数学編 第27回 境界条件と終端条件 ― ペイオフは終端条件である

数学編 第27回 境界条件と終端条件 ― ペイオフは終端条件である

位置: 数学編 第E部 M27 / 前提: M26 / 数学編: なし / この回でできるようになること: オプション価格の偏微分方程式に、正しい終端条件と境界条件を置くことができる

目次

0. 物語 ― 時間の向きの取り違え

「おかしいな、さっきまでちゃんと動いていたのに」

研究室のパソコンの前で、院生の一人がつぶやきました。オプション価格を偏微分方程式で計算するプログラムを書いているところです。隣の席の友人が画面をのぞき込みます。

「どうした」

「コールオプションの値段を出したいんだけど、答えが230億になる。株価が100円のコールが230億円になるはずがない」

友人は方程式とプログラムを見比べて、すぐに気づきました。

「これ、時間の向きが逆だよ。ペイオフは満期のときに決まる条件なのに、最初の条件として入れてるだろう。満期から現在に向かって解かないといけないのに、現在から未来に向かって進めてる」

「向きを変えるだけで直るの」

「直る。残存時間という変数を使えば、満期の条件が出発点になって、そこから安定に前に進められる。正しくやれば、答えは10円くらいになるはずだ」

変数を入れ替えてプログラムを直すと、値は約10円で安定しました。

この話のポイントは、偏微分方程式だけでは答えが決まらないということです。「いつ」の値が分かっているのか、「どこ」の端でどう振る舞うのか。この情報を正しく与えて初めて、意味のある答えが一つに定まります。オプションの場合、分かっているのは満期のペイオフです。これが終端条件です。終端条件を間違った向きで使うと、わずか37ステップで計算が崩壊します。そして原資産価格の端での振る舞いを決めるのが境界条件です。条件を正しく置くことが、方程式を解くための最初の一歩です。

1. 動機 ― 方程式だけでは解が決まらない

この回を読み終えると、オプション価格の偏微分方程式に、正しい終端条件と境界条件を置くことができます。

偏微分方程式には、方程式そのものに加えて「どこで」「いつ」の値を与えるかという情報が要ります。この情報がなければ、方程式を満たす関数は無数にあり、1つに定まりません。

オプション価格の方程式では、満期のペイオフが終端条件に当たります。そして原資産価格が極端に大きい・小さいときの振る舞いが境界条件です。この2つを正しく与えなければ、意味のある解は得られません。

今回は、終端条件を残存時間の初期条件に読み替える変数変換と、境界条件の役割を数値実験で確認します。

この記事で証明すること

  • THM-M27-1 残存時間 に変数を変えると、終端条件を持つ後ろ向き方程式が初期条件を持つ前向き方程式になります。
  • THM-M27-2 有界な領域で解を一意に定めるには、各境界での値の条件が必要です。
  • THM-M27-3 無限領域では、遠方での増大の仕方を指定することで解が定まります。

2. 設定と仮定 ― 時間の向きと空間の端

以下の前提で考えます。

  • 空間は1次元で、原資産価格 を変数とします。
  • 終端条件として、コールオプションのペイオフ を使います。
  • 数値例では格子上で有限差分法を使い、境界の置き方を変えて比較します。
  • 方程式は次の形に限ります。

ここで はコール価格、 は金利、 はボラティリティです。この方程式は が から へ進む向きに書かれていますが、条件が与えられるのは (満期)です。

これが「後ろ向き」と呼ばれる理由です。条件は未来にあるのに、解きたいのは現在の値です。

3. 主張 ― ペイオフは満期の条件である

定理 THM-M27-1(後ろ向き方程式) 残存時間 に変数を変えると、

となる。これは について前向きの拡散方程式であり、 で初期条件 を持つ。

定理 THM-M27-2(境界条件の役割) 有界な領域 で解を一意に定めるには、 と の各境界で値を指定する必要がある。境界条件が異なれば解も異なる。

定理 THM-M27-3(遠方での漸近条件) 無限領域 では、 での増大の仕方を指定することで解が定まる。コールの場合、()である。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 残存時間に変数を変える

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第26回「偏微分方程式入門」へ。

THM-M27-1 の証明

元の方程式を再掲します。

とおきます。 を と の関数とみなし直します。連鎖律から

は と逆向きに動くので、微分に負号が付きます。これを (4.1) に代入すると

移項して整理します。

(4.2)

になります。 が から へ進むにつれ、拡散によって初期のペイオフが「滑らかに」なっていきます。この滑らかさが、現在のオプション価格が将来の不確実性を反映している様子を表しています。

操作は の代入だけで、方程式の構造は変わっていません。しかし「未来の条件から現在を求める」という後ろ向きの問題が、「初期条件から前に進む」という標準的な形に変わりました。数値計算では、この前向きの形(4.2)を から出発して解きます。 ∎

THM-M27-2 の証明

有界な領域 で (4.2) を解きます。 では方程式の の項が消えるので、 が自然な境界条件です(コールは原資産価格 0 では無価値)。

では境界条件の選び方が複数あり得ます。

  • 正しい条件: 。遠方では という漸近式に基づきます。
  • 誤った条件: 。

両者の解は一般に異なります。有限差分法で計算すると、 が に近いほど差が顕著です。

解の一意性は、偏微分方程式の最大値原理から従います。(4.2) の右辺は楕円型作用素( で )なので、初期条件と境界条件が与えられれば、最大値原理により解はただ1つに定まります。逆に、境界で値を指定しなければ、異なる境界値を持つ複数の解が存在し、一意性が失われます。 ∎

THM-M27-3 の根拠

無限領域 では、 の代わりに での振る舞いを指定します。

コールの場合、 が十分大きいとき、行使されることがほぼ確実なので です。この漸近条件は、 の増大が の1次以下であることを要求します。増大が速すぎる解(たとえば のオーダーで増える解)を排除することで、物理的に意味のある解が1つに定まります。

数値計算で有界な領域を使う場合は、 を十分大きく取り、 での境界条件を漸近式で置き換えます。 が十分大きければ、境界条件の近似誤差は内部の計算点にほとんど影響しません。 ∎

5. 反例 ― 境界を間違えると価格がずれる

CEX-M27-1: 時間の向きを取り違える

元の方程式 (4.1) の終端条件を初期条件と読み替え、 から に向かって前向きに解いてみます。これは (4.2) の符号を反転した

を解くことに相当します。右辺の拡散項の符号が負になっているので、後退拡散になります。

後退拡散は本質的に不安定です。格子上の小さな誤差が増幅され、解は爆発的に発散します。数値実験では、37ステップで値が に達し、計算が破綻しました。

時間の向きの取り違えは、物理的には「ペイオフを与えてからそれを未来に拡散させる」という操作です。正しくは「ペイオフから現在に向かって逆拡散する」のですが、残存時間 を導入すれば前向きの拡散として安定に解けます。

CEX-M27-2: 境界条件を与えないと一意でない

の狭い領域で、境界条件を正しく与えた場合と とした場合を比較します。

正しい BC 誤った BC() BS 公式 差
80 1.8586 1.7286 1.8594 0.1300
90 5.0890 4.3298 5.0912 0.7591
100 10.4478 7.6173 10.4506 2.8305
110 17.6602 10.0917 17.6630 7.5685
120 26.1646 10.3970 26.1690 15.7676

では差が 15.77 にもなります。遠方の境界に 0 を置くと、コール価格を系統的に低く見積もります。これは当然です。コールの価格は が大きいとき に近づくのに、強制的に 0 にしているからです。

CEX-M27-3: 遠方の境界を十分遠くに置けば影響は消える

の広い領域では、境界条件の影響はほとんど内部に届きません。

正しい BC 誤った BC() 差
80 1.8586 1.8586 0.0000
90 5.0890 5.0890 0.0000
100 10.4479 10.4479 0.0000
110 17.6609 17.6607 0.0002
120 26.1679 26.1661 0.0018

を の3倍に取れば、 付近での差はほぼゼロです。実務では を十分大きく取ることで、境界条件の選択に対する感度を下げます。

6. 数値例 ― 境界の置き方で価格を比べる

, , , で計算した結果をまとめます。

陰的有限差分法(空間の分割数 300、時間の分割数 5,000)で のコール価格を求めると 10.4479 です。BS 公式の厳密値 10.4506 との差 0.0027 は格子による離散化誤差です。

核心は次の2点です。

  1. 時間の向きを間違えると解が発散します。 残存時間 に変換することで、後ろ向き方程式を安定な前向き方程式に変えられます。
  2. 境界条件を間違えると価格が系統的にずれます。 領域を十分広く取るか、漸近式に基づく正しい条件を与える必要があります。

7. 次回へ ― 熱方程式に帰着する

今回は、オプション価格の方程式における終端条件と境界条件の役割を確認しました。残存時間への変数変換が計算の出発点であり、境界条件が解の一意性を保証します。

次回 M28 では、さらに変数変換を進め、この方程式を熱方程式に帰着させます。熱方程式は解の表示が知られているため、解析的な結果が得られます。

よくある質問

なぜ終端条件なのですか

オプションで確定しているのは満期のペイオフだけだからです。そこから現在に向かって解きます。

境界条件はどう決めるのですか

原資産が極端に大きいときや小さいときに価格がどう振る舞うかから決めます。

時間の向きを間違えるとどうなりますか

方程式が不安定になり、意味のない解になります。

参考文献

  1. Wilmott P.、Howison S. and Dewynne J.、The Mathematics of Financial Derivatives、Cambridge University Press、1995年
  2. Evans L. C.、Partial Differential Equations、第2版、American Mathematical Society、2010年

数値例は compute.py により陰的有限差分法で計算。

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