第19回 期待値と分散と共分散 ― 分布を少数の数に要約する

第19回 期待値と分散と共分散 ― 分布を少数の数に要約する

位置: 第3部 第19回 / 前提: 第18回 / 数学編: M14 / この回でできるようになること: ポートフォリオの期待値と分散を、個別資産の期待値・分散・共分散から計算できる

目次

0. 物語 ― 相関が0なのに独立でない

「先輩、相関がゼロなら、二つの量は関係ないと言っていいですよね」

新人の質問に、先輩は少し黙ってからホワイトボードに数字を書き始めました。

「こういう例を考えてみよう。ある測定値が、マイナス1、0、プラス1のどれかを同じ確率で取る。そして、その測定値を二乗した値を別の量として記録する」

新人はうなずきます。マイナス1なら二乗で1、0なら0、プラス1なら1。記録される値は、元の測定値から自動的に決まります。

「この二つの量の共分散を計算すると、ちょうど0になる。正の方向と負の方向が対称に打ち消し合うから、直線的な関係の強さを測る共分散はゼロを返すんだ」

先輩はマーカーのキャップを閉じて続けます。

「でも、元の値が0だとわかった瞬間に、二乗した値も0だと確定する。一方で、何も知らない状態で二乗した値が0になる確率は三分の一しかない。つまり、片方を知れば、もう片方の振る舞いが変わる。これは関係がないとは言えないよね」

新人は首をかしげました。相関ゼロなのに、片方の情報がもう片方を完全に決めてしまう。

「共分散や相関係数が捕まえるのは、二つの量が直線的にどれだけ連動するかだけだ。曲がった関係は、たとえどれほど強くても、相関の数値には現れないことがある。相関ゼロを『無関係』と読み替えると、こういう落とし穴にはまる」

この回では、期待値・分散・共分散が分布のどの側面を要約し、どの側面を取りこぼすのかを、定義から証明していきます。

1. 動機 ― 分布全体は重いので、少数の数に潰したい

この回を読み終えると、ポートフォリオの期待値と分散を、個別資産の期待値・分散・共分散から計算できます。

前回、確率変数がどの値をどのくらいの確からしさで取るかを記述する分布を導入しました。分布は確率変数の完全な情報を持っていますが、完全すぎて扱いにくいことがあります。株の満期価値がどうなるかを語るたびに、全ての状態と確率の表を引っ張り出すわけにはいきません。

そこで、分布を少数の数に要約する道具として、期待値・分散・共分散を導入します。期待値は分布の「重心」、分散は「ばらつきの大きさ」、共分散は「2つの変数が一緒に動く度合い」です。これら3つの数は、金融の計算ではほぼ毎回登場します。

今回の主題は、これらの量がどんな計算規則に従うかを定義から証明することです。特に、期待値が足し算に対して完璧に振る舞う一方、分散は足し算を素通しできないことを、式と数値の両方で見ます。

この記事で証明すること

  • THM-EV-1 期待値は線形です。任意の確率変数 , と実数 , について が成り立ちます。 と が独立である必要はありません。
  • THM-EV-2 分散は と分解でき、和の分散は です。
  • THM-EV-3 コーシー・シュワルツの不等式により、相関係数は 以上 以下に収まります。

2. 設定と仮定 ― 期待値と分散の定義

この記事では、確率変数が有限個の値を取る場合のみ扱います。以下の仮定を置きます。

  • 確率変数は有限個の値を取り、期待値と分散は有限です。
  • 期待値は確率で重み付けした和として定義します。
  • 分散は平均からのずれの2乗の期待値です。
  • 数値に単位は付けません。

標本空間 が有限で、各状態の確率が 、 のとき、確率変数 の期待値を次で定義します。

これは各値を「どのくらい起こりやすいか」で重み付けして足したものです。

確率変数 の分散を次で定義します。

分散は「平均からどれだけ散らばっているか」を測ります。定義から、分散は常に 以上です。

2つの確率変数 , の共分散を次で定義します。

と が一緒に平均から上振れする(または一緒に下振れする)傾向が強ければ共分散は正、逆方向に動く傾向が強ければ負になります。特に です。

共分散の大きさは , のスケールに依存するため、標準化した量として相関係数を定義します。

ただし かつ のときにのみ定義します。

以上が、分布を要約する3つの量の定義です。

3. 主張 ― 足し算には強く、掛け算には弱い

3つの定理を正確に述べます。期待値は足し算(線形結合)を自由に通しますが、分散は共分散の項を伴います。

定理 THM-EV-1(期待値の線形性) 任意の確率変数 , と実数 , について

が成り立つ。 と が独立である必要は無い。

定理 THM-EV-2(分散の分解) (a) 任意の確率変数 について

(b) 任意の確率変数 , について

定理 THM-EV-3(コーシー・シュワルツの不等式) 任意の確率変数 , について

したがって、 かつ のとき、相関係数は を満たす。

期待値の線形性は無条件で成り立つ点が重要です。2つの確率変数がどれほど複雑に絡み合っていても、期待値は足し算を通します。一方、分散は共分散の項が入るため、「分散も足し算を通す」とは言えません。この差が、金融でポートフォリオの分散を計算するときに核心になります。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 定義から線形性と分解を出す

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第14回「ルベーグ積分」へ。

THM-EV-1 の証明

期待値の定義 (1.1) に を代入します。

有限和の各項を分配法則で分けます。 は実数なので、各項の積は自由に組み替えられます。

有限和は項ごとに分割できます。

定義 (1.1) により、各和はそれぞれ 、 です。

この導出は と の関係に何も仮定を使っていません。和を分割する操作と定数を括り出す操作だけで成り立ちます。独立性が不要であることは、証明のどこにも独立性の条件が一度も使われていないことで確かめられます。 ∎

THM-EV-2(a) の証明

分散の定義 (1.2) を展開します。

とおきます。2乗を展開するために を代入します。

THM-EV-1(期待値の線形性)を使って、期待値を項ごとに分けます。 は定数なので外に出せます。

を代入すると、第2項と第3項が相殺します。

この公式は「2乗の期待値から、期待値の2乗を引く」と覚えます。計算では定義 (1.2) より使いやすいことが多いです。 ∎

THM-EV-2(b) の証明

共分散の定義 (1.3) をまず展開しておきます。、 とおきます。

積を展開します。

期待値の線形性(THM-EV-1)で項ごとに分けます。

、 を代入します。

これが共分散の計算公式です。ここから和の分散を出します。

THM-EV-2(a) を に適用しました。右辺の各項を展開します。

線形性(THM-EV-1)で和を項ごとに分けました。次に

線形性で としてから2乗を展開しました。引き算します。

第1括弧と第2括弧は THM-EV-2(a) そのもの、第3括弧は (4.1) そのものです。 ∎

THM-EV-3 の証明

実数 をパラメータにした確率変数 を考えます。分散は非負なので

が任意の について成り立ちます。 の平均は なので、 です。 を展開します。

線形性で項ごとに分けます。

これは の2次関数 です。 のとき、 が全ての で成り立つには、判別式が 以下でなければなりません。

両辺を で割ります。

両辺の平方根を取ると

これがコーシー・シュワルツの不等式です。相関係数の定義 (1.4) の分子と分母に適用すると

すなわち です。

の場合は が定数なので となり、右辺も 0 なので、不等式は両辺が 0 の等号として成り立ちます。 ∎

5. 反例 ― 無相関は独立を意味しない

CEX-EV-1: 分散は線形ではない

「期待値が線形なら分散も線形だろう」と思うかもしれません。これは誤りです。(株価)を使って確かめます。

です。 の分散を計算すると です。

「分散も線形」と仮定すると と予想しますが、実際の値 の半分しかありません。

なぜずれるかは THM-EV-2(b) で説明できます。 です。 なので

を2回足すと、ばらつきが2倍ではなく4倍になります。同じ確率変数を足す以上、上振れも下振れも完全に連動するため、ばらつきが増幅されます。共分散の項を落とすと、この増幅を見落とします。

CEX-EV-2: 無相関だが従属な確率変数

が の各値を等確率 で取るとします。 と定義します。

です。 を計算します。

共分散の計算公式 (4.1) から です。

共分散はゼロですが、 は から完全に決まります。独立であれば が成り立つはずですが、 に対して なので、両者は一致しません。

この不一致は、 が と曲がった関係を持っているために起こります。共分散は2つの変数の直線的な関係の強さだけを捕まえます。 の分布が原点に関して対称なので、正方向と負方向が打ち消し合い、共分散はゼロになります。しかし という関係は対称性に影響されず残っています。

「無相関ならば独立」は一般には偽です。

CEX-EV-3: 期待値がどの実現値とも一致しない

確率変数 が確率 で 、確率 で を取るとします。

期待値は ですが、 が取りうる値は と だけで、 は実現値に含まれません。

期待値は「よくある値」や「次に出る値」ではなく、確率で重み付けした加重平均です。分布の重心と考えれば、重心が物体上にある必要はないのと同じです。期待値だけを見て「次は が出るだろう」と判断すると、必ず外れます。

反例は言葉ではなく数値で壊れることを示しました。

6. 数値例 ― 株価とコールで3つの数を出す

第45回(a) と同じ1期間2状態モデルを使います。, , , , , 上昇の主観確率 です。

上昇 下落
120 90
コールのペイオフ 20 0

期待値:

分散(THM-EV-2(a) を使います):

共分散(公式 (4.1) を使います):

相関係数:

相関係数が になりました。これはコーシー・シュワルツの不等式(THM-EV-3)の上限に触れています。2状態モデルでは、コールのペイオフが株価のアフィン変換(。 で 、 で )になるため、完全に正の直線関係が成り立ちます。

相関が になる例: とします。上昇で 、下落で です。共分散は 、 なので

が の符号を反転させたアフィン変換であるため、完全に負の直線関係です。

Var(X + X) の確認(CEX-EV-1 の数値を再掲します): 、 であり、 ではありません。

以上の数値は全て compute.py による有理数演算で検算済みです。

7. 次回へ ― なぜ正規分布が出てくるのか

期待値と分散で分布を要約できることがわかりました。しかし、2つの数だけで分布の形が決まるわけではありません。同じ期待値と分散を持つ分布は無数にあります。

次回(第20回)では、金融の世界で特に頻繁に登場する分布の形を取り上げます。なぜその分布が出てくるのか、そしてどこで出てこないのかを見ます。

次のマイルストーンまであと 23 本です。

よくある質問

期待値は平均的に起こる値ですか

長く繰り返したときの平均です。1回の結果を予想する値ではありません。1回しか起きない事象では特に注意が要ります。

分散と標準偏差はどちらを使いますか

計算には分散、読むときには標準偏差が便利です。標準偏差は元の量と単位が揃います。

相関が0なら関係がないのですか

直線的な関係が無い、という意味だけです。曲がった関係はそのまま残っていることがあります。

参考文献

  • 伊藤清、確率論、岩波書店、1991年
  • Billingsley P.、Probability and Measure、第3版、Wiley、1995年

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。

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