第50回 オプション価格の裁定境界 ― モデルなしでここまで言える

第50回 オプション価格の裁定境界 ― モデルなしでここまで言える

位置: 第5部 第50回 / 前提: 第48回、第49回 / 数学編: なし / この回でできるようになること: オプションの提示価格が、どんなモデルでも許されない範囲に入っていないかを確かめることができる

目次

0. 物語 ― 凸性が崩れた価格の並び

手元にオプションの価格表があって、同じ株、同じ満期で、行使価格だけが違う3つのコールオプションが並んでいるとします。行使価格90のコールが18、行使価格100のコールが12、行使価格110のコールが5です。

ぱっと見ると、行使価格が高いほど値段が安くなっていて、特におかしくは見えません。しかし、ある性質を調べると、この3つの価格は共存できないことが分かります。

その性質とは「凸性」です。日本語で言えば、真ん中の行使価格のコール価格は、両端の価格を混ぜた値よりも高くなってはいけない、というルールです。行使価格100は90と110のちょうど真ん中ですから、両端の価格を半々で混ぜると11.5になります。ところが真ん中のコールは12で売られています。11.5を超えてしまっています。

この0.5のずれは、株がこの先どう動くかとは無関係に、確定した利益に変えることができます。両端のコールを1枚ずつ買い、真ん中のコールを2枚売ると、最初に1の現金が手に入ります。そして満期にいくらになっていても、支払いが受け取りを上回ることはありません。株価がどこに着地しても損をしない上に、最初の1はそのまま残ります。

つまり、株の予想をまったくしなくても、価格の並びだけを見て「これはおかしい」と分かり、確実に利益を取る方法が存在するのです。この回では、価格がどの範囲にあれば「おかしくない」のか、その帯を数式で正確に書き下します。帯を外れた価格が1つでもあれば、今の例のように、株がどう動くかに関係なく利益を取れる売買が必ず作れることを証明します。

1. 動機 ― 分布を仮定せずにどこまで言えるか

この回を読み終えると、オプションの提示価格が、どんなモデルでも許されない範囲に入っていないかを確かめることができます。

オプションの価格を計算するにはモデルが要る、と思われがちです。しかしモデルを一切使わず、無裁定だけから価格が満たすべき不等式をいくつも導けます。もし市場価格がこの帯を外れていれば、分布の形によらず確定利益が取れます。

今回は、ヨーロピアンコールとプットの価格がどの範囲にあるべきかを3つの定理で示します。使うのは「裁定が存在しない」という仮定だけです。原資産がどんな分布に従うかは一切仮定しません。

この記事で証明すること

  • THM-AB-1 コール価格は原資産価格を上限とし、原資産価格から行使価格の割引値を引いた量と 0 の大きいほうを下限とします。
  • THM-AB-2 コール価格は行使価格について広義単調減少であり、かつ凸です。
  • THM-AB-3 アメリカンコールの価格は満期が長いほど高く、ヨーロピアンでも配当が無ければ同様です。

2. 設定と仮定 ― モデルフリーの前提

以下の仮定だけを置きます。原資産の価格過程の分布には何も仮定しません。

  • オプション型: ヨーロピアン型。アメリカン型に触れる箇所はその都度明示します。
  • 配当: なし(配当の影響は反例 CEX-AB-3 で確認します)。
  • 金利: 確定した連続複利 で、満期 の割引係数は です。数値例では簡単のため の近似を使います。
  • 摩擦なし: 取引コスト、税、空売り制約はありません。任意の実数単位で売買できます。

ここから先、コール価格を 、プット価格を 、原資産価格を 、行使価格を と書きます。時刻 を現在とします。

これらの前提のもと、「裁定が存在しない」という一つの条件だけで、価格の上下限・単調性・凸性が全て導けます。

3. 主張 ― 価格は必ずこの帯の中にある

定理 THM-AB-1(基本的な上下限) ヨーロピアンコールの価格 は次を満たす。

ヨーロピアンプットの価格 は次を満たす。

定理 THM-AB-2(行使価格についての単調性と凸性) に対し、同じ原資産・同じ満期のヨーロピアンコール価格は次を満たす。

(単調性)。

(凸性)()のとき、

定理 THM-AB-3(満期についての単調性) アメリカンコール について、 ならば である。 ヨーロピアンコールでは、配当が無い場合にこの関係が成り立つ。

3つの定理はいずれも「境界を破る価格が存在すれば裁定を構成できる」という背理法で証明します。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 境界を破る価格から裁定を作る

この節は読まなくても記事は完結します。

THM-AB-1 の証明

上限 の証明。 コール価格が原資産価格を超えている、つまり と仮定して裁定を構成します。

コールを1枚売り、原資産を1単位買います。時刻0のキャッシュフローは

です。これを安全資産に置きます。満期のキャッシュフローを場合分けします。

のとき、コールが行使されるので原資産を引き渡して を受け取ります。手元には と安全資産の利息が残ります。

のとき、コールは無価値です。手元には の原資産と安全資産の利息が残ります。

どちらの場合も満期の価値は非負であり、時刻0に正の金額を受け取っています。これは裁定です。したがって でなければなりません。

下限 の証明。 と仮定します。次のポートフォリオを組みます。

  • コールを1枚買う()
  • 原資産を1単位空売りする()
  • を安全資産に置く()

時刻0のキャッシュフローは です。これが正であることが仮定から従います。

満期のキャッシュフローを確認します。安全資産は に成長します。

のとき、コールを行使して を受け取り、空売りを で返済し、安全資産から を受け取ります。合計は です。

のとき、コールは無価値です。空売りを で返済し、安全資産から を受け取ります。合計は です。

どちらも非負で、 のときは正です。時刻0に既に正の金額を受け取っているので裁定です。よって 。

下限 を示します。 コールは満期に非負のペイオフしか生まないので、その権利の価値は負になりません(タダでもらえるなら必ずもらいます)。

2つの下限を合わせて が得られます。

プットの上下限も同様に示せます。プットのペイオフ の最大値は なので、プットの現在価値は を超えません。下限は、プットを買い・原資産を買い・ を借りるポートフォリオで構成できます。 ∎

THM-AB-2 の証明

単調性の証明。 とします。行使価格 のコールのペイオフは、任意の に対して行使価格 のコールのペイオフ以上です。

これは から直ちに従います。ペイオフが常に大きいのに価格が安い()とすれば、 のコールを買い のコールを売ることで、時刻0に正の収入を得て満期に非負のペイオフを受け取れます。裁定なので、 です。

凸性の証明。 ()とします。凸性が破れている、つまり

と仮定します。次のポートフォリオを組みます。

  • 行使価格 のコールを 枚買う
  • 行使価格 のコールを 枚買う
  • 行使価格 のコールを1枚売る

時刻0のコストは です。つまり正の金額を受け取ります。

満期のペイオフを確認します。ペイオフ関数 は について凸です(折れ線の加重平均は折れ線以下)。したがって任意の に対して

この不等式を確認します。 の範囲で場合分けします。

のとき、3つとも 0 です。左辺 右辺。

のとき、左辺 右辺。

のとき、左辺 、右辺 。差は

なので非負です。

のとき、左辺 右辺。

全ての場合で左辺 右辺です。つまり満期のポートフォリオ価値は常に非負です。時刻0に正の金額を受け取り、満期に損失がないので裁定です。(4.1) は成り立ちません。 ∎

THM-AB-3 の証明

アメリカンコールの場合。 とします。満期 のアメリカンコールは、 時点で行使することもできます。つまり満期 のアメリカンコールでできることは全て、満期 のアメリカンコールでもできます。選択肢が広いほうが価値は高いので、 です。

ヨーロピアンコール(配当なし)の場合。 ヨーロピアンコールには早期行使の権利がないため、上の議論はそのまま使えません。代わりに THM-AB-1 の下限を使います。

配当がない場合、ヨーロピアンコールの下限は です。 が大きいほど は小さくなるので、 も小さくなります。したがって下限 は について増加します。

もし であれば、満期 のコールを買い、満期 のコールを売ります。時刻0に を受け取ります。時刻 で売ったコールの決済が必要ですが、配当がなければ、時刻 で見た満期 のコールの価値は THM-AB-1 より少なくとも です。 より なので、これは 以上です。これは売ったコールの支払い 以上なので、損失は生じません。

よって配当なしのヨーロピアンコールでも が成り立ちます。 ∎

各定理の証明は全て同じ構造です。「境界を破る価格が存在する」と仮定し、具体的な売買の組を作り、時刻0に正の受取、満期に非負の価値を示して裁定にする。原資産の分布は一切使いません。

5. 反例 ― 凸性が破れるとバタフライで取れる

CEX-AB-1: 上限を超える価格から確定利益を取る

、、、 とします。割引係数は です。

コールの上下限は

です(下限は の厳密値)。

上限を超える場合。 仮にコール価格が で取引されていたとします。コールを売り、株を買います。時刻0の受取は

満期には、コールが行使されれば株を渡して を受け取り、行使されなければ株を持ち続けます。どちらも非負です。5 が確定利益です。

下限を下回る場合。 仮に で取引されていたとします。下限 を下回っています。コールを買い、株を空売りし、 を安全資産に置きます。時刻0の受取は

です(厳密値 )。満期の価値は、証明で示した通りどの場合も非負です。2.7619 が確定利益です。

CEX-AB-2: バタフライで凸性違反を刈る

行使価格 、、 のコールが次の価格で取引されているとします。

行使価格 コール価格
90 18
100 12
110 5

は の中点なので です。凸性の右辺は

ところが です。凸性が破れています。

バタフライを組みます。 のコールを1枚買い、 のコールを1枚買い、 のコールを2枚売ります。時刻0のコストは

つまり 1 を受け取ります。

満期のペイオフを確認します。

  • : 全て無価値、ペイオフ 。
  • : 。
  • : 。
  • : 。

全ての場合で非負です。 のとき最大値 10 を取ります。時刻0に 1 を受け取り、満期に非負のペイオフ。裁定です。

CEX-AB-3: 配当があると長い満期のほうが安くなる

配当がある場合、THM-AB-3 のヨーロピアンコールに関する結論が崩れます。

、、 とし、満期 までの間に現在価値 の配当が支払われるとします。

短い満期 (配当支払い前)のコール下限は

長い満期 (配当支払い後)のコール下限は

これは負なので 0 にクリップされます。長い満期のほうが下限が低くなりました。

直感的には、配当の支払いによって原資産価格が下がるため、コールの価値が減ります。この効果が十分大きいと、満期が長いほうがコール価格が安くなることがあります。THM-AB-3 で「配当なし」を仮定した理由がここにあります。

6. 数値例 ― 上下限と、破ったときの利益を出す

、、、 でコールの裁定境界を確認します。

量 値
コール上限 100
コール下限 4.7619
プット上限 95.2381
プット下限 0

コール価格はこの帯の中になければなりません。上限を超える 105 が付けば 5 の確定利益、下限を下回る 2 が付けば 2.7619 の確定利益を、それぞれ裁定で取れます。

凸性の確認として、整合的な価格組の例を挙げます。, , のとき、凸性の右辺は です。凸性を満たしています。

一方、, , では となり凸性が破れます。バタフライで 1 の確定利益が取れます。

これらの結果は原資産の分布に一切依存していません。モデルなしでも価格の帯は決まります。ただし帯の中のどこに価格があるかを特定するには、分布のモデルが必要です。

7. 次回へ ― 1期間の結果を繰り返す

今回はモデルを使わずに価格の上下限・単調性・凸性を示しました。しかし帯の中の1点を指すことはできません。1点に決めるには原資産のモデルが必要です。

次回は、第43回で導入した1期間二項モデルを多期間に拡張します。1期間の複製をツリーの各ノードで後ろ向きに繰り返すことで、より現実に近い価格が計算できるようになります。

次のマイルストーンまであと 4 本です。

よくある質問

境界だけで価格が分かりますか

分かりません。幅が出るだけです。1点に絞るにはモデルが要ります。

バタフライとは何ですか

3つの行使価格を組み合わせた建玉です。凸性が破れているときに確定利益を生みます。

この境界は現実に守られていますか

おおむね守られています。破れてもすぐに取引で消えます。

参考文献

  1. Merton R. C.、Theory of Rational Option Pricing、The Bell Journal of Economics and Management Science、1973年、DOI 10.2307/3003143
  2. Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

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