第4回 時間はお金を生む ― 現在価値はどこから出てくるのか

位置: 第1部 第4回 / 前提: 第2回、第3回 / 数学編: なし / この回でできるようになること: 将来受け取るお金の今日の価値を計算し、受け取り方の違う2つの約束の価値を比べることができる
0. 物語 ― 割引の向きを取り違える
いま手元に100万円があるとして、年利5パーセントの定期預金に1年間預けたら、満期にいくら受け取れるでしょうか。少し考えてみてください。
答えは105万円です。100万円に1.05を掛けるだけなので、ほとんどの人は迷いません。では、もうひとつ。「1年後に確実にもらえる100万円は、いまの価値に直すといくらですか」。こちらは100万円を1.05で割って、約95万2千円になります。
掛けるか、割るか。将来の金額を知りたければ掛け算、いまの価値を知りたければ割り算です。単純な話に見えますが、この向きを取り違える事故は実務でも起こります。
ある担当者が100万円を1年間運用した後の受取額を報告する場面を想像してください。正しくは105万円と書くべきところを、うっかり割り算をして「約95万2千円になります」と書いてしまいました。
この報告を見た取引相手は、100万円を預けても95万2千円にしかならないと思い込みます。そこで「いま100万円をお渡しするので、1年後に95万2千円を返してください」という契約を持ちかけてきました。あなたは受け取った100万円を年利5パーセントで運用して、1年後に105万円を手にします。そこから契約どおり約95万2千円を返済すると、手元に約9万8千円が残ります。元手はゼロ、リスクもゼロ、利益だけが確定しています。
向きを間違えた側は、間違いに気づかない限り、正しい計算を知っている相手にこの利益を何度でも差し出すことになります。
この話が伝えているのは、将来のお金の「いまの値段」は感覚や好みで決まるものではないということです。金利が決まっている世界では、正しい値段がたったひとつ存在します。そこから外れた値段をつけた瞬間に、元手なしの確定利益を取られてしまいます。この「たったひとつの値段」を、無裁定の条件だけで導くのがこの回の目標です。
1. 動機 ― 1年後の100万円は、いま何円の価値があるのか
この回を読み終えると、将来受け取るお金の今日の価値を計算し、受け取り方の違う2つの約束の価値を比べることができます。
「1年後にもらえる100万円と、いまもらえる100万円は同じ価値ですか」と聞かれたら、ほとんどの人は「違う」と答えます。理由はいくつか思いつくかもしれませんが、金融数学ではたったひとつの理由しか使いません。いま受け取れば、金利
いま 100 を受け取って年利
この記事では、現在価値が「なんとなくの感覚」ではなく、無裁定の条件から一意に決まることを証明します。第2回で導入した無裁定の公理が、ここで最初の具体的な帰結を生みます。
この記事で証明すること
- THM-PV-1 無裁定のもとで、時点1の確定キャッシュフロー
の価格は 以外にありえません。 - THM-PV-2 各期の金利が確定しているとき、多時点のキャッシュフローの現在価値は各期の割引係数で順に割り引いた総和です。
- THM-PV-3 確定キャッシュフローの価格が現在価値からずれていれば、その差額をそのまま確定利益にする取引が作れます。
2. 設定と仮定 ― 金利が確定した世界を置く
以下の仮定を置きます。どれが後で壊れるかを見るために、全部書き出します。
- 金利: 無リスク金利
は確定していて、 。 - 対称性: 同一の金利
で貸すことも借りることもできる。 - キャッシュフロー: キャッシュフローは確定していて、状態に依存しない。
- 摩擦なし: 取引コスト、税、信用リスクは無い。
- 複利の頻度: 複利の計算は年1回とする。他の複利頻度は第5回で扱う。
割引係数を定義します。現在(
と書きます。これは「時点
時点
です。
複数の時点
以上が現在価値の定義です。ここからは、この値が「定義として便利だから使う」のではなく、無裁定から必然的に決まる唯一の価格であることを証明します。
3. 主張 ― 現在価値は好みではなく無裁定で決まる
3つの定理を述べます。
定理 THM-PV-1(現在価値の一意性) 無リスク金利
で自由に貸し借りできる市場が無裁定であるとき、時点1で確定して を払うキャッシュフローの現在の価格は 以外にありえない。
定理 THM-PV-2(多時点への拡張) 各期の金利が確定しているとき、時点
のキャッシュフロー の現在価値は を各期の金利で順に割り引いたものに等しく、全体の現在価値はその和である。
定理 THM-PV-3(割引と裁定の同値) ある時点の確定キャッシュフローの価格が現在価値と異なるなら、その差額をそのまま確定利益にする取引が構成できる。
THM-PV-1 は1期間の基本定理です。THM-PV-2 はそれを複数期間に一般化します。THM-PV-3 は逆方向の主張で、「ずれていたら裁定が作れる」ことを示します。THM-PV-1 と THM-PV-3 は対をなしています。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 価格がずれたら儲けが作れることを見る
この節は読まなくても記事は完結します。
THM-PV-1 の証明
時点1で確定して
ケース1:
次の取引を行います。
- キャッシュフローを価格
で売る(時点0に を受け取り、時点1に を支払う義務を負う)。 - 受け取った
のうち を金利 で運用する。残り を手元に置く。
時点0の収支を確認します。売却で
です。正の金額が確定して残ります。
時点1の収支を確認します。運用が満期を迎えて
です。時点1の損益はちょうどゼロです。
まとめると、時点0に正の金額
ケース2:
すべての取引を逆にします。
- 金利
で を借りる。 - キャッシュフローを価格
で買う。差額 を手元に置く。
時点0の手元は
です。
時点1は、キャッシュフローから
どちらのケースでも裁定が構成できるので、無裁定のもとでは
この証明の構造は重要です。「高すぎれば売って運用、安すぎれば借りて買う」という対称的な取引を組むことで、どちらにずれても裁定が作れることを示しました。これが「現在価値は好みではない」の意味です。誰がどう思おうと、ずれた価格を付ければ裁定されます。
THM-PV-2 の証明
各期の金利が
時点
ステップ1: 時点
でなければ裁定が生じます。
ステップ2:
です。
ステップ3: これを
に確定します。1回ごとに THM-PV-1 が適用されるため、どの段階でもずれがあれば裁定が構成できます。
複数のキャッシュフロー
です。もし全体の価格がこの和と異なれば、個別の割引で作った裁定を組み合わせることで全体にも裁定が作れます。 ∎
THM-PV-3 の証明
THM-PV-1 の証明で構成した取引そのものが、THM-PV-3 の主張の証明になっています。改めて一般の時点
時点
です。時点
いずれの場合も、確定利益は
5. 反例 ― 金額が揺れると割引だけでは足りない
反例 CEX-PV-1: キャッシュフローが確定しているという仮定を壊す
時点1の受取額が状態によって変わる場合を考えます。ある状態では 110 を受け取り、別の状態では 90 を受け取るとします。
素朴に「平均を取って割り引く」とすると
になります。しかしこの値が正しい価格であるとは限りません。
なぜなら、THM-PV-1 の証明はキャッシュフローが確定していることを本質的に使っていたからです。ケース1で「時点1に
数値で確認します。
状態に依存するキャッシュフローの価格付けには、割引だけでは足りません。正しい扱いは第43回以降で導入する理論が必要です。
反例 CEX-PV-2: 借入と貸出が同一金利という仮定を壊す
THM-PV-1 の証明では、「
借入金利を
上限: 価格が
下限: 価格が
しかし、価格が 93.4579 と 95.2381 の間にあるときは、どちらの裁定も成立しません。
- 売って運用しようとすると、運用金利が 5% なので時点1に
しか得られず、 の支払いを賄えるとは限りません。 - 借りて買おうとすると、借入金利が 7% なので返済が
に膨らみ、 の受取だけでは足りない可能性があります。
つまり現在価値は一つの数ではなく、区間
反例 CEX-PV-3: 割引の向きを取り違える誤り
割引と複利の向きを取り違える間違いは実務でも起こります。数値で確認します。
いま手元に 100 があり、年利 5% で1年間運用する場面を考えます。1年後の将来価値を求めたいのに、誤って割り引いてしまうと
になります。正しくは
です。差額は
この誤りが裁定を生む仕組みを見ます。もしある参加者が「100 を預けると1年後に 95.2381 になる」と信じていれば、次の取引で確定利益が得られます。
- その参加者から時点0に 100 を受け取り、見返りに「1年後に 95.2381 を支払う契約」を結ぶ(参加者は「等価交換だ」と思っている)。
- 100 を金利 5% で運用する。1年後に 105 を受け取る。
- 契約に従い 95.2381 を支払う。手元に
が残る。
元手ゼロの確定利益 9.7619 です。向きを間違えると、正しい方向を知っている相手に裁定されます。
6. 数値例 ― 3年分のキャッシュフローを1つの数に潰す
基本の計算: 1期間の割引
です。この結果は THM-PV-1 により、無裁定のもとで唯一の価格です。
もしこのキャッシュフローが 102 で取引されていれば、THM-PV-3 の裁定を実行できます。
- キャッシュフローを 102 で売る。
- 100 を金利 5% で運用する。手元に
を確保する。 - 時点1に運用から 105 を受け取り、売却義務の 105 を支払う。損益ゼロ。
確定利益は 2 です。
3年分のキャッシュフロー
年1回、3年にわたるキャッシュフロー
| 時点 |
キャッシュフロー |
割引係数 |
現在価値 |
|---|---|---|---|
| 1 | 10 | 0.952381 | 9.5238 |
| 2 | 10 | 0.907029 | 9.0703 |
| 3 | 110 | 0.863838 | 95.0221 |
| 合計 | 113.6162 |
全体の現在価値は 113.6162 です。3年目の 110 が全体の
金利の大きさと遠い将来の寄与
金利の水準によって、遠い将来のキャッシュフローの現在価値がどれだけ変わるかを見ます。
| 99.0099 | 90.5287 | 74.1923 | |
| 95.2381 | 61.3913 | 23.1377 | |
| 90.9091 | 38.5543 | 5.7309 | |
| 83.3333 | 16.1506 | 0.4213 |
7. 次回へ ― e はどこから出てくるのか
今回は複利を年1回に限定して現在価値を導きました。しかし実務では半年複利、月複利、さらには連続複利が使われます。次回(第5回)では、複利の頻度を上げていったとき何が起きるかを見ます。年
次のマイルストーンまであと 12 本です。
よくある質問
割引率は自分で決めていいのですか
確定したキャッシュフローなら決められません。市場の金利が決めます。決められるように見えるのは、金額が確定していない場合です。
なぜ将来のお金は目減りするのですか
物価のせいではありません。いま受け取れば運用できるからです。運用できる分だけ、将来の同額は価値が低くなります。
金利がマイナスだとどうなりますか
式はそのまま使えます。割引係数が1より大きくなり、将来のお金のほうが価値が高い、という計算になります。
参考文献
- Luenberger D. G.、Investment Science、第2版、Oxford University Press、2013年
- Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

