第31回 リターンの定義 ― 単純と対数を使い分ける理由

第31回 リターンの定義 ― 単純と対数を使い分ける理由

位置: 第4部 第31回 / 前提: 第19回、第21回 / 数学編: なし / この回でできるようになること: 単純リターンと対数リターンを、時間方向に足すか資産方向に足すかで正しく使い分けることができる

目次

0. 物語 ― 50パーセント上がって50パーセント下がると元に戻らない

「プラス50パーセントのあとにマイナス50パーセントだったから、差し引きゼロで元どおりだよね」

大学の食堂で、友人がスマートフォンの画面を見せてきました。100万円で買った投資信託が、前半に50パーセント上がり、後半に50パーセント下がったとのこと。プラスとマイナスが同じ幅なら、直感では元に戻っているように聞こえます。

「残高いくら?」と聞くと、友人は画面をスクロールして黙り込みました。75万円。25パーセントの損失です。

仕組みはこうです。50パーセント上がったとき、100万円は150万円になります。そこから50パーセント下がると、150万円の半分が消えて75万円です。下がるときの「50パーセント」は、上がった後の大きな金額にかかります。上がったときに増えた50万円より、下がったときに減る75万円のほうが大きいので、元には戻りません。

では、元に戻らないことを最初から見抜ける測り方はあるのでしょうか。値上がり率の定義を変えると、足し算がそのまま正しく使える形が手に入ります。同じ値動きをその物差しで測ると、上がったときの値は約0.41、下がったときの値は約マイナス0.69で、合計はマイナス0.29です。この数字は25パーセントの損失を正確に反映しています。

足して正しい答えが出る物差しと、足すと数が合わなくなる物差し。値上がり率に2種類の定義がある理由と、場面ごとの使い分けの根拠を、この記事で証明します。

1. 動機 ― 値上がり率の測り方が2つあるのはなぜか

この回を読み終えると、単純リターンと対数リターンを、時間方向に足すか資産方向に足すかで正しく使い分けることができます。

資産の値動きを数字で表すとき、「何パーセント上がったか」を計算する方法が2種類あります。単純リターンと対数リターンです。

2つもあるのは、それぞれ得意な場面が違うからです。時間をまたいで足す場面では対数リターンが正確で、複数の資産を混ぜる場面では単純リターンが正確です。どちらか一方で全部済ませようとすると、数が合わなくなります。

この記事では、なぜそうなるのかを証明し、使い分けを間違えると具体的にどう壊れるかを数値で見ます。

この記事で証明すること

  • THM-RT-1 複数期間の対数リターンを足すと、全体の対数リターンに一致します。単純リターンは足しても全体のリターンにはなりません。
  • THM-RT-2 同一期間における複数資産の単純リターンを保有比率で加重平均すると、ポートフォリオの単純リターンに一致します。対数リターンではこの性質が成り立ちません。
  • THM-RT-3 対数リターンは ( は単純リターン)に等しく、変動が小さいとき両者はほぼ一致しますが、常に対数リターンのほうが小さくなります。

2. 設定と仮定 ― 価格系列からリターンを作る

以下を仮定します。

  • 価格は正で、配当は無いか再投資されるものとする。
  • 期間の区切り方を1つ決めて固定する。
  • 税と手数料は無い。
  • 数値に単位は付けない。

時刻 から にかけて価格が から に変化したとします。

単純リターン(simple return) は

で定義します。価格の変化を元の価格で割った比率です。

対数リターン(log return) は

で定義します。 は自然対数です。

両者の関係は (1.2) の右辺に現れています。 がわかれば で変換できます。逆に がわかれば で戻せます。

この節のまとめ: 単純リターンは価格比から 1 を引いたもの、対数リターンは価格比の対数です。両者は一対一に対応します。

3. 主張 ― 時間方向には対数、資産方向には単純

定理 THM-RT-1(対数リターンの加法性) 時刻 における価格を とする。各期の対数リターン に対して

が成り立つ。すなわち、複数期間の対数リターンは各期の対数リターンの和に等しい。単純リターンは積の形になり、そのままでは足せない。

定理 THM-RT-2(単純リターンの横断加法性) 同一期間に 個の資産があり、資産 の単純リターンが 、ポートフォリオ中の保有比率(金額ベース)が ()であるとする。ポートフォリオ全体の単純リターンは

に等しい。対数リターンではこの等式が成り立たない。

定理 THM-RT-3(両者の関係) 対数リターンは に等しい。 の凹性により であり、等号は のときに限る。 が小さいとき であるから両者は近づくが、常に対数リターンのほうが小さい。

この節のまとめ: 対数リターンは時間方向に足せて、単純リターンは資産方向に足せます。それぞれ逆方向には使えません。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 対数の性質から加法性を出す

この節は読まなくても記事は完結します。

THM-RT-1 の証明

対数の基本性質 を使います。各期の対数リターンの和を展開します。

対数の加法性により、これは積の対数にまとまります。

分子と分母が順に打ち消し合う(テレスコープ)ので

これが全期間の対数リターンそのものです。

一方、単純リターンの場合を見ます。 ですから、全期間の価格比は

全期間の単純リターンは であって、 ではありません。単純リターンは積の構造を持つため、そのまま足しても全体のリターンにはなりません。 ∎

THM-RT-2 の証明

ポートフォリオの期初の価値を とします。資産 に だけ投資しているので、期末の価値は

をくくり出して整理します。

を使います(保有比率の合計は 1 という仮定です)。

ポートフォリオ全体の単純リターンの定義は ですから

これで単純リターンの横断加法性が示されました。

対数リターンでは同じことが成り立たないことを示します。ポートフォリオの対数リターンは

一方、対数リターンの加重平均は

成り立たないことを示すには、成り立たない場合が1つあれば足ります。そこで保有比率がすべて正(、空売りなし)の場合を考えます。 は凹関数で、重み は正で合計が 1 なので、イェンゼンの不等式により

等号が成り立つのは全ての が等しいときだけです。一般には厳密な不等号になり、加重平均した対数リターンはポートフォリオの対数リターンに一致しません。 ∎

THM-RT-3 の証明

は (1.2) の定義そのものです。

の範囲で不等式 を示します。関数 を考えます。 であり、

のとき 、(ただし )のとき です。したがって は で最小値 を取ります。

等号は のときに限ります。 が小さいとき、テイラー展開 から となりますが、 の項だけ対数リターンのほうが小さくなります。 ∎

5. 反例 ― 使い分けを間違えると数が合わない

CEX-RT-1: 対数リターンを保有比率で加重平均する誤り

資産 A の単純リターンが (対数リターン )、資産 B の単純リターンが (対数リターン )の2資産を、保有比率 , で持つとします。

単純リターンの加重平均は

ポートフォリオの価値は 100 から 108 に変わるので、実際の単純リターンは 。一致します。

対数リターンの加重平均は

しかしポートフォリオの実際の対数リターンは です。差は で、無視できない大きさです。対数リターンを保有比率で加重平均してはいけません。

CEX-RT-2: 単純リターンを時間方向に足す誤り

初期価格 の資産が、第1期に 上昇し、第2期に 下落したとします。

単純リターンの和は です。ゼロだから元に戻ったように見えます。

しかし実際の価格は です。 の損失が出ています。正しい累積リターンは です。

対数リターンで見ると、第1期は 、第2期は 、和は です。 となり、正しい累積リターンが得られます。単純リターンの和がゼロでも資産は戻らないのに対し、対数リターンの和は損失を正しく捕捉しています。

CEX-RT-3: 日次の小さな差が年率で効いてくる

日次の単純リターンが ()のとき、対数リターンは です。差はわずか で、日次なら無視できます。

しかし 250 営業日にわたって同じリターンが続くとします。

  • 単純リターンを足した値:
  • 対数リターンを足した値:
  • 差:

実際の累積リターンは です。対数リターンの和 から で正しく復元できますが、単純リターンの和 はどちらの値とも一致しません。日次では「ほぼ同じ」でも、積み上げると差が見えてきます。

この節のまとめ: 対数リターンは横方向に足せず、単純リターンは縦方向に足せません。日次レベルの小さな差も年率では無視できなくなります。

6. 数値例 ― 同じ系列を2通りで測る

価格系列 に対する両リターンを並べます。

期間 単純リターン 対数リターン
1 100 110
2 110 99
3 99 112

各期で対数リターンが単純リターンより小さい(THM-RT-3)ことが確認できます。

時間方向の集計:

  • 対数リターンの和:
  • 全期間の対数リターン: (一致)
  • 単純リターンの和:
  • 全期間の単純リターン: (不一致)

対数リターンの和だけが正しい全体のリターンを与えます。

資産方向の集計(2資産ポートフォリオ):

単純リターン 対数リターン
資産 A()
資産 B()
加重平均
ポートフォリオ実績

単純リターンの加重平均だけがポートフォリオの実績と一致します。

この節のまとめ: 同じ価格データでも、時間方向の集計には対数リターン、資産方向の集計には単純リターンを使わないと数値が合いません。

7. 次回へ ― 時間の平方根が出てくる理由

今回の結論は、「対数リターンは足せる」でした。足せるということは、平均や分散を計算する枠組みに自然に乗るということです。

次回(第32回)では、対数リターンの分散からボラティリティを定義し、なぜ年率への換算に「時間の平方根」が登場するのかを証明します。

次のマイルストーンまであと 11 本です。

よくある質問

どちらを使えばいいのですか

期間をまたいで足すときは対数、複数の資産を混ぜるときは単純です。目的で決まります。

なぜ対数のほうが小さいのですか

同じ変動でも、上がるときより下がるときの影響が大きく出る形になっているからです。

日次なら同じと考えていいですか

1日単位ならほぼ同じです。ただし1年分積み上げると差が見えてきます。

参考文献

  1. Campbell J. Y.、Lo A. W. and MacKinlay A. C.、The Econometrics of Financial Markets、Princeton University Press、1997年
  2. Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年

数値例は compute.py により検算済み。対数を含むため float で計算し、結果を outputs.json に出力している。

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