位置: 第9部 第90回 / 前提: 第89回 / 数学編: M25 / この回でできるようになること: 金利が負にならない条件と、今日のイールドカーブに合わせる方法を、CIR と Hull-White で計算できる
目次
0. 物語 ― そのまま離散化すると金利が負になる
金利がゼロ以下にならないモデルを作ったのに、コンピュータで計算したらマイナスの金利が出てきた――こんなことが本当に起こるでしょうか。
前回の Vasicek モデルには、弱点が2つありました。1つ目は、金利が負になりうること。2つ目は、今日の市場で観測されたイールドカーブの形を再現できないことです。
1つ目の弱点を直すアイデアは、金利の変動の大きさを金利の値そのものに連動させることです。金利がゼロに近づけば変動も自然に小さくなり、マイナスの領域に飛び出しにくくなります。これが CIR モデルの発想です。ただし、変動を抑える力が十分に強くなければ、それでもゼロに触れてしまいます。「変動を抑える力」と「ゼロから引き戻す力」のバランスについて、ある数値条件が存在します。
2つ目の弱点を直すアイデアは、もっと素朴です。Vasicek モデルで固定されていた長期水準を、時間とともに変化できるようにします。自由度が増えるので、市場が示す複雑なカーブの形にぴったり合わせられるようになります。これが Hull-White モデルです。ただし、カーブの水準が合っても、金利の変動の大きさまで合うとは限りません。水準と変動は別の問題なのです。
さて、冒頭の問いに戻りましょう。CIR モデルを1万本の経路でシミュレーションしたところ、数値条件を満たさないパラメータでは、全計算ステップのうち約2.3パーセントで金利がマイナスになりました。理論上は(ゼロに触れることはあっても)負にはならないはずなのに、連続的な数式を時間刻みで近似する際に、一歩の変動がゼロを飛び越えてしまうのです。条件を満たすパラメータに変えると、マイナスは1回も起きませんでした。モデルの理論的な性質と、それを計算機で再現するときの落とし穴は、区別して理解する必要があります。
1. 動機 ― Vasicek の弱点を2方向から直す
この回を読み終えると、金利が負にならない条件と、今日のイールドカーブに合わせる方法を、CIR と Hull-White で計算できます。
前回の Vasicek モデルは、平均回帰という金利の本質的な性質を1本の確率微分方程式で捉えました。しかし2つの弱点が残っていました。
1つ目は、金利が負になりうることです。Vasicek の拡散項は定数 σ なので、金利がゼロに近づいても変動の大きさは変わりません。正規分布に従う以上、確率は小さくても負の領域に入ります。
2つ目は、今日の市場で観測されたイールドカーブに合わせられないことです。Vasicek のパラメータは κ, θ, σ の3つしかなく、市場が示す複雑なカーブの形を再現するには自由度が足りません。
今回は、この2つの弱点をそれぞれ別の方向から直した CIR モデルと Hull-White モデルを扱います。CIR は拡散項を σrt に変えることで金利の正値性を保ち、Hull-White は長期水準 θ を時間の関数 θ(t) にすることで任意のイールドカーブに一致させます。
この記事で証明すること
- THM-CIR-1 CIR モデルでは、2κθ≥σ2(フェラー条件)が成り立つとき、短期金利は正の値を保ちます。
- THM-CIR-2 CIR の割引債価格は指数アフィン形 P(t,T)=eA(τ)−B(τ)rt で書け、係数はリッカチ型常微分方程式の解として閉じた形で求まります。
- THM-HW-3 Hull-White モデルで長期水準を時間の関数にすると、今日観測されたイールドカーブに完全に一致させられます。
2. 設定と仮定 ― 拡散を変えるか、長期水準を変えるか
リスク中立測度 Q のもとで考えます。以下のすべての確率微分方程式は Q のもとでの記述です。
CIR モデル(Cox-Ingersoll-Ross, 1985)
drt=κ(θ−rt)dt+σrtdWt(1.1)
- κ>0: 平均回帰速度
- θ>0: 長期水準
- σ>0: ボラティリティパラメータ
- Wt: Q のもとでの標準ブラウン運動
Vasicek との違いは拡散項だけです。σ が σrt に変わっています。金利 rt が小さくなると拡散項 σrt も小さくなり、ゼロから遠ざかる方向にドリフト κ(θ−rt) が働きます。
Hull-White モデル(Hull-White, 1990)
drt=(α(t)−κrt)dt+σdWt(1.2)
- α(t): 時間依存のドリフト関数
- κ>0: 平均回帰速度
- σ>0: ボラティリティ
Vasicek の κθ(定数)を α(t)(時間の関数)に置き換えた形です。等価な長期水準は θ(t)=α(t)/κ と書けます。α(t) を適切に選ぶことで、モデルの割引債価格を市場の観測値に一致させます。
数値実験の共通パラメータ
- κ=0.3, θ=0.05, r0=0.03
- CIR: σ=0.1
- Hull-White: κ=0.1, σ=0.01、初期の短期金利は市場カーブから r0=f(0,0)=0.02
- 乱数のシードは 42 に固定
CIR と Hull-White は弱点の直し方が異なるため、どちらが正解ということではありません。目的に応じて使い分けます。
3. 主張 ― 正値性とカーブ適合
定理 THM-CIR-1(フェラー条件)
CIR モデル (1.1) において、
が成り立つとき、r0>0 ならば rt>0 がすべての t>0 でほとんど確実に成り立つ。
条件 (3.1) をフェラー条件と呼びます。数値例では 2×0.3×0.05=0.03≥0.01=0.12 なので成立します。
定理 THM-CIR-2(CIR の割引債価格)
CIR モデルのもとで、満期 T の割引債価格は
P(t,T)=eA(τ)−B(τ)rt(3.2)の形で書ける。ここで τ=T−t とおき、
B(τ)=(γ+κ)(eγτ−1)+2γ2(eγτ−1),(3.4)A(τ)=σ22κθln((γ+κ)(eγτ−1)+2γ2γe(γ+κ)τ/2).(3.5)
定理 THM-HW-3(Hull-White のカーブ適合)
Hull-White モデル (1.2) において、市場から観測された瞬間フォワードレート f(0,t) が t について微分可能で、初期の短期金利が r0=f(0,0) を満たすとする。
α(t)=∂t∂f(0,t)+κf(0,t)+2κσ2(1−e−2κt)(3.6)と定めると、モデルの割引債価格はすべての満期で市場の割引債価格に一致する。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― アフィン形の係数を解く
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第25回「常微分方程式」へ。
THM-CIR-1 の証明(要点)
フェラー条件のもとでの正値性は、確率微分方程式の理論(ベッセル過程との関係)から導かれます。ここでは要点を示します。
rt=0 に到達したと仮定します。そのとき拡散項は σ0=0 となり、ドリフト項は κ(θ−0)=κθ>0 です。ドリフトが正なので、rt はゼロから離れる方向に押し戻されます。
この直観を厳密にするために、Xt=rt と変数変換します。伊藤の公式を適用すると
dXt=2Xt1(κθ−4σ2−κXt2)dt+2σdWt
となります。Xt→0 のとき、1/(2Xt) の項が発散しますが、フェラー条件 2κθ≥σ2 のもとでは括弧内の κθ−σ2/4≥σ2/2−σ2/4=σ2/4>0 が保たれます。これにより、Xt がゼロに近いところでドリフトは正の方向に発散し、ゼロから押し戻す力が働きます。ただし、括弧内が正であること自体は 4κθ>σ2 だけで成り立つので、これだけではゼロに到達しないことまでは言えません。押し戻す力がブラウン運動の揺らぎに確実に勝つ境目が 2κθ=σ2 であることは、次のベッセル過程の理論で決まります。
厳密には、rt が二乗ベッセル過程のスケーリングで表現でき、次元パラメータ d=4κθ/σ2 が d≥2(フェラー条件と同値)のとき原点に到達しないことが、ベッセル過程の理論から示されます。 ∎
THM-CIR-2 の証明
ステップ1: 無裁定からの偏微分方程式。
割引債価格 P(t,T) は、rt と t の関数です。リスク中立測度のもとで、割引された債券価格はマルチンゲールでなければなりません。伊藤の公式を P に適用し、ドリフト項をゼロとおくと、次の偏微分方程式を得ます。
∂t∂P+κ(θ−r)∂r∂P+21σ2r∂r2∂2P−rP=0(4.1)
境界条件は P(T,T)=1、すなわち τ=0 のとき P=1 です。
Vasicek のときとの違いは、拡散の係数に r が掛かっている点です。これが B(τ) の常微分方程式の形を変えます。
ステップ2: 指数アフィン形の仮定。
P=eA(τ)−B(τ)r と仮定して偏微分方程式に代入します。τ=T−t なので ∂/∂t=−∂/∂τ です。各偏微分を計算します。
ここで A′=dA/dτ, B′=dB/dτ です。τ が増える方向が t とは逆なので符号に注意します。
∂r∂P=−B(τ)P,∂r2∂2P=B(τ)2P
ステップ3: 偏微分方程式に代入して整理。
(4.1) に代入し、両辺を P(正の値をとるので割れます)で割ります。
(−A′+B′r)+κ(θ−r)(−B)+21σ2rB2−r=0
r について整理します。r に依存しない部分と r の係数をそれぞれゼロとおきます。
r に依存しない部分:
r の係数:
B′(τ)+κB(τ)+21σ2B(τ)2−1=0(4.3)
Vasicek では B′(τ)+κB(τ)−1=0(1次の線形 ODE)でしたが、CIR では 21σ2B2 の項が加わり、リッカチ方程式(B の2次を含む ODE)になります。これが CIR の特徴です。
ステップ4: B(τ) のリッカチ方程式を解く。
境界条件は B(0)=0(τ=0 で P=eA(0)−B(0)r=1 より A(0)=0, B(0)=0)です。
(4.3) を標準形に書き直します。
右辺を −2σ2 で割って B の2次方程式の根を求めます。B が定数のとき B′=0 なので
の解は
ここで γ=κ2+2σ2 です。
リッカチ方程式の一般解は、2つの平衡点 B+,B− を使って部分分数分解で求まります。B(0)=0 の初期条件のもとで解くと
B(τ)=(γ+κ)(eγτ−1)+2γ2(eγτ−1)
を得ます。これが (3.4) です。
導出を詳しく見ます。B′=−2σ2(B−B+)(B−B−) と因数分解できるので、変数分離して
∫0B(τ)(B−B+)(B−B−)dB=−2σ2τ
左辺を部分分数分解します。B+−B−=2γ/σ2 なので
(B−B+)(B−B−)1=2γσ2(B−B+1−B−B−1)
積分を実行します。
2γσ2[lnB(τ)−B−B(τ)−B+−ln−B−−B+]=−2σ2τ
σ2/(2γ) で割ると
lnB(τ)−B−B(τ)−B+=lnB−B+−γτ
B+/B−=(−κ+γ)/(−κ−γ) であり、B+>0>B− なので絶対値を外して
B−B−B−B+=B−B+e−γτ=−κ−γ−κ+γe−γτ
B について解くために、R=B+/B−⋅e−γτ とおきます。
B−B+B(1−R)B=R(B−B−)=B+−RB−=1−RB+−RB−
分子を整理します。RB−=B+e−γτ なので、分子は B+−B+e−γτ です。
B=1−(B+/B−)e−γτB+(1−e−γτ)
指数の符号をそろえるため、分子分母に eγτ を掛けると
B(τ)=eγτ−B+/B−B+(eγτ−1)
B+/B−=−(γ−κ)/(γ+κ) より、分母は
eγτ+γ+κγ−κ=γ+κ(γ+κ)eγτ+γ−κ
分母の中の分数を消すため、分子分母に γ+κ を掛けます。γ2=κ2+2σ2 より B+(γ+κ)=(γ2−κ2)/σ2=2 なので、分子は 2(eγτ−1) です。分母は (γ+κ)eγτ+γ−κ=(γ+κ)(eγτ−1)+2γ と書き直せます。こうして (3.4) の形
B(τ)=(γ+κ)(eγτ−1)+2γ2(eγτ−1)
が得られます。
ステップ5: A(τ) を求める。
(4.2) より A′(τ)=−κθB(τ) です。A(0)=0 のもとで積分します。
B(s) の形から、この積分は対数の形に帰着します。被積分関数の分母を D(s)=(γ+κ)(eγs−1)+2γ とおくと
です。(3.5) の右辺を A~(τ) とおき、これが A~′=−κθB と A~(0)=0 を満たすことを確かめます。A′=−κθB の A(0)=0 を満たす解は上の積分でただ1つに決まるので、確かめられれば A=A~ です。
対数の中身を微分します。分子の対数の微分は (γ+κ)/2、分母の対数の微分は D′(τ)/D(τ) なので
dτdlnD(τ)2γe(γ+κ)τ/2=2γ+κ−D(τ)γ(γ+κ)eγτ=2D(τ)(γ+κ)(D(τ)−2γeγτ)
です。D(τ) の定義を代入すると D(τ)−2γeγτ=(γ+κ)(eγτ−1)−2γ(eγτ−1)=(κ−γ)(eγτ−1) です。係数 2κθ/σ2 を掛けて
A~′(τ)=σ2κθ(κ2−γ2)⋅D(τ)eγτ−1=−κθ⋅D(τ)2(eγτ−1)=−κθB(τ)
となります。2行目では κ2−γ2=−2σ2 を使いました。また A~(0)=σ22κθln(2γ/(0+2γ))=0 です。したがって A=A~ で、これが (3.5) です。 ∎
THM-HW-3 の証明
Hull-White モデル (1.2) は拡散項が定数 σ なので、Vasicek と同じ構造をもちます。違いはドリフトが時間に依存する点だけです。
ステップ1: 短期金利の明示解。
Vasicek と同様に、f(t)=rteκt とおいて伊藤の公式を適用します。
d(rteκt)=eκt(α(t)dt+σdWt)
0 から T まで積分すると
rT=r0e−κT+∫0Tα(s)e−κ(T−s)ds+σ∫0Te−κ(T−s)dWs(4.4)
rT は正規分布に従います。平均は
EQ[rT]=r0e−κT+∫0Tα(s)e−κ(T−s)ds
であり、α(t) を自由に選べるので、この平均を任意の関数にできます。
ステップ2: 平均が満たす常微分方程式。
平均を m(T)=EQ[rT] とおきます。上の平均の式を T で微分すると、積分の上端から α(T)、指数の中の T から −κm(T) が出るので
m′(T)=α(T)−κm(T),m(0)=r0(4.5)
です。α が与えられれば、m はこの1階線形常微分方程式の解としてただ1つに決まります。
ステップ3: 割引債価格を平均と分散で書く。
割引債価格には ∫0Trsds の分布が必要です。(4.4) を時刻 s について書いて 0 から T まで積分し、確率積分の部分で積分の順序を入れ替えます。∫uTe−κ(s−u)ds=B(T−u) なので
∫0Trsds=∫0Tm(s)ds+σ∫0TB(T−u)dWu
となります。ここで B(τ)=(1−e−κτ)/κ は Vasicek と同じ関数です。右辺第2項は確定的な関数の確率積分なので平均ゼロの正規分布に従い、伊藤の等長性から分散は V(T)=σ2∫0TB(T−u)2du です。
正規分布 Z∼N(μ,v) については E[e−Z]=e−μ+v/2 が成り立つので、
PHW(0,T)=exp(−∫0Tm(s)ds+21V(T))
です。
ステップ4: フォワードレートの一致条件。
市場の割引債価格は、瞬間フォワードレート f(0,T) を用いて
Pmkt(0,T)=exp(−∫0Tf(0,s)ds)
と書けます。両者の対数は T=0 でともに 0 です。したがって全ての T で対数が一致することは、T で微分した −∂TlnP(フォワードレート)が全ての T で一致することと同値です。
モデル側を微分するため、V(T) を T で微分します。u=T での被積分関数は B(0)2=0 なので端点の項は消え、∂TB(T−u)2=2B(T−u)e−κ(T−u) です。s=T−u と置き換えると、B′(s)=e−κs より被積分関数は B(s)2 の微分なので
V′(T)=σ2∫0T2B(s)e−κsds=σ2B(T)2
です。よって一致条件は
m(T)−21σ2B(T)2=f(0,T)(T≥0)(4.6)
です。T=0 では m(0)=r0、B(0)=0 なので、(4.6) が成り立つには r0=f(0,0) が必要です。これが主張の仮定で、この仮定がないと α(t) をどう選んでも満期の短い側で一致しません。
ステップ5: α(t) を求める。
(4.6) を満たす平均 m(t)=f(0,t)+21σ2B(t)2 を (4.5) に代入し、α について解きます。m′(t)=∂t∂f(0,t)+σ2B(t)e−κt なので
α(t)=m′(t)+κm(t)=∂t∂f(0,t)+κf(0,t)+σ2B(t)(e−κt+2κB(t))
です。κB(t)=1−e−κt より括弧内は (1+e−κt)/2 なので、最後の項は σ2(1−e−κt)(1+e−κt)/(2κ)=2κσ2(1−e−2κt) です。これで (3.6) が得られました。
逆向きにたどります。α(t) を (3.6) で定めると、上の計算から f(0,t)+21σ2B(t)2 は (4.5) の微分方程式を満たし、r0=f(0,0) より初期条件も満たします。(4.5) の解はただ1つなので、これが m(t) です。よって (4.6) が全ての T で成り立ち、ステップ4の同値性から割引債価格が全ての満期で市場と一致します。
α(t) は市場のフォワードレート f(0,t) とその t 微分、およびモデルパラメータ κ,σ だけで決まります。市場のイールドカーブが与えられれば f(0,t) は計算でき、したがって α(t) も一意に定まります。 ∎
5. 反例 ― 条件を満たさないと 0 に触れる
CEX-CIR-1: フェラー条件の破れ
フェラー条件 (3.1) を満たさないパラメータを使います。κ=0.3, θ=0.05 は同じまま、σ=0.25 とします。2κθ=0.03<0.0625=σ2 なのでフェラー条件は破れています。
10,000 経路・5 年間のシミュレーションを行い、各経路の短期金利の最小値を調べます。
|
フェラー条件あり (σ=0.1) |
フェラー条件なし (σ=0.25) |
| 最小値の 1 パーセンタイル |
0.001413 |
0.0 |
| 最小値の 5 パーセンタイル |
0.003579 |
0.0 |
| 最小値の中央値 |
0.014603 |
0.0 |
| 0 に触れた経路の割合 |
― |
70.6% |
条件を満たすとき、最小値の 1 パーセンタイルでも 0.0014 と正の値を保っています。一方、条件を満たさないと 70.6% の経路が 0 に触れます。拡散の力がドリフトの引き戻しに勝ってしまうためです。
CEX-CIR-2: カーブに合っても将来は合わない
Hull-White で今日のイールドカーブに完全に一致させたとします。α(t) を (3.6) で決めたので、すべての満期の割引債価格が市場と一致します。
では将来の金利の「変動の大きさ」も合っているかというと、そうではありません。Hull-White の金利の条件付き標準偏差は σ と κ だけで決まり、α(t) には依存しません。
| 期間 |
モデル (σ=0.01) の標準偏差 |
市場の標準偏差 |
| 1 年後 |
0.952% |
1.418% |
| 5 年後 |
1.778% |
1.543% |
| 10 年後 |
2.079% |
1.372% |
市場のボラティリティが期間によって変わる(短期は高く、長期は低い)のに対し、モデルは σ が定数なので、短期では過小、長期では過大に評価しています。カーブの水準を合わせても、変動の構造は別に合わせる必要があります。
CEX-CIR-3: 素朴なオイラー離散化の破綻
CIR の確率微分方程式 (1.1) を素朴にオイラー法で離散化すると
rt+Δt=rt+κ(θ−rt)Δt+σrtΔWt
となります。しかし rt の中の rt が負になると、平方根が計算できません。
フェラー条件を満たさないパラメータ(σ=0.25)で 10,000 経路・200 ステップ(T=2 年)のシミュレーションを行うと、全ステップのうち 2.34% で rt<0 が発生しました(46,866 回 / 2,000,000 回)。
一方、フェラー条件を満たすパラメータ(σ=0.1)では、rt<0 は 1 回も発生しませんでした。
離散化で問題が起きる頻度はフェラー条件と密接に関係しています。実務では反射法(rt が負になったら ∣rt∣ に置き換える)や全トランケーション法が使われますが、これらはバイアスを生むため注意が必要です。
6. 数値例 ― 2つのモデルを並べて比べる
κ=0.3, θ=0.05, r0=0.03 の共通パラメータで、CIR(σ=0.1)と Vasicek(σ=0.01)の割引債価格とイールドを比較します。
| 満期 |
CIR 価格 |
CIR 利回り |
Vasicek 価格 |
Vasicek 利回り |
差 (bps) |
| 1 年 |
0.96784905 |
3.27% |
0.96782129 |
3.27% |
-0.29 |
| 2 年 |
0.93273326 |
3.48% |
0.93254890 |
3.49% |
-0.99 |
| 5 年 |
0.82249484 |
3.91% |
0.82083894 |
3.95% |
-4.03 |
| 10 年 |
0.65374797 |
4.25% |
0.64811146 |
4.34% |
-8.66 |
| 30 年 |
0.25332754 |
4.58% |
0.24184646 |
4.73% |
-15.46 |
短い満期では両モデルの差はわずかですが、満期が長くなるにつれて差が拡大します。CIR のほうが利回りが低く出ています。これは凸性効果の大きさの違いです。CIR の拡散項 0.1rt は rt>0.01 の範囲で Vasicek の σ=0.01 より大きく、この数値例の金利水準(0.03 から 0.05 付近)では CIR のほうが金利の変動が大きくなります。変動が大きいほど、利回りを押し下げる凸性効果が強く効くためです。
モンテカルロシミュレーション(50,000 経路)と閉じた式の差は、1 年で 0.21 bps、5 年で 6.92 bps、10 年で 0.04 bps と、いずれも統計誤差の範囲に収まっています。
Hull-White のカーブ適合
Hull-White モデルでは、α(t) を (3.6) で定めることにより、観測イールドカーブに完全に一致します。等価な長期水準 θ(t)=α(t)/κ の値を示します。
| 時点 t |
α(t) |
θ(t)=α(t)/κ |
| 0.5 年 |
0.00909932 |
0.0910 |
| 1 年 |
0.00873279 |
0.0873 |
| 5 年 |
0.00673505 |
0.0674 |
| 10 年 |
0.00562961 |
0.0563 |
| 30 年 |
0.00499182 |
0.0499 |
θ(t) は短期では 0.091 と高く、長期では 0.050 に近づきます。市場のフォワードレートが長い満期で平坦に近づくことを反映しています。Vasicek の定数 θ ではこの変化を捉えられませんが、Hull-White は時間依存にすることでカーブの形を完全に再現します。
7. 次回へ ― フォワードレート全体を動かす
CIR と Hull-White は、Vasicek の弱点を2方向から直しました。CIR は拡散項を σrt に変えて正値性を保証し、Hull-White は α(t) を導入してカーブに合わせました。
しかし両モデルとも、短期金利 rt という1つの確率変数ですべてを動かすという構造は共通しています。次回は、この制約を外してフォワードレートカーブ全体を確率的に動かす枠組み ― HJM フレームワーク ― を導入します。
よくある質問
CIR と Hull-White はどちらを使うのですか
負の金利を許したくないなら CIR、今日のカーブに合わせたいなら Hull-White です。
平方根にすると何が変わるのですか
金利が低くなるほど変動が小さくなり、0 に近づきにくくなります。
カーブに完全に合うなら十分ですか
価格の水準は合いますが、変動の仕方は別に合わせる必要があります。
参考文献
- Cox J. C.、Ingersoll J. E. and Ross S. A.、A Theory of the Term Structure of Interest Rates、Econometrica、1985年、DOI 10.2307/1911242
- Hull J. and White A.、Pricing Interest-Rate-Derivative Securities、The Review of Financial Studies、1990年、DOI 10.1093/rfs/3.4.573
数値例は compute.py により計算済み。乱数シード 42 で固定。浮動小数点演算を使用(平方根・指数関数が必要なため有理数演算は原理的に使えない)。