第32回 ボラティリティの年率換算 ― なぜ時間の平方根を掛けるのか

位置: 第4部 第32回 / 前提: 第25回、第31回 / 数学編: なし / この回でできるようになること: 日次のボラティリティを年率に換算し、その換算が成り立たない場面を見分けることができる
0. 物語 ― 自己相関があると平方根則が外れる
手元に100万円を株に投じていて、運用報告書に「日次のボラティリティは1.26パーセント」と記されているとします。年率に直すとどうなるか。教科書に従って営業日数の平方根を掛けると、年率20パーセントという答えが出ます。「1年間で上下20万円くらいの揺れか」と、あなたは心の準備を決めました。
ところが年末に口座を見ると、想定よりもはるかに大きく動いています。実際に測った年率の揺れは約24パーセント、金額にすれば24万円規模でした。4万円分、見積もりが甘かったことになります。
原因は、日々の値動きに癖があったことです。上がった翌日はまた上がりやすく、下がった翌日はまた下がりやすい。いわゆるトレンドの傾向がわずかに含まれていました。教科書の換算式は「きのうの値動きときょうの値動きは無関係」という前提で導かれています。前提が成り立たなければ、答えもずれます。
ずれの方向には法則があります。上がったら翌日も上がりやすいという癖があるとき、揺れは換算値より大きくなります。逆に、上がった翌日は下がりやすいという癖があれば、揺れは換算値より小さくなります。
この回で示すのは、「日次の揺れに時間の平方根を掛けて年率に直す」という換算が、いつ正しく、いつ崩れるかです。
1. 動機 ― 年率20パーセントとは何を意味するのか
この回を読み終えると、日次のボラティリティを年率に換算し、その換算が成り立たない場面を見分けることができます。
「この銘柄のボラティリティは年率20パーセントです」。ニュースや証券会社のレポートでよく目にする表現ですが、これは「1年後に上下20パーセントの範囲に収まる」という意味ではありません。では何を表しているのでしょうか。
日々の株価データから計算される日次のリターンの標準偏差は、たとえば1.26パーセントのような小さな数字です。この数字を見ただけでは、1年間でどれだけ動くのか実感がわきません。そこで「年率」に換算して比較しやすくするのですが、換算に使うのは掛け算ではなく平方根の掛け算です。
なぜ単純に営業日数を掛けないのか。なぜ平方根が出てくるのか。今回はこれを分散の加法性という一つの性質から導きます。
この記事で証明すること
- THM-VS-1 リターンが独立同分布のとき、
期間の対数リターンの分散は に比例し、標準偏差は に比例します(平方根則)。 - THM-VS-2 日次の標準偏差を
、年間の営業日数を とすると、年率ボラティリティは になります。 - THM-VS-3 リターンに自己相関があると、
期間の分散は に比例せず、正の相関があれば平方根則より大きく、負の相関があれば小さくなります。
2. 設定と仮定 ― 独立同分布のリターン
以下の仮定を置きます。
- 各日の対数リターン
は独立で同じ分布に従います。 - 各
の平均を 、分散を とします。 - 年間の営業日数は
とします。 - 平均
は0に近い値なので、分散の計算では無視できる場合がありますが、定理の証明では一般の のまま進めます。 - 数値実験では乱数のシードを42に固定します。
です。この
3. 主張 ― 分散は時間に比例し、標準偏差は平方根に比例する
定理 THM-VS-1(平方根則) 対数リターン
が独立同分布で、各 の分散が であるとき、 期間の累積対数リターン の分散は であり、標準偏差は
である。
定理 THM-VS-2(年率換算の式) 日次の標準偏差を
、年間の営業日数を とするとき、年率ボラティリティは である。
定理 THM-VS-3(自己相関がある場合の補正) リターン
に自己相関 があるとき、 期間の分散は である。
(正の自己相関)ならば となり、平方根則で換算した値よりも実際の変動は大きくなる。 (負の自己相関)ならばその逆である。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 分散の加法性から出す
この節は読まなくても記事は完結します。
THM-VS-1 の証明
一般に、確率変数の和の分散は
と展開されます。ここで独立性の仮定を使います。
が得られます。同分布の仮定により、各
標準偏差は分散の平方根ですから、
となります。分散は期間
THM-VS-2 の証明
THM-VS-1 で
です。これが年率ボラティリティ
日次の標準偏差
THM-VS-3 の証明(要点)
となります。
5. 反例 ― 自己相関があると換算が狂う
CEX-VS-1: 自己相関があると平方根則がずれる(THM-VS-1 の独立性を壊す)
自己相関
平方根則で換算した年率ボラティリティは
正の自己相関があると「上がった日の翌日も上がりやすい」ため、変動が増幅されます。THM-VS-3 の (6) で第2項が正になることと対応しています。平方根則が成り立つのは独立性が満たされるときに限ります。
CEX-VS-2: ボラティリティは時間に比例するという誤解を壊す
「期間が4倍なら標準偏差も4倍」と思いがちですが、それは分散の話です。標準偏差は平方根に従います。
シミュレーションで期間
| 期間 |
標準偏差の比(実測) | |
|---|---|---|
| 1 | 1.0000 | 1.0 |
| 4 | 2.0063 | 2.0 |
| 9 | 3.0081 | 3.0 |
| 16 | 4.0120 | 4.0 |
実測値は理論値の
CEX-VS-3: 年率20パーセントの範囲に必ず収まるわけではない
「年率ボラティリティ20パーセント」と聞くと、1年後のリターンが
対数リターンが平均0、標準偏差20パーセントの正規分布に従うとしましょう。
6. 数値例 ― 日次から年率へ換算する
日次の標準偏差
次に、期間ごとの標準偏差を確認します。独立同分布のリターン10万本をシミュレーションし、
| 期間 |
標準偏差(%) | ||
|---|---|---|---|
| 1 | 1.2588 | 1.0000 | 1.0 |
| 4 | 2.5254 | 2.0063 | 2.0 |
| 9 | 3.7865 | 3.0081 | 3.0 |
| 16 | 5.0501 | 4.0120 | 4.0 |
標準偏差の比は
自己相関がある場合:
年率20パーセントの意味:年率ボラティリティが
7. 次回へ ― 何に対する報酬なのか
今回、ボラティリティは時間の平方根で拡大することを見ました。これは「リスクは時間とともに大きくなるが、時間そのものほどは速くない」ということです。
では、投資家がこのリスクを引き受ける見返りとして受け取るリターン、いわゆるリスクプレミアムはどのように決まるのでしょうか。次回(第33回)では、何に対する報酬として超過収益が生まれるのかを考えます。
次のマイルストーンまであと 10 本です。
よくある質問
なぜ平方根なのですか
分散が足し算になるからです。標準偏差は分散の平方根なので、平方根が出てきます。
年率20パーセントなら1年で上下20パーセントですか
違います。おおよそ3分の2の確率でその範囲に入る、という意味です。外れる場合も普通にあります。
現実のリターンは独立ですか
厳密には違います。特に大きな変動の後は変動が続く傾向があり、換算にずれが出ます。
参考文献
- Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
- Campbell J. Y.、Lo A. W. and MacKinlay A. C.、The Econometrics of Financial Markets、Princeton University Press、1997年
数値例は compute.py によりシミュレーション(シード42固定)で検算済み。

