変動とリーマン・スティルチェス積分) / 数学編: M21 / この回でできるようになること: ブラウン運動の経路では普通の積分が定義できない理由を、自分で証明できる

目次

0. 物語 ― 代表点で和の極限が変わる

ある大学院生が、ブラウン運動の経路を使って積分の数値計算に挑みました。区間を10万等分し、各小区間の左端の値を使って足し合わせると、答えはおよそ0.39になりました。ところが隣の席の同級生が、同じ経路を使いながら各小区間の中点の値で計算したところ、答えは0.90でした。同じデータ、同じ分割、同じ式なのに、小区間のどの点を使うかだけで答えが0.5も違います。

普通の関数の積分では、こんなことは起こりません。分割を十分に細かくすれば、左端を使っても中点を使っても、答えは同じ値に収束します。ところがブラウン運動の経路に対しては、分割をどれだけ細かくしても、左端と中点の差は0.5のまま縮まりません。

なぜこんなことが起きるのでしょうか。普通の積分が成り立つための条件に「積分する相手の関数が有界変動であること」があります。有界変動とは、大ざっぱに言えば「上がったり下がったりの合計の長さが有限である」ということです。滑らかな曲線ならこの条件を満たします。

ところがブラウン運動の経路は、どれだけ拡大しても細かい振動が消えません。上がったり下がったりの合計は、分割を細かくするほど増え続け、無限大に発散します。10万等分で測ると、合計の長さはおよそ253にもなります。こうした経路に対しては、普通の積分の前提が根本から崩れています。

この回では、ブラウン運動の経路が有界変動でないこと、そしてそのせいで普通の積分が定義できないことを証明します。

1. 動機 ― なぜ伊藤積分という別物が必要になるのか

この回を読み終えると、ブラウン運動の経路では普通の積分が定義できない理由を、自分で証明できます。

M20 で、リーマン・スティルチェス積分 が定義できるための十分条件を見ました。 が連続で が有界変動であれば、分割をどれだけ細かくしても和は一つの値に収束し、代表点の取り方にも依存しません。

ところが の役に (標準ブラウン運動の標本路)を入れると、この条件が壊れます。壊れるのは偶然ではなく、標本路が確率1で有界変動でないことが証明できるからです。さらに、有界変動でないだけでなく、代表点を変えると答えが変わることまで示します。これが「普通の積分では を定義できない」理由の全体像です。

今回の議論はすべて解析と確率の言葉で閉じます。積分をどう定義し直すかは本編58に譲り、ここでは「なぜ定義し直す必要があるのか」だけを、証明と数値で確認します。

この記事で証明すること

  • THM-BV-1 連続かつ有界変動な関数の二次変分は0です。
  • THM-BV-2 ブラウン運動の標本路は確率1で有界変動ではありません。
  • THM-BV-3 したがって を各標本路ごとのリーマン・スティルチェス積分として定義することはできません。

2. 設定と仮定 ― 総変動と二次変分を定義する

区間 の分割 を で表し、刻み幅を と書きます。

  • 総変動(一次変分): 関数 の 上の総変動は

です。上限はすべての有限分割にわたります。 のとき は有界変動であると言います。

  • 二次変分: 分割列 を固定し、 のとき

を(極限が存在すれば) の二次変分と呼びます。

ブラウン運動については、二進分割のように細分列を取ると、 がほとんど確実に成り立つことが知られています(本編57)。今回はこれを既知として使います。

一次変分が「増減の合計の長さ」であるのに対し、二次変分は「増分の二乗を足したもの」です。二乗なので、一回あたりの振れ幅が小さければ二次変分は潰れます。有界変動な関数ではまさにそうなることを、次の節で述べます。

3. 主張 ― 有界変動なら二次変分は0である

定理 THM-BV-1(有界変動な連続関数の二次変分は0) が 上で連続かつ有界変動ならば、任意の分割列 で を満たすものに対して

である。すなわち である。

定理 THM-BV-2(ブラウン運動の標本路は有界変動でない) 標準ブラウン運動 について、 である(既知)。THM-BV-1 の対偶より、 の標本路は確率1で 上有界変動でない。

定理 THM-BV-3(標本路ごとの積分が定義できない) を連続関数、 を標準ブラウン運動とする。 の標本路が有界変動でないため、リーマン・スティルチェス積分 は M20 の定理の仮定を満たさず、各 ごとの路ごとの積分として定義できない。

THM-BV-2 は THM-BV-1 の対偶です。もし標本路が有界変動であれば二次変分は0になるはずですが、実際には です。よって有界変動ではありません。THM-BV-3 はその直接の帰結で、リーマン・スティルチェス積分の存在定理の仮定が崩れることを述べています。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 一次変分で二乗和を押さえる

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第14回「ルベーグ積分」、数学編 第20回「有界変動とリーマン・スティルチェス積分」へ。

THM-BV-1 の証明

各分割 に対して、増分を と書きます。二次変分の和を上から押さえることが目標です。

ステップ1: 増分の最大値を取り出す。

の絶対値の最大値を

とおきます。各 は ですから、2つ目の を で置き換えると大きくなります。したがって

この不等式は、二乗の和を「最大振れ幅 一次変分の部分和」で押さえています。

ステップ2: 一次変分の部分和を総変動で押さえる。

分割 に沿った一次変分の部分和は、すべての分割にわたる上限である総変動以下です。

は有界変動なので です。これにより (4.1) と合わせて

右辺の は に依存しない有限の定数です。あとは を示せば、挟み撃ちで二次変分が0に収束します。

ステップ3: 連続性から を示す。

は閉区間 上で連続なので、一様連続です。すなわち、任意の に対して が存在し、 ならば が成り立ちます。

ですから、十分大きな で となります。このとき各区間の幅が 未満なので

がすべての で成り立ちます。したがって です。 は任意なので です。

ステップ4: 結論。

(4.3) より

挟み撃ちの原理から です。 ∎

証明のポイントは、一次変分が有限であるという仮定と、連続性から最大振れ幅が0に潰れるという事実を掛け合わせたことです。ブラウン運動では、一次変分が に発散するため、 であっても積 が0に潰れる保証がなくなります。

THM-BV-2 の証明

THM-BV-1 の対偶を取ります。対偶は「 ならば は連続でないか有界変動でない」です。

ブラウン運動の標本路は確率1で連続です。また がほとんど確実に成り立ちます(本編57で証明済み)。したがって であり、かつ連続です。対偶から、有界変動でないことが従います。

より正確に述べます。 とおくと です。任意の に対して、 は連続で ですから、THM-BV-1 の対偶より です。よって標本路は確率1で有界変動ではありません。 ∎

THM-BV-3 の証明

M20 で示したリーマン・スティルチェス積分の存在定理は、 が連続で が有界変動であれば が存在することを保証するものでした。

THM-BV-2 より、 の標本路は確率1で有界変動ではありません。したがって、 を固定して とおくと、この は有界変動ではないので、M20 の存在定理の仮定を満たしません。

実際に何が起きるかをもう少し詳しく見ます。有界変動でない関数をリーマン・スティルチェス和の積分する相手( の )に使うと、分割を細かくしても和が収束しないだけでなく、代表点の取り方で異なる値に近づくことが起こりえます。これは反例 CEX-BV-3 で数値的に確認します。

したがって、 を各 ごとのリーマン・スティルチェス積分として定義することはできません。 ∎

5. 反例 ― 有界変動でないだけでは足りない

CEX-BV-1: 有界変動でなくても二次変分が0になる関数

「有界変動でなければ二次変分が正になる」と思いたくなりますが、これは誤りです。()は 上連続ですが有界変動ではありません。 の近くで振動が激しくなり、一次変分は分割を細かくするほど増加します。

しかし二次変分を計算すると、0に収束します。数値例(第6節)で確認しますが、 の分割で一次変分は に達する一方、二次変分は まで潰れます。

なぜでしょうか。THM-BV-1 の証明を振り返ると、核心は (4.3) の不等式

でした。有界変動でない場合、 なのでこの評価は使えません。しかし は連続なので は成り立ちます。一次変分は発散しますがその速度が遅く(対数的)、 の減少の方が速いため、結果として二次変分は0に潰れるのです。

ブラウン運動との違いは明確です。ブラウン運動では一次変分が に比例して発散し、これが の減少速度を打ち消して、二次変分が正の値 に残ります。有界変動でないことは必要条件ですが、それだけでは不十分で、二次変分が正であることが本質です。

CEX-BV-2: 有界変動な関数では二次変分が潰れることの確認

逆の方向を確認します。 は 上で単調増加なので有界変動です。実際 です。

分割を細かくしたとき:

  • 一次変分は常に です(単調関数では分割によらず に等しい)。
  • 二次変分は を増やすと0に収束します( で )。

これは THM-BV-1 の具体例です。 が滑らかで総変動が有限なので、 がきれいに効きます。ブラウン運動とは対照的に、滑らかな曲線の二次変分は消えてしまいます。

CEX-BV-3: 代表点の取り方で答えが変わる

有界変動でないことの実害を見ます。 をリーマン・スティルチェス和で近似するとき、代表点を左端と中点で取ったときの差を計算します。

左端和:

中点和:

中点和はテレスコーピング( の形)によって、 に依存しない恒等式

になります。左端和は

と展開でき、右辺の和は二次変分 に収束するので

したがって差は

のとき、差は に収束します。数値例では で差が となり、理論値 にほぼ一致します。

リーマン・スティルチェス積分が一意に定まるなら、代表点をどう取っても同じ値に収束するはずです。ところが左端と中点で だけ異なる値に収束する。これは積分が一意に定まらないことの直接的な証拠であり、M20 の意味での路ごとの積分が定義できないことを裏付けています。

6. 数値例 ― 一次変分の発散と二次変分の収束を並べる

乱数のシードを42に固定し、 のブラウン運動を1本生成します。 です。

ブラウン運動の一次変分と二次変分

分割数 一次変分 二次変分
10 3.9031 2.0617 1.2343
100 8.6142 1.1785 0.8614
1,000 25.8727 1.0626 0.8182
10,000 80.4038 1.0098 0.8040
100,000 252.789 1.0074 0.7994

一次変分は が10倍になるたびにおよそ 倍に増えており、 に比例して発散しています。 はおおむね 前後に安定します。一方、二次変分は に向かって収束します。

一次変分が無限大に発散するので、THM-BV-2 の主張(有界変動でない)が数値的にも確認できます。同時に二次変分は正の有限値に留まるので、THM-BV-1 の対偶が効いています。

有界変動な関数との対比: f(t) = t^2

分割数 一次変分 二次変分
10 1.0 0.133
100 1.0 0.013333
1,000 1.0 0.00133333
10,000 1.0 0.00013333
100,000 1.0 0.0000133

一次変分は分割に依存せず で一定です。単調関数なので総変動は に等しいためです。二次変分は が10倍になるごとに に減り、0に収束します。THM-BV-1 の通りです。

有界変動でないが二次変分が0になる関数: f(t) = t sin(1/t)

分割数 一次変分 二次変分
10 1.225 0.2116
100 2.1162 0.0929
1,000 2.6895 0.0253
10,000 3.4651 0.0081
100,000 4.1943 0.0026

一次変分は緩やかに増加しています(有界変動でない)。しかし二次変分は0に向かって収束しています。CEX-BV-1 で述べたように、有界変動でないことは二次変分が正であることの十分条件ではありません。

左端和と中点和の比較

分割数 左端和 中点和 差
10 0.8959 1.0309
100 0.3066 0.8959 0.5892
1,000 0.3646 0.8959 0.5313
10,000 0.391 0.8959 0.5049
100,000 0.3922 0.8959 0.5037

中点和は で に依存しません(テレスコーピング恒等式)。左端和は に収束します。差は に向かっており、 で です。

代表点の取り方を変えただけで、極限値が だけずれます。リーマン・スティルチェス積分として定義できないことが、この数値で見えます。

7. 次回へ ― L^2 の極限として積分を定義し直す

各標本路ごとにリーマン・スティルチェス積分を定義しようとすると、標本路が有界変動でないために和が収束しない、あるいは代表点の取り方で答えが変わる、という問題に突き当たりました。

本編58では、この問題を迂回する方法を取ります。路ごとの積分をあきらめ、 の極限として積分を定義し直します。代表点は左端に固定し、和の ごとの収束ではなく でのノルム収束を要求します。こうして得られるものが です。

数学編の次回は M22 でマルチンゲールの理論に進みます。

よくある質問

有界変動でないと何が困るのですか

普通の積分は、積分する相手の増減の合計が有限であることを前提にしています。それが無限だと和が定まりません。

連続なのに長さが無限というのは想像しにくいのですが

拡大しても細かい振動が消えない曲線だと起こります。ブラウン運動はどこまで拡大しても同じように震えています。

代表点の取り方で答えが変わるのは不便ではありませんか

そのため左端を取ると決めます。それが伊藤積分で、決め方を変えると別の積分になります。

参考文献

  • Karatzas I. and Shreve S. E.、Brownian Motion and Stochastic Calculus、第2版、Springer、1991年
  • Revuz D. and Yor M.、Continuous Martingales and Brownian Motion、第3版、Springer、1999年
  • Protter P. E.、Stochastic Integration and Differential Equations、第2版、Springer、2004年

数値例は compute.py により乱数シード42で計算済み(NumPy)。

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