第66回 ファインマン・カッツの公式 ― 期待値と偏微分方程式を結ぶ橋

位置: 第6部 第66回 / 前提: 第59回、第61回 / 数学編: M26、M27 / この回でできるようになること: オプション価格を期待値の計算と偏微分方程式の解の両方から求め、一致を確かめることができる
0. 物語 ― 終端条件と初期条件を取り違える
オプションの価格を求めるとき、方程式を解く方法と、ランダムな動きの平均を取る方法の2つがあることをご存知でしょうか。どちらで計算しても同じ答えが出ます。では、なぜ同じになるのか、考えたことはありますか。
実は、この一致には「時間の向き」という見落としやすい条件が隠れています。
具体的な例で見てみます。ある量が時刻ゼロに1の位置から出発して、ランダムに動きます。1秒後にその量の二乗を受け取る約束です。正しいやり方は、1秒後の「二乗を受け取る」という約束を出発点にして、時間をさかのぼって今の価値を求めることです。このとき答えは2になります。
ところが、ここで向きを間違える人がいます。「二乗」を今この瞬間の条件だと思い込み、時間を前向きに走らせてしまうのです。すると1秒後の値はやはり2になりますが、1秒後に受け取るはずの約束の値は1です。2と1は一致しません。
この食い違いの原因は単純です。方程式と平均が同じ答えを出すための橋は、「未来の約束から過去へさかのぼる」という向きで架かっています。向きを逆にすると橋の両端がずれて、2つの道がつながらなくなります。
今回扱うファインマン・カッツの公式は、まさにこの橋そのものです。方程式を解く道と平均を取る道が、なぜ、どんな条件のもとで同じ答えを返すのか。その仕組みを、時間の向きを間違えたときに何が壊れるかも含めて、証明の全体を追いかけます。
1. 動機 ― 2つの道具が同じ答えを出すのはなぜか
この回を読み終えると、オプション価格を期待値の計算と偏微分方程式の解の両方から求め、一致を確かめることができます。
第59回で伊藤の補題を学び、第61回で確率微分方程式の基礎を見ました。今回はこの2つの道具を使って、偏微分方程式の解がなぜ期待値として書けるのかを証明します。これがファインマン・カッツの公式です。
2つの道が同じ答えを出す理由は、伊藤の補題がちょうどその橋を架けるからです。ある関数に伊藤の補題を当てると偏微分方程式が出て、逆に期待値を取るとマルチンゲールの性質が使えます。今回はこの仕組みを、証明の各段階を飛ばさずに追いかけます。
この記事で証明すること
- THM-FK-1 ある偏微分方程式の解は、対応する確率過程に沿った終端条件の条件付き期待値として表せます。逆に、その期待値は偏微分方程式を満たします。
- THM-FK-2 方程式に定数の割引項が加わると、期待値の側には割引因子
が現れます。 - THM-FK-3 この公式により、偏微分方程式を解く道筋と期待値を計算する道筋が同じ答えを与えることが分かります。
2. 設定と仮定 ― 偏微分方程式と確率過程を並べる
証明に入る前に、登場する道具を全て並べます。
- 時刻
、空間変数 。 - 係数
と は十分滑らかで、対応する確率微分方程式の解の存在と一意性は仮定します。 - 終端条件
は与えられた関数です。 - 技術的な可積分条件は満たされているものとします。
- 数値実験では乱数のシードを固定します。
確率過程の側では、次の確率微分方程式を考えます。
ここで
偏微分方程式の側では、次の方程式を考えます。
終端条件
(1.1) の過程と (1.2) の方程式を見比べてください。
割引項つきの場合は、方程式が次のように変わります。
終端条件は同じく
この節の要点は、確率過程 (1.1) と偏微分方程式 (1.2)(および (1.3))が同じ係数
3. 主張 ― 解は期待値として書ける
定理 THM-FK-1(ファインマン・カッツの公式)
が偏微分方程式 (1.2) の終端条件 つきの十分滑らかな解であるとする。このとき が成り立つ。ここで
は確率微分方程式 (1.1) の解である。逆に、右辺の期待値を と定義し、それが十分滑らか( 級)で ならば、 は (1.2) を満たす。
定理 THM-FK-2(割引項の扱い)
が割引項つきの偏微分方程式 (1.3) の終端条件 つきの解であるとする。このとき
定理 THM-FK-3(2通りの導出の同値性) THM-FK-1 により、(1.2) を偏微分方程式として解いた
と、(1.1) に沿って期待値を計算した結果は一致する。したがって、偏微分方程式を解く道筋と期待値を計算する道筋は同じ答えを与える。
3つの定理は、2つの道具がなぜ同じ答えを出すのかを、段階を追って述べたものです。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 解に伊藤の補題を当てる
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第26回「偏微分方程式入門」、数学編 第27回「境界条件と終端条件」へ。
THM-FK-1 の証明(PDE の解 → 期待値表現)
伊藤の補題により、
右辺はブラウン運動
右辺は伊藤積分です。可積分条件のもとで、伊藤積分の期待値はゼロになります。これは伊藤積分がマルチンゲールであることの直接の帰結です(M27 参照)。両辺の条件付き期待値を取ると
左辺の第2項は
これが (2.1) です。
THM-FK-1 の証明(期待値 → PDE の解)
逆向きを示します。
したがって
が繰り返し期待値の性質から成り立つからです。
が成り立ちます。これは (1.2) そのものです。 ∎
証明の要点をまとめます。PDE の解に伊藤の補題を当てると、PDE を満たすおかげで
THM-FK-2 の証明
割引項つきの方程式 (1.3) を扱います。鍵となるのは、割引因子を含む新しい関数を作ることです。
THM-FK-1 と同じ構造です。
左辺は
これが (2.2) です。割引項が方程式に入ると、期待値の側に割引因子
THM-FK-3 の証明
THM-FK-1 は双方向の対応を証明しました。すなわち:
- (1.2) の解
は、(1.1) に沿った期待値 に等しい。 - 逆に、その期待値を
と定義すれば (1.2) を満たす。
したがって、偏微分方程式を解いて得た
割引項がある場合も同様で、THM-FK-2 により (1.3) の解と割引付き期待値 (2.2) が一致します。
この同値性こそが「ファインマン・カッツの橋」と呼ばれるものです。実用上は、方程式が解きやすいか期待値が計算しやすいかで、都合の良い方を選べます。 ∎
5. 反例 ― 向きを間違えると一致しない
CEX-FK-1: 二階の項の係数が負の場合
「どんな偏微分方程式にも確率的な表現がある」と思うのは誤りです。ファインマン・カッツの公式が使えるのは、(1.2) の
もし二階の項の係数が負、たとえば
となります。これは「逆向きの熱方程式」です。対応する確率微分方程式を作ろうとすると
方程式そのものは書けますが、確率過程の側の道が存在しないため、ファインマン・カッツの橋は架かりません。
CEX-FK-2: 時間の向きを逆にすると一致しない
ファインマン・カッツの公式は終端条件を持つ後退型の方程式に対するものです。時間の向きを間違えると答えが合わなくなります。
具体的に見ます。
正しい使い方(後退型): 終端条件
誤った使い方(前向き):
しかしこれは終端条件
初期条件を
CEX-FK-3: モンテカルロが常に有利とは限らない
ファインマン・カッツの公式は「期待値として計算できる」ことを保証しますが、モンテカルロ法が常に効率的とは限りません。
1次元の熱方程式(
差分法: 空間分割
モンテカルロ法:
差分法は 40000 演算で厳密解にほぼ一致する一方、モンテカルロ法は 100000 パスを使っても誤差が残ります。次元が低いときは格子を使う差分法のほうが効率的です。
ただし次元が上がると差分法の格子点数は指数的に増えるため、多次元の問題ではモンテカルロ法が有利になります。この使い分けがファインマン・カッツの公式の実用的な意義です。
この節の要点は、公式の成立には条件があること、そして計算手法の選択は問題の性質に依存することです。
6. 数値例 ― 熱方程式を2通りで解く
ファインマン・カッツの公式を、具体的な数値で検証します。
設定:
割引なしの場合
厳密解は
モンテカルロ法で
| 標本数 |
モンテカルロ推定値 | 誤差 |
|---|---|---|
| 100 | 1.499183 | 0.500817 |
| 1,000 | 1.964063 | 0.035937 |
| 10,000 | 2.004244 | 0.004244 |
| 100,000 | 1.998646 | 0.001354 |
| 1,000,000 | 2.001369 | 0.001369 |
個々の誤差は乱数に左右されるので、表の値は規則正しくは縮みません。誤差の目安である標準誤差は
割引項つきの場合
割引率
モンテカルロ法で
| 標本数 |
モンテカルロ推定値 | 誤差 |
|---|---|---|
| 100 | 1.875413 | 0.027046 |
| 1,000 | 1.983586 | 0.081127 |
| 10,000 | 1.899218 | 0.003240 |
| 100,000 | 1.902620 | 0.000161 |
| 1,000,000 | 1.902364 | 0.000095 |
割引因子をつけても、標本数を増やせば厳密解
差分法との比較
1次元問題で差分法(空間 200 分割、時間 200 分割)を使うと、40000 演算で誤差
低次元では差分法が圧倒的に効率的です。ファインマン・カッツの公式は「期待値で書ける」という理論的な保証を与えますが、実際にどちらの道で計算するかは問題の次元で決まります。
この節の要点は、ファインマン・カッツの公式が数値的にも成り立つこと、そして次元に応じた計算手法の選択が重要であることです。
7. 次回へ ― ブラック・ショールズの仮定を並べる
ファインマン・カッツの公式は、偏微分方程式と期待値が同じ答えを出す理由を明らかにしました。次回(第67回)からは第7部に入り、この橋を実際に渡ります。具体的には、ブラック・ショールズ・モデルの仮定を全部並べるところから始めます。
この節の要点は、次回から始まるブラック・ショールズの議論で、ファインマン・カッツの公式が中心的な役割を果たすことです。
次のマイルストーンまであと 11 本です。
よくある質問
なぜ期待値が方程式を解くのですか
伊藤の補題で期待値を微分すると、ちょうどその方程式が現れるからです。
どちらで解くのが良いのですか
次元が低いなら方程式、高いなら期待値のほうが有利です。
この公式はどこで使いますか
ブラック・ショールズ式を2通りで導くときです。第68回と第69回で両方やります。
参考文献
- Karatzas I. and Shreve S. E.、Brownian Motion and Stochastic Calculus、第2版、Springer、1991年
- Shreve S. E.、Stochastic Calculus for Finance II ― Continuous-Time Models、Springer、2004年
数値例は compute.py によりモンテカルロ法(シード固定)で計算済み。

