第33回 リスクプレミアムは何に対する報酬か ― 分散するだけでは消えない部分

第33回 リスクプレミアムは何に対する報酬か ― 分散するだけでは消えない部分

位置: 第4部 第33回 / 前提: 第29回、第31回 / 数学編: なし / この回でできるようになること: 分散投資で消えるリスクと消えないリスクを分け、どちらに報酬が付くのかを説明できる

目次

0. 物語 ― 変動が大きい資産ほど期待収益が高いとは限らない

「この銘柄、値動きがものすごく荒いんです。だから長い目で見れば、そのぶん儲かるはずですよね」。投資サークルの勉強会で、ある学生がそう言いました。先生は首を横に振ります。「値動きが荒いことと、見返りが大きいことは、同じではないよ」。

具体的な数字で確かめてみます。値動きの荒さが普通の資産を10個、同じ割合で持っているとします。値動きの荒さを、平均からのずれを2乗して平均した「分散」で測ると、ポートフォリオ全体の分散は0.049です。ここに、固有の値動きの荒さが普通の3倍ある資産を1つ加えます。ずれの幅が3倍なので、分散で測れば9倍です。11個のポートフォリオの分散は0.054に増えました。

一見すると、荒い資産を足したぶんだけリスクが増えて、そのぶん見返りも大きくなりそうに思えます。しかし増えた変動は、その資産だけに固有のものです。市場全体と連動する共通の変動の分散は0.04のまま変わっていません。

ここが肝心です。資産の数をもっと増やしていくと、固有の変動はどんどん薄まっていきます。1000個の資産に分けて持てば、ポートフォリオの分散はほぼ0.04まで下がります。荒い資産を足したことで増えた部分は、分散するだけで消えてしまいます。

消せる変動を抱えることに、市場は報酬を出しません。分散すれば誰でもタダで取り除けるからです。報酬が付くのは、いくら資産を増やしても消えない、市場全体に共通する変動の部分だけです。

つまり「値動きが荒い」だけでは、期待収益が高い根拠にはなりません。その荒さが市場全体と連動しているかどうかが、報酬を分ける境目です。

1. 動機 ― なぜ株は預金より期待収益が高いのか

この回を読み終えると、分散投資で消えるリスクと消えないリスクを分け、どちらに報酬が付くのかを説明できます。

銀行預金の金利は低いのに、株式の長期的な期待収益率はそれよりかなり高い。この差をリスクプレミアムと呼びます。しかし、「リスクがあるから見返りが大きい」という直感は、正確ではありません。

値動きが激しい資産でも、報酬が付かない種類の変動があります。そして、価格を計算するときにはリスクプレミアムは一切現れません。今回は、どの部分のリスクに報酬が付き、どの部分には付かないのかを、分散の計算だけで明らかにします。

この記事で証明すること

  • THM-RP-1 資産数を増やすと、固有の変動の寄与は資産数に反比例して小さくなりますが、共通の変動は残ります。
  • THM-RP-2 分散して消せるリスクには報酬が付きません。消せない部分だけが期待超過収益の源泉です。
  • THM-RP-3 リスク中立確率のもとではすべての資産の期待収益率が無リスク金利に一致し、リスクプレミアムは現実の確率のもとでのみ現れます。

2. 設定と仮定 ― 共通の変動と固有の変動に分ける

以下の仮定を置きます。

  • 資産 ()の収益率 は、共通成分 と固有成分 の和として書ける:
  • 固有成分 は互いに無相関で、共通成分 とも無相関。
  • すべての固有成分の分散は等しい: 。
  • 共通成分の分散は 。
  • 保有比率は等ウェイト: 。
  • 数値に単位は付けない。

等ウェイトポートフォリオの収益率は

です。共通成分 はすべての資産に同じように入っているので、平均を取っても消えません。固有成分だけが で割られます。

この分解が、以下の議論の全ての土台です。

3. 主張 ― 消せるリスクに報酬は付かない

定理 THM-RP-1(分散可能なリスクと分散不能なリスク) 上の仮定のもとで、等ウェイトポートフォリオの分散は

である。 のとき 。すなわち、資産数を増やすと固有成分の寄与は に比例して小さくなるが、共通成分の分散 は残る。

定理 THM-RP-2(報酬の対象) 分散によって消せるリスク(固有成分の分散 )には報酬が付かない。分散しても残る共通成分 の部分だけが、期待超過収益の源泉である。

定理 THM-RP-3(リスク中立との対比) 価格付けに使うリスク中立確率 のもとでは、すべての資産の期待収益率が無リスク金利 に一致する:

したがってリスクプレミアム は のもとでは常にゼロであり、ゼロでない値(正の値を含む)を取りうるのは現実の確率 のもとだけである。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 資産数を増やしたときの分散を計算する

この節は読まなくても記事は完結します。

THM-RP-1 の証明

(1.2) の分散を計算します。 と各 が無相関であることを使うために、分散を分解します。

と は無相関です。なぜなら、 と各 が無相関という仮定から、 と の任意の線形結合も無相関になるからです。したがって分散は和になります。

第1項は です。第2項を計算します。 を外に出すと が掛かります。

同士は互いに無相関なので、和の分散は分散の和になります。

(2.1)

が得られます。 で第2項は に収束し、 です。

共通成分の分散 は に依存しないので、いくら資産数を増やしても消えません。一方、固有成分の寄与 は に反比例して小さくなります。 ∎

THM-RP-2 の証明(要点)

THM-RP-1 により、十分な数の資産に分散投資すれば、固有成分の分散はいくらでも小さくできます。つまり固有成分はコストを掛けずに取り除けるリスクです。

取り除けるリスクを引き受けることに市場が報酬を出す理由はありません。もし固有成分に正の期待超過収益が付いていれば、十分に分散した投資家がその超過収益だけを得られるからです。これは裁定に近い状態であり、均衡で維持されません。

したがって、期待超過収益の源泉は、分散しても残る共通成分の変動に限られます。 ∎

THM-RP-3 の証明

第29回で導入した1期間2状態モデルを使います。、、、 とします。

リスク中立確率は で定義されます。この のもとでの期待収益率を計算します。

の定義を代入して展開します。、 なので

分子を展開します。

よって

よって となり、収益率を と書くと 、つまり です。リスク中立確率のもとでの期待収益率は無リスク金利 に等しくなります。

一方、現実の確率 のもとでは

であり、 であれば です。この差 がリスクプレミアムであり、ゼロでない値を取りうるのは現実の確率 のもとだけです。 なら正、 なら負になります。

リスク中立確率のもとでは全ての資産の期待収益率が に一致するので、リスクプレミアムは のもとでは定義上ゼロです。 ∎

5. 反例 ― 変動が大きくても報われないことがある

CEX-RP-1: 分散投資すればリスクはゼロになる、という理解を壊す

、 として、資産数を増やしたときのポートフォリオ分散を計算します。

資産数 小数
1
10
100
1000

では だった分散が、 では まで下がります。しかし (共通成分の分散)を下回ることは決してありません。「分散すればリスクがゼロになる」は誤りで、共通成分の分だけ必ず下げ止まります。

CEX-RP-2: 変動が大きい資産ほど期待収益が高い、という理解を壊す

通常の資産()が10個あるポートフォリオに、固有変動だけが大きい資産(、共通成分は同じ )を1つ加えます。

  • 10資産(通常のみ)の分散:
  • 11資産(荒い資産を含む)の分散:

荒い資産を加えるとポートフォリオの分散は から に増えます。しかしこの増加分は固有成分の寄与であり、共通成分は のまま変わりません。

11資産の固有成分の寄与は で、10資産のときの より大きくなっています。しかし、資産数をさらに増やせばこの部分は消えます。荒い資産の固有変動がいくら大きくても、分散で消える以上、それに対する報酬は付きません。「変動が大きい = 期待収益が高い」は成り立ちません。

CEX-RP-3: リスクプレミアムが価格式に現れる、という予想を壊す

1期間2状態モデル(、、、)で確かめます。主観確率を とします。

現実の確率 のもとでの期待収益率:

収益率は (11%)。無リスク金利 との差がリスクプレミアム (6%)です。

リスク中立確率 のもとでの期待収益率:

収益率はちょうど (5%)で、無リスク金利に一致します。リスクプレミアムはゼロです。

価格付けではリスク中立確率 を使います。 のもとでは全ての資産の期待収益率が無リスク金利になるので、価格の計算式にリスクプレミアムは現れません。リスクプレミアムはあくまで、現実の確率 で期待値を取ったときに見える量です。

リスク中立確率の正確な定義は第45回で扱いますが、「価格の整合性から逆算された重み」と理解しておけば今は十分です。

6. 数値例 ― 資産数を1000まで増やしてみる

、 のもとで、(2.3) の公式を使った結果を並べます。

資産数 固有成分の寄与 ポートフォリオ分散
1
10
100
1000

では固有成分の寄与は で、全体の 程度です。事実上、ポートフォリオの変動は共通成分 だけで決まっています。

1期間2状態モデルの数値もまとめます。

確率 期待収益率 超過収益率
現実 ()
リスク中立 ()

現実の確率では のリスクプレミアムが見えますが、価格計算に使うリスク中立確率では消えます。

数値の要点は二つです。第一に、分散で消せる固有成分には報酬が付かないので、個別資産の変動の大きさだけを見て期待収益を判断してはいけません。第二に、リスクプレミアムは現実の確率のもとで定義される量であり、価格付けの枠組みには直接現れません。

7. 次回へ ― なぜ人はリスクに対価を求めるのか

今回は「何に報酬が付くか」を示しました。しかし、なぜ人はリスクに対して追加の見返りを要求するのか、という問いには答えていません。

次回(第34回)では、効用関数とリスク回避度を導入し、リスクプレミアムが生まれる根本的な理由に踏み込みます。

次のマイルストーンまであと 9 本です。

よくある質問

リスクを取れば必ず報われますか

分散して消せるリスクには報酬が付きません。消せない部分を引き受けたときだけです。

個別株の値動きが激しければ期待収益も高いのですか

必ずしもそうではありません。その激しさが市場全体と連動していない限り、報酬にはなりません。

価格の計算にリスクプレミアムは出てきますか

出てきません。価格付けでは別の確率を使い、そこでは全資産の期待収益が無リスク金利になります。

参考文献

  1. Luenberger D. G.、Investment Science、第2版、Oxford University Press、2013年
  2. Cochrane J. H.、Asset Pricing、改訂版、Princeton University Press、2005年

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

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