第89回 短期金利モデル入門 ― Vasicek モデルで割引債価格を閉じた形で出す

第89回 短期金利モデル入門 ― Vasicek モデルで割引債価格を閉じた形で出す

位置: 第9部 第89回 / 前提: 第11回、第62回、第66回 / 数学編: M25 / この回でできるようになること: Vasicek モデルで割引債価格とイールドカーブを閉じた式で計算できる

目次

0. 物語 ― 金利が負になる確率

ある銀行のリスク管理チームが、30年満期の割引債を売り持ちにしたポジションについて、10年後に生じうる損失を見積もっていました。金利モデルには、金利が高すぎれば下がり、低すぎれば上がるという「平均回帰」の性質を持つ古典的なモデルを使いました。パラメータは現実的な値です。長期的に落ち着く金利水準は年3%、現在の金利は2%。まっとうな設定に見えます。

チームはこう考えました。「平均3%に向かって戻るのだから、金利がゼロを下回ることはまずないだろう。負の金利になるシナリオは無視してよい」。そしてリスクの見積もりから、金利がマイナスになるケースを除外しました。

ところが、このモデルの金利は正規分布に従います。正規分布は、平均からどれほど離れた値でもゼロでない確率で出現します。実際に計算すると、10年後に金利が負になる確率は約1.1%ありました。100回に1回は起きる話です。

1.1%を「ほぼゼロ」と切り捨てたせいで、リスクの見積もりは楽観的になりました。割引債の価格は金利が下がるほど上がるので、売り持ちの側にとって最も痛いのは金利が大きく下がる場面です。見積もりから外したマイナス金利のシナリオこそが、損失の最も大きい側の裾でした。金利がマイナスに振れたとき、このポジションは想定外の損失を被ります。モデルの出す確率を正面から受け止めていれば、防げたはずの損失です。

この失敗の根っこにあるのは、金利が正規分布に従うモデルは必ず負の金利を許す、という事実です。平均回帰がどれほど強くても、分布の裾はゼロの左側にはみ出します。今回の記事では、この性質を持つ最も基本的な短期金利モデルを取り上げ、割引債の価格とイールドカーブを閉じた式で求めます。そのうえで、なぜ金利が負になりうるのかを、分布の形から確認します。

1. 動機 ― 金利そのものを確率的に動かす

この回を読み終えると、Vasicek モデルで割引債価格とイールドカーブを閉じた式で計算できます。

これまで金利は定数として扱ってきました。しかし現実の金利は日々変動します。株価の変動をブラウン運動でモデル化したように、金利にも確率過程をあてはめたいところです。

金利が確率的に動くと、割引債の価格は「将来の金利がどう推移するか」の期待値で決まります。もし金利の確率過程を適切に選べば、割引債の価格を閉じた形の公式で書くことができます。今回はそれを実現する最も基本的なモデルである Vasicek モデルを扱います。

鍵となるのは平均回帰という性質です。金利が高くなりすぎれば下がり、低くなりすぎれば上がる。この「長期水準への引力」を確率微分方程式に組み込むことで、金利の分布、債券価格、イールドカーブの形をすべて解析的に求めることができます。

この記事で証明すること

  • THM-VAS-1 Vasicek モデルの短期金利は各時点で正規分布に従い、平均は長期水準へ指数的に近づき、分散は有限の値に収束します。
  • THM-VAS-2 割引債価格は短期金利の指数アフィン関数として書け、係数は常微分方程式の解として閉じた形で求まります。
  • THM-VAS-3 パラメータの取り方によって、順イールド、逆イールド、こぶのある形のいずれも生成できます。

2. 設定と仮定 ― 平均回帰する短期金利

リスク中立測度 のもとで、短期金利 が次の確率微分方程式に従うとします。

仮定を全部書き出します。

  • 短期金利はリスク中立測度のもとで平均回帰する正規過程に従います。
  • 平均回帰速度 は定数です。 が から離れるほど、引き戻す力が強くなります。
  • 長期水準 は定数です。 が長い目で見て落ち着く先です。
  • ボラティリティ は定数です。金利の揺らぎの大きさを決めます。
  • 割引債価格はリスク中立測度のもとでの割引期待値 とします。
  • 数値実験では乱数のシードを固定します。

(2.1) の右辺第1項 が平均回帰の力です。 なら でドリフトが負になり、金利を下へ引き戻します。逆に ならドリフトが正になり、金利を上へ押し上げます。第2項 はブラウン運動による揺らぎです。

このモデルは Vasicek(1977)が提案したもので、短期金利モデルの出発点として広く使われています。パラメータは の3つだけです。

3. 主張 ― 割引債価格は閉じた形で書ける

定理 THM-VAS-1(短期金利の分布) Vasicek モデル (2.1) のもとで、 は初期値 に対し次の正規分布に従う。

特に、 で平均は に収束し、分散は に収束する。

定理 THM-VAS-2(割引債価格のアフィン形) 時刻 における満期 の割引債価格は次の形で書ける。

ただし とし、

定理 THM-VAS-3(イールドカーブの形) 連続複利の利回り は

で与えられる。 と の関係およびボラティリティの大きさによって、 の関数としての は順イールド、逆イールド、こぶのある形のいずれも取りうる。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 常微分方程式を解いて係数を求める

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第25回「常微分方程式」へ。

THM-VAS-1 の証明

(2.1) を解くために、 とおきます。伊藤の公式を適用するため、 の微分を計算します。 は と の関数 ですから、

伊藤の公式より

二階微分の項はゼロなので消えます。右辺を展開すると

の項が相殺するため、残るのは

(4.1)

左辺の定積分を計算すると ですから、

両辺を で割って を求めます。

(4.2)

被積分関数の積分を実行するため、 と変数変換します。 で積分範囲は が に変わり、

(4.2)

で なので平均は に収束します。分散は (4.3) より で、 で に収束します。 は正規分布の確率積分の線形関数なので正規分布に従います。 ∎

THM-VAS-2 の証明

割引債価格が の形で書けると仮定し、 と を決定します。ここで です。

ステップ1: 割引債の満たす偏微分方程式を導く。

無裁定条件のもとで、割引債価格 は次の偏微分方程式を満たします。

境界条件は (満期に額面1を受け取る)です。

(4.4) は、 を原資産とするポートフォリオの無裁定条件から導かれます。リスク中立測度のもとで割引後の がマルチンゲールになることを要求すると、伊藤の公式からこの方程式が出ます。

ステップ2: アフィン形を代入して偏微分を計算する。

とおくと、 より に注意して

ここで 、 です。

ステップ3: 偏微分方程式に代入して整理する。

(4.4) に代入して で割ると( なので割れます)、

について整理します。 の係数とそれ以外に分けるため、 を含む項を集めます。

(4.5)

境界条件 , は、(つまり )で とするためです。

ステップ4: (4.6) を解いて を求める。

(4.6) は に関する1階線形常微分方程式です。斉次解は 、特殊解は (定数)です。一般解は

初期条件 より なので 。したがって

これが (3.3) です。

ステップ5: (4.7) を積分して を求める。

が求まったので、(4.7) を から まで積分します。

第1項を計算します。 を代入すると

第2項を計算します。

ですから

を で書き直します。 より なので

代入すると

以上を合わせて

これが (3.4) です。 ∎

THM-VAS-3 の証明

連続複利の利回りは定義より

の極限を調べます。ロピタルの定理を適用するため、 の極限を計算します。 より

また ( は のオーダー)ですから、 です。瞬間的な利回りは短期金利そのものです。

の極限を調べます。 なので 。 は、 の主要項が ()であることから

長期利回りは に依存せず、パラメータだけで決まります。

順イールドの場合。 で が小さいとき、平均回帰が利回りを押し上げ、凸性の効果()が小さいので、 は から へ単調増加します。数値例では , , , がこれに当たり、1年の利回り 2.13% から30年の 2.84% へ上昇します。

逆イールドの場合。 のとき、短期利回りが高く、平均回帰が利回りを押し下げるので は単調減少します。数値例では とすると、1年 7.32% から30年 3.51% へ下がります。

こぶのある場合。 で が大きいとき、短期では平均回帰が利回りを押し上げますが、長期では凸性の効果 が支配的になり、利回りが下がります。結果として中間の満期で利回りがピークを取る「こぶ」の形になります。数値例では , , , とすると、5年の 4.40% がピークで、30年では 4.11% に下がります。

3つのパラメータの組み合わせでこれら全ての形を生成できることが示されました。 ∎

5. 反例 ― 金利が負になりうる

CEX-VAS-1: 正規分布は金利を負にする

Vasicek モデルでは が正規分布に従うため、いくら平均が正でも負の値を取る確率がゼロにはなりません。

パラメータを , , , とします。THM-VAS-1 より、10年後の短期金利の分布は

です。 となる確率は

パラメータは現実的な値ですが、10年後に金利が負になる確率が 1.11% あります。これは Vasicek モデルの構造的な限界です。 が正規分布に従う以上、避けることができません。

CEX-VAS-2: イールドカーブに合わせられない

Vasicek モデルのパラメータは の3つしかありません( は観測される短期金利です)。現実のイールドカーブは多数の満期の利回りで構成されるため、3つのパラメータでは一般にフィットできません。

仮想的な市場の利回りを 1年 2.50%、5年 3.00%、10年 3.20%、30年 3.50% とします。モデルの利回り(, , , )は

満期 市場(bps) モデル(bps) 誤差(bps)
1年 250.0 213.5
5年 300.0 246.6
10年 320.0 265.4
30年 350.0 284.3

全ての満期で 36 bps から 66 bps の乖離があります。パラメータを動かしても、4つの満期に同時にフィットさせることは一般にはできません。自由度が3しかない曲線で、任意の形のカーブを再現することは不可能です。

CEX-VAS-3: 長期利回りの感応度は減衰する

短期金利が 1 bps 動いたとき、各満期の利回りがどれだけ動くかを見ます。(3.5) より利回りの に対する感応度は です。

満期
1年 0.8639
5年 0.5179
10年 0.3167
30年 0.1111

短期金利が 1 bps 動いても、1年の利回りは 0.86 bps 動きますが、30年の利回りは 0.11 bps しか動きません。長期の利回りは短期金利の変化にほとんど反応しません。

これは平均回帰の帰結です。短期金利が上がっても、長い目で見れば に戻るため、長期の平均的な金利への影響は限定的です。()は (4.8) で長期利回りが に依存しないことと整合しています。

「短期金利と長期金利は同じだけ動く」と考えるのは誤りです。

6. 数値例 ― 4つの満期で割引債価格を出す

, , , で計算します。

割引債価格と利回り

満期 価格 利回り
1年 0.8639 0.97887902 2.13%
5年 2.5896 0.88397718 2.47%
10年 3.1674 0.76692493 2.65%
30年 3.3329 0.42622776 2.84%

は に収束し、利回りは に近づきます。

モンテカルロとの比較

10万パスのモンテカルロシミュレーション(シード42、1000ステップ)で求めた価格と閉じた式の比較です。

満期 MC 価格 閉じた式 差(bps)
1年 0.978909 0.978879
5年 0.884010 0.883977
10年 0.766813 0.766925
30年 0.426194 0.426228

差は全て 1.2 bps 以内で、閉じた式が正しいことを数値的に確認できます。

短期金利の分布

10年後の短期金利の分布パラメータは、平均 ( にほぼ収束)、標準偏差 (長期値 にほぼ収束)です。金利が負になる確率は 1.11% です。

7. 次回へ ― 負にならない金利

Vasicek モデルは割引債価格を閉じた形で与える最も単純なモデルです。しかし、金利が負になりうるという構造的な問題があります。次回 第90回では、金利を非負に保つモデルと、今日のイールドカーブにぴったり合わせられるモデルを扱います。

よくある質問

短期金利とは何ですか

ごく短い期間で借りるときの金利です。長い満期の金利は、これが将来どう動くかから決まります。

金利が負になるのは問題ですか

実際に負の金利が観測された時期もあり、一概に欠点とは言えません。ただしモデルによっては不都合です。

なぜ閉じた形で書けるのですか

金利が正規分布に従い、その積分も正規分布になるからです。

参考文献

  1. Vasicek O.、An Equilibrium Characterization of the Term Structure、Journal of Financial Economics、1977年、DOI 10.1016/0304-405X(77)90016-2
  2. Brigo D. and Mercurio F.、Interest Rate Models ― Theory and Practice、第2版、Springer、2006年

数値例は compute.py により計算済み(モンテカルロはシード42で固定)。本文中の小数は適宜丸めている。

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