第44回 オプションを株と現金で作る ― 複製ポートフォリオ

位置: 第5部 第44回 / 前提: 第43回(1期間2状態モデル) / 数学編: M11 / この回でできるようになること: オプションと同じ支払いを株と借入で作り、そのコストからオプションの価格を計算できる
0. 物語 ― 期待値の割引で値付けすると何が起きるか
株が上がる確率が7割だと確信しているとき、その株のコールオプションにいくら払いますか。
少し考えてみてください。今の株価が100円で、1年後には120円か90円のどちらかになるとします。利息は年5%です。行使価格100円のコールは、上がった世界で20円もらえ、下がった世界では何ももらえません。
7割で20円だから、平均は14円。1年分の利息で割り引くと約13.3円。これが答えだと思った人は多いはずです。
ところが、この値段は間違っています。株を3分の2株だけ買い、約57円を借り入れると、上がった世界でも下がった世界でも、コールとまったく同じ受け取りが再現できます。この「材料費」はわずか約9.5円です。コールの値段が13.3円で通るなら、この組み立てで作ったものを13.3円で売り、材料費の9.5円を引いた差額の約3.8円が、どちらの世界になっても手元に残ります。
では上がる確率を3割に下げるとどうなるでしょう。期待値の割引は約5.7円に下がります。しかし組み立ての材料費は9.5円のまま動きません。確率を5割にしても同じです。材料費が変わらないのは、組み立てが「上がった世界でぴったり」「下がった世界でぴったり」という2つの等式を解いているだけだからです。そこに「何割で上がるか」という重みは一切入りません。
値段を決めているのは、株と借入でオプションを実際に作るコストです。作れてしまう以上、見通しを値段に混ぜた人は、混ぜた分だけ持っていかれます。
1. 動機 ― オプションを自分で作れるか
この回を読み終えると、オプションと同じ支払いを株と借入で作り、そのコストからオプションの価格を計算できます。
この「自分で作る」操作を複製と呼びます。そして、作るのにかかった費用がそのままオプションの価格になります。ここが核心です。価格を決めるのに「株がどれだけ上がりそうか」という見通しは一切使いません。材料費が決まれば値段が決まる、という製造業の発想に近い話です。
今回は、2状態モデルで複製ポートフォリオが一意に存在すること、そのコストが無裁定価格であること、そして原資産の保有量(デルタ)の意味を証明します。
この記事で証明すること
- THM-RP2-1 1期間2状態で
と が異なるとき、任意のペイオフを複製する保有量の組はただ一つに存在します。 - THM-RP2-2 無裁定市場では、ペイオフの価格は複製ポートフォリオの時点0のコストに一致します。
- THM-RP2-3 原資産の保有量(デルタ)は、ペイオフの差を原資産価格の差で割った量であり、価格の原資産に対する感応度です。
2. 設定と仮定 ― 2状態のペイオフと2本の資産
第43回の設定と仮定をすべて引き継ぎます。改めて書き出します。
- 時間:
(現在)と (満期)の1期間。 - 状態: 満期に起こりうる世界は2つ、
。 - 原資産: 現在価格
。満期には または 。ただし 。 - 安全資産: 時刻0に1を預けると時刻1に
になる。 は確定した値。 - 摩擦なし: 取引コスト、税、売買スプレッドはない。空売りができる。株も安全資産も任意の実数単位で売買できる。
ペイオフとは、時点1の2つの状態に対して実数を与える関数です。
ポートフォリオは
です。複製とは、
主観確率
この節のまとめ: 2つの状態に対して2つの資産(株と安全資産)を使い、ペイオフを再現する保有量を求める問題が「複製」です。
3. 主張 ― 作り方はただ一つに決まる
定理 THM-RP2-1(複製の存在と一意性) 1期間2状態モデルで
のとき、任意のペイオフ を複製するポートフォリオ は一意に存在する。具体的には である。
定理 THM-RP2-2(複製コストが価格である) 無裁定市場では、ペイオフ
の価格は複製ポートフォリオの時点0のコスト に一致する。
定理 THM-RP2-3(デルタの意味) 原資産の保有量
は であり、ペイオフの差を原資産価格の差で割った量である。これは価格の原資産に対する感応度を表す。
この節のまとめ: 2つの未知数に対して2本の独立な方程式が立つので、解はただ一つに決まります。その解がデルタと安全資産の保有額を与えます。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 連立方程式を解く
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第11回「ラグランジュ未定乗数法」へ。
THM-RP2-1 の証明
複製の条件を書き下します。各状態でポートフォリオ価値がペイオフに一致する、すなわち
です。これは
次に
通分するため、
2つの未知数に対して2本の独立な1次方程式を解いたので、解は一意です。任意の
THM-RP2-2 の証明
複製ポートフォリオ
オプションの市場価格を
満期を見ます。オプションの売り手として状態
よって時刻0に
どちらの場合も裁定が生じるので、無裁定の仮定のもとでは
THM-RP2-3 の証明
(2) を書き直します。
分子はペイオフの差、分母は原資産価格の差です。この比は「原資産が1単位動いたとき、ペイオフがどれだけ動くか」という感応度そのものです。
もう少し丁寧に見ます。ペイオフを原資産価格の関数
です。これは差分商であり、連続の世界での微分
5. 反例 ― 期待値で値付けすると狩られる
CEX-RP2-1: 主観確率を変えても複製コストは変わらない
複製の計算 (2), (3) のどこにも主観確率
一方、主観的な期待値を
| 主観確率 |
期待値の割引 | 複製コスト |
|---|---|---|
期待値の割引は
「価格は期待値の割引である」という理解は、どの確率で期待値を取るかを指定しない限り正しくなりません。主観確率
この節のまとめ: 主観確率をどう変えても複製コストは変わりません。「期待値の割引 = 価格」は、確率の選び方を指定しない限り誤りです。
CEX-RP2-2: 期待値割引で値付けした相手から確定利益を取る
主観確率で値付けすることの危険を具体的に示します。
あるディーラーが
と提示したとします。複製コストは
- ディーラーにコールを1単位、
で売る。 - 複製ポートフォリオを買う: 株を
単位買い、 を借りる。コストは 。 - 差額
を時刻0に受け取る。
満期を確認します。
- 上昇: 複製の価値は
。コールの支払い義務は 。差引ゼロ。 - 下落: 複製の価値は
。コールの支払い義務は 。差引ゼロ。
両状態で満期損益はゼロ。時刻0の
逆に
ディーラーの見通しが正しいかどうかは無関係です。複製コストから外れた価格を付けた瞬間に、裁定の対象になります。
この節のまとめ: 主観確率に基づく価格と複製コストがずれていれば、複製を使って確定利益を取ることができます。
CEX-RP2-3: 状態を3つに増やすと複製できない
ここまでの議論は「2状態で2つの資産」だから成り立ちました。状態を3つに増やすとどうなるか、覗いてみます。
満期の状態を
第1式と第2式から
2つの道具(株と安全資産)で3つの条件を満たすことは、一般にはできないのです。このとき市場は不完備と呼ばれます。詳しくは第45回(b)で扱います。
この節のまとめ: 状態の数が資産の数を超えると、連立方程式が過剰決定になり、複製が不可能になります。
6. 数値例 ― コールを株と現金で組み立てる
| 上昇 |
下落 |
|
|---|---|---|
| コールのペイオフ |
デルタの計算(式 (2)):
安全資産の保有額(式 (3)):
複製コスト:
厳密には
各状態での検算:
- 上昇:
。 - 下落:
。
両状態でぴったり一致します。コールオプションを持つのと、株を
この計算のどこにも主観確率
この節のまとめ: コールの複製には株を
7. 次回へ ― 整理すると主観確率が消える
今回の結論は、オプションの価格を決めるのに確率は要らないということでした。株と安全資産の保有量を連立方程式で求め、そのコストを計算するだけです。
しかし不思議なことに、複製コストの式を整理すると、
次のマイルストーンまであと 11 本です。
よくある質問
なぜ確率が出てこないのですか
作るのにかかる費用を計算しているだけだからです。作れてしまう以上、見通しは値段に影響しません。
デルタとは何ですか
複製に必要な株の数です。原資産が1動いたときにオプションがいくら動くか、とも読めます。
現実に複製できますか
2状態ならできます。現実の連続的な値動きでは、こまめに組み替える必要があり、誤差が出ます。
参考文献
- Cox J. C.、Ross S. A. and Rubinstein M.、Option Pricing ― A Simplified Approach、Journal of Financial Economics、1979年、DOI 10.1016/0304-405X(79)90015-1
- Shreve S. E.、Stochastic Calculus for Finance I ― The Binomial Asset Pricing Model、Springer、2004年
数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

