第74回 ヘッジの損益 ― ガンマとセータの綱引き

第74回 ヘッジの損益 ― ガンマとセータの綱引き

位置: 第7部 第74回 / 前提: 第68回、第70回 / 数学編: M2、M3 / この回でできるようになること: デルタヘッジしたオプションの日々の損益を、ガンマとセータの寄与に分解できる

目次

0. 物語 ― デルタ中立なのに損益が出る

コールオプションを売ったあと、方向リスクを完全に消すにはどうすればいいでしょうか。教科書の答えは「デルタの分だけ株を買え」です。株が少し上がったときの損と、オプション側の動きがちょうど打ち消し合うように株の量を調節する。これがデルタヘッジと呼ばれる操作です。

では、デルタヘッジを完璧に組んだら、損益はゼロになるのでしょうか。

答えは「いいえ」です。株価が100円のとき、コール1枚を売ってデルタ分の株を買い、デルタ中立を保ったとします。翌日、株が3円動いたとします。方向リスクは消えているはずなのに、手元には約0.06円の損失が残ります。逆に、株がまったく動かなかった日には、約0.03円の利益が出ます。

からくりはこうです。オプションの価格は株価に対してまっすぐではなく、曲がっています。株が動くと、この曲がりの分だけオプションの持ち手は得をし、売り手は損をします。これがガンマの効果です。一方、オプションには満期があるので、時間が経つだけで価値が減ります。売り手にとっては、この目減りが日々の稼ぎになります。これがセータの効果です。デルタヘッジは方向の動きを消しますが、曲がりの効果と時間の効果は消えません。

毎日のヘッジ損益は、この2つの力の綱引きで決まります。株が大きく動けばガンマが勝ち、動かなければセータが勝ちます。そしてもし、実際の株価の動きの大きさが、オプション価格に織り込まれた動きの大きさとぴったり一致するなら、1年を通した損益の平均はゼロになります。織り込みより大きく動けば売り手が損をし、小さく動けば売り手が得をします。

今回は、この綱引きの構造をきちんと式で分解し、何が損益を決めるのかを証明します。

1. 動機 ― ヘッジしていると何で損益が出るのか

この回を読み終えると、デルタヘッジしたオプションの日々の損益を、ガンマとセータの寄与に分解できます。

デルタ中立にしても残る損益の正体は、オプション価格の二次の項(ガンマ)と時間減価(セータ)の綱引きです。今回は、この構造をテイラー展開で分解し、実現ボラティリティと織り込みボラティリティの差が損益を決めることを証明します。

この記事で証明すること

  • THM-PNL-1 デルタ中立の微小時間の損益は、 で近似できます。
  • THM-PNL-2 ブラック・ショールズ方程式は、原資産が理論どおりに動いたときにこの2つの項がちょうど打ち消し合うことを述べています。
  • THM-PNL-3 損益の期待値は、実現ボラティリティと織り込みボラティリティの差によって決まります。

2. 設定と仮定 ― デルタ中立の建玉

以下の仮定を置きます。

  • デルタ中立を各時点で保つ。
  • 金利は一定。金利による項は小さいものとして扱う。
  • ボラティリティ一定のもとでの価格式(ブラック・ショールズ式)を使う。
  • 数値実験ではシードを42に固定する。

コールオプションを1単位ショートし、デルタ 単位の原資産をロングします。ポートフォリオの価値は

デルタ中立とは に保つことです。 が微小に動いても の変化がほぼゼロになります。

この節のまとめ: デルタ中立は方向リスクを消しますが、二次以上の効果と時間の効果が残ります。

3. 主張 ― 損益は2つの項の差である

定理 THM-PNL-1(損益の分解) コールを1単位ロングし、デルタ中立に保つように原資産をショートした建玉の微小時間 の損益は

で近似できる。ここで 、 である。コールを売ってデルタ分の原資産を買った建玉の損益は、この符号を反転したものである。

定理 THM-PNL-2(両者の釣り合い) ブラック・ショールズ方程式 のもとで、 の期待値が に等しいとき、 はゼロになる。ここで は建玉の現金に付く金利であり、 ならこの項は消えて となる。

定理 THM-PNL-3(実現ボラティリティとの関係) 実現ボラティリティ と、価格に織り込まれたボラティリティ が異なるとき、デルタヘッジの累積損益(建玉の現金に付く金利を含む)の期待値は、 に正の係数を掛けたものであり、その符号はこの差の符号で決まる。

この節のまとめ: 買い手側から見ると、ガンマ項は原資産の動きから利益を得、セータ項は時間の経過で損失を被ります。売り手ではこの損得が逆になります。両者がちょうど釣り合うのがBS方程式の世界です。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― テイラー展開して項を整理する

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第2回「テイラー展開」、数学編 第3回「偏微分、全微分、多変数のテイラー展開」へ。

THM-PNL-1 の証明

コール価格 を と の関数として、テイラー展開します。 が だけ動き、時間が だけ進んだとき

(ポジションのデルタと同じ記号ですが文脈で区別します)、、 です。

デルタ中立のポートフォリオ の変化は

これが売り手の損益です。符号を反転させた、コールを1単位ロングしデルタ 単位の原資産をショートした建玉(以下、買い手側)の損益は

で、これが THM-PNL-1 の式です。(コールのガンマは正)、(コールのセータは負)なので、第1項は正、第2項は負です。買い手側では、原資産が大きく動くほどガンマの利益が増え、動かなければセータの損だけが残ります。売り手の損益は (4.2) の符号を反転したものなので、大きく動くほど損をし、動かなければセータの分を受け取ります。 ∎

THM-PNL-2 の証明

ブラック・ショールズ方程式は

金利項 は、買い手側の建玉が持つ現金 (原資産の空売り代金からコールの代金を引いた額)に付く単位時間あたりの金利です。THM-PNL-1 の分解ではこの金利を別扱いにしましたが、数値例のパラメータでは年率で に対して金利項は で、無視できる大きさではないので、ここでは損益に含めます。すると1期間の損益は (4.2) に を足したものになり、(4.3) を移項すると

が近似ではなく等式として成り立ちます。 なら金利項は初めから消え、(4.4) は になります。

一方、原資産が織り込みボラティリティ で動くとき、 の期待値は

金利を含めた損益 (4.2) の期待値に、(4.5) と (4.4) を順に代入します。

2つの項がちょうど打ち消し合います。BS方程式は「理論どおりに動く世界ではヘッジの期待損益がゼロになる」ことを述べているのです。 ∎

THM-PNL-3 の証明

原資産が実現ボラティリティ で動くとき、 の期待値は です。しかしセータと金利項は織り込みボラティリティ の価格式から計算されるので、(4.4) は のまま成り立ちます。 はその期の初めに決まっているので、その時点の情報のもとでの期待値は

ですから、 なら買い手側の期待損益は正(売り手が損)、 なら買い手側の期待損益は負(売り手が得)です。

1年分を積み上げ、各期の条件付き期待値にさらに期待値をとると、累積期待損益は

です。 なので和は正であり、符号は で決まります(和の大きさは経路の分布を通じて にもよるので、厳密な比例ではありません)。実現ボラティリティが織り込みを上回れば売り手が損をし、下回れば儲かります。 ∎

5. 反例 ― 動かなければ時間の損だけが残る

CEX-PNL-1: ガンマが正でも儲からない場合

CEX-PNL-1 と CEX-PNL-2 の日次損益は、(4.2) と同じく買い手側(コールをロングしデルタ分をショート)から見た値です。売り手の損益はこの符号を反転したものになります。

, , , 年のコールのグリークスは

値
(日次)

原資産が動かなかった日の損益は

ガンマが正でも、原資産が動かなければセータの損 だけが残ります。ガンマは動いたときに利益を生む力であって、動かなければ何も起きません。

原資産が 動いた日の損益は

ガンマの利益 がセータの損 を大きく上回ります。

CEX-PNL-2: デルタ中立でも損益は出る

原資産が 動いた日の損益は

デルタ中立は方向リスクを消しますが、二次の効果(ガンマ)と時間の効果(セータ)は残ります。デルタ中立は「無リスク」ではありません。

CEX-PNL-3: 実現ボラティリティが高くても経路でばらつく

実現ボラティリティ のとき、THM-PNL-3 から売り手の期待損益は負です。以下の表はコールを売ってデルタヘッジした売り手の累積損益です。シミュレーション(10000経路)の結果

実現ボラティリティ 平均損益 標準偏差 5%点 95%点
15%
20%
25%

(織り込みより低い)なら平均 で売り手が得です。しかし個別の経路を見ると、(織り込みと同じ)でも5パーセント点は 、95パーセント点は と、かなりのばらつきがあります。

さらに、同じ でもシードを変えると

シード 平均損益 標準偏差
42
43
44
45
46

平均はほぼゼロですが、個々のポジションの標準偏差は約 で一定です。「平均としてはゼロ」でも、1回のヘッジでは相応のリスクが残ります。

この節のまとめ: ガンマが正でも動かなければ損、デルタ中立でも損益は出ます。実現ボラティリティが有利でも、経路ごとのばらつきは消えません。

6. 数値例 ― 日次損益を1年分積み上げる

, , , , 年で、コール1枚を売ってデルタヘッジを252営業日行います。

初期のグリークス:

損益の分解(初日、 のとき。(4.2) の買い手側の値で、売り手は符号が反転します):

小さな動きではセータが勝ちます。 なら合計 でガンマが勝ちます。

1年間の累積損益は実現ボラティリティで決まります。次の表は売り手の累積損益です。

累積損益の平均
15% (売り手に有利)
20% (釣り合い)
25% (売り手に不利)

のとき、平均損益はほぼゼロです。これが THM-PNL-2 の帰結で、BS方程式の世界では日々の綱引きが1年を通じて打ち消し合います。

この節のまとめ: ヘッジ損益は日々のガンマとセータの差の積み重ねで、実現ボラティリティが織り込みと一致すれば累積は平均ゼロです。

7. 次回へ ― 現実のヘッジ誤差

今回は、デルタヘッジの損益がガンマとセータの2つの項に分解され、BS方程式のもとで両者が釣り合うことを証明しました。実現ボラティリティと織り込みボラティリティの差が損益の源泉です。

次回(第75回)では、離散ヘッジと取引コストを考えます。現実のヘッジ誤差がどこから来るのか、連続ヘッジとの乖離を定量化します。

次のマイルストーンまであと 3 本です。

よくある質問

ガンマが正だと何が良いのですか

原資産が動くほど得をします。ただし動かないと時間の経過で損をします。

デルタ中立にすれば安全ですか

小さな動きには強くなりますが、大きな動きには対応できません。

実現ボラティリティとは何ですか

実際に観測された変動の大きさです。価格に織り込まれた値との差が損益の源になります。

参考文献

  1. Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
  2. Wilmott P.、Paul Wilmott on Quantitative Finance、第2版、Wiley、2006年

数値例は compute.py によるモンテカルロシミュレーション(シード42)で検算済み。

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