第73回 先物オプション ― Black-76 と、先物と先渡の違い

位置: 第7部 第73回 / 前提: 第16回、第64回、第71回、第72回 / 数学編: なし / この回でできるようになること: 先物を原資産とするオプションを Black-76 で計算し、先物と先渡の違いが効く場面を説明できる
0. 物語 ― 値洗いは損益に影響しないのか
新人トレーダーが、先物のオプションを値付けするよう頼まれました。先物の価格は100。行使価格も100。満期まで1年。「先物の値段をそのまま原資産として、いつもの式に入れればいいだろう」。計算結果は10.45でした。
ところが、先輩に見せると即座に却下されます。「正しくは7.58だ。4割近く過大評価している」。新人は驚きます。先物の価格は100で、株と同じ数字なのに、なぜ答えが変わるのか。
理由は、先物を持つのにお金が要らないことです。株を買うなら100を払って手元から現金が出ていきますが、先物はゼロ円で建てられます。いつもの式は「100を払って株を手に入れた」という前提で組まれているので、資金を寝かせていない先物に使うと、寝かせていない分の利息まで価格に乗ってしまいます。
もう一つ、新人が見落としていたのは「値洗い」です。先物を持っていると、毎日の値動きが証拠金口座に入ったり出たりします。入ってきたお金には利息が付き、出ていったお金にも利息が掛かります。「差金決済は満期の損益には関係ないだろう」と新人は思っていましたが、実際に1万回のシミュレーションを回すと、損益のばらつきは利息効果なしで約20.09、ありで約20.60と、目に見える差が出ました。
この回では、先物を原資産とするオプションに正しい式を導きます。先物には「値段が平均的に変化しない」という性質があり、それを使えば、いつもの式から金利の項を消すだけで正しい答えが出ます。さらに、先物と似ているようで微妙に違う「先渡」との関係も整理します。
1. 動機 ― 先物を原資産にすると何が変わるか
この回を読み終えると、先物を原資産とするオプションを Black-76 で計算し、先物と先渡の違いが効く場面を説明できます。
第71回で配当利回りを導入し、原資産を割り引けば式が同じ形になることを見ました。先物は配当を出しませんが、そもそも保有するのに資金が要りません。この「保有コストゼロ」の性質が、配当利回りを金利に等しく置く、という一見奇妙な処方箋の根拠です。
今回は Black-76 の式を導き、先物価格がリスク中立測度のもとでマルチンゲールであることを示します。さらに、先物と先渡が一致する条件と一致しない条件を明確にします。
この記事で証明すること
- THM-FUT-1 先物価格を原資産とするオプションの価格は、配当利回りを金利に等しく置いた場合の式(Black-76)に一致します。
- THM-FUT-2 リスク中立測度のもとで先物価格はマルチンゲールです。先渡価格とは値洗いの有無で異なります。
- THM-FUT-3 金利が確定しているとき先物価格と先渡価格は一致します。金利が確率的なとき両者はずれます。
2. 設定と仮定 ― 先物価格と値洗い
以下の仮定を置きます。
- 金利は確定で一定。確率的な場合は結論だけ触れる。
- 先物は毎日値洗いされる。日々の価格変動が証拠金口座に入出金される。
- 取引コストはない。
- ヨーロピアン型。
先物契約は、満期に原資産を引き渡す(受け取る)契約ですが、先渡と違って毎日の差金決済(値洗い)があります。先物価格が上がれば買い手の口座に入金、下がれば出金されます。
先渡契約には値洗いがなく、損益は満期にまとめて精算されます。
金利が確定しているとき、先物価格と先渡価格は同じ値になります。しかし金利が確率的なとき、値洗いで出入りする資金に付く金利が原資産と相関するため、両者はずれます。
この節のまとめ: 先物の特徴は毎日の値洗いです。金利が一定なら先渡と同じですが、確率的なら差が生じます。
3. 主張 ― 配当利回りを金利に等しく置けばよい
定理 THM-FUT-1(Black-76 の式) 先物価格
を原資産とするヨーロピアンコールの価格は である。ただし
これは第71回の式で配当利回り
を金利 に等しく置いたものである。
定理 THM-FUT-2(先物価格はマルチンゲール) リスク中立測度
のもとで、先物価格 はマルチンゲールである。すなわち 金利が確定しているときは先渡価格
も同じ過程でありマルチンゲールであるが、金利が確率的なとき、先渡価格は一般に のもとでマルチンゲールにならない( のもとでマルチンゲールなのは割引後の原資産価格である)。
定理 THM-FUT-3(先物と先渡が一致する条件) 金利が確定しているとき、先物価格と先渡価格は一致する。金利が確率的なとき、原資産と金利の共分散に応じて両者はずれる。
この節のまとめ: Black-76 は「配当利回り=金利」の特殊ケースであり、先物価格がマルチンゲールであることから導かれます。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 先物価格がマルチンゲールであることを使う
この節は読まなくても記事は完結します。
THM-FUT-2 の証明
先物契約に参入するのにコストはかかりません。買い建てのポジションを取った瞬間の価値はゼロです。時刻
リスク中立測度のもとで、ゼロコストのポジションの利得の割引現在価値の期待値はゼロでなければなりません。値洗いで受け取った
が成り立ちます。これは
ドリフト項がありません。
一方、原資産の価格過程は
THM-FUT-1 の証明
第71回の結果を使います。配当利回り
でした。先物の保有コストはゼロなので、
ですが、先物価格
THM-FUT-3 の証明(要点)
金利が確定しているとき。 先渡価格は
これは次のように確認できます。原資産を1単位空売りして
金利が確率的なとき。 値洗いで日々出入りする資金に付く金利が変動します。原資産が上がるときに金利も上がると(正の相関)、値洗いで受け取った利益を高い金利で運用できるため、先物の買い手が有利になります。裁定がなくなるまで先物価格が上がるので
5. 反例 ― 先物と先渡は常に同じではない
CEX-FUT-1: 金利と原資産が相関するケース
シミュレーション(シード42、50000経路)で、原資産と金利の相関
金利が確定しているなら共分散はゼロで、先物と先渡は一致します。
CEX-FUT-2: 通常の式を先物にそのまま使う誤り
先物価格
が得られます。正しい Black-76 の値は
です。差は
通常の式では
CEX-FUT-3: 値洗いによる資金の出入り
先物を1枚買い建てた場合の値洗いの累積を見ます(
| 金利効果なし | 金利効果あり | |
|---|---|---|
| 累積の平均 | ||
| 累積の標準偏差 |
金利効果を含めると、標準偏差が
この節のまとめ: 先物と先渡は金利が確定なら同じですが、相関がある場合や値洗いの金利効果を考慮すると差が生じます。
6. 数値例 ― Black-76 で価格を出す
ATM(
配当利回い=金利の検算: 第71回の配当つき式に
通常式との差: 先物価格を通常のBS式にそのまま入れると
この節のまとめ: Black-76 は
7. 次回へ ― ガンマとセータの綱引き
今回は、先物オプションの価格を Black-76 で求める方法を確認しました。先物価格のマルチンゲール性が鍵で、配当利回いを金利と等しく置くだけで式が得られます。先物と先渡は金利が確定なら一致しますが、確率的な場合はずれることも見ました。
次回(第74回)では、ヘッジの損益を分析します。デルタ中立に保った建玉で、ガンマによる利益とセータによる損失がどう釣り合うかを見ます。
次のマイルストーンまであと 4 本です。
よくある質問
先物と先渡はどう違うのですか
先物は毎日差金決済されます。その資金の出入りに金利が付くため、理論価格がずれます。
なぜ配当利回りを金利に等しく置くのですか
先物を持つのに資金が要らないからです。保有コストが無い資産と同じ扱いになります。
実務ではどちらを使いますか
商品先物や金利商品では Black-76 が標準的に使われています。
参考文献
- Black F.、The Pricing of Commodity Contracts、Journal of Financial Economics、1976年、DOI 10.1016/0304-405X(76)90024-6
- Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
数値例は compute.py により浮動小数点演算で検算済み。シミュレーションはシード42で実行。

