第52回 アメリカンオプションと早期行使 ― 権利をいつ使うかを選ぶ

第52回 アメリカンオプションと早期行使 ― 権利をいつ使うかを選ぶ

位置: 第5部 第52回 / 前提: 第27回(停止時刻)、第50回、第51回 / 数学編: M24 / この回でできるようになること: アメリカンオプションを二項ツリーで評価し、早期行使が最適になる場面を特定できる

目次

0. 物語 ― 早く行使するのは常に損なのか

オプションの権利を、満期より前に使うことは本当に損なのでしょうか。

「権利を早く使えば、将来もっと有利になるかもしれない可能性を捨てることになる。だから満期まで待つのが得だ」。こう考える人は多いはずです。実際、コールオプション――値上がりで得をする権利――については、この直感は正しいことが証明できます。

ところがプットオプション――値下がりで得をする権利――では、話がまるで変わります。

株価が100から始まり、1期ごとに2割上がるか1割下がるかを繰り返す世界を考えてみてください。行使価格は100、金利は年5%です。1期後に株が1割下がって90になったとします。このとき権利を使えば、行使価格の100で株を売れるので、差額の10が手に入ります。

では待ったほうが得でしょうか。この先の株価の動きを全て織り込んで計算すると、待った場合の価値はおよそ9.7です。つまり、今すぐ使って10を受け取るほうが、待つよりもおよそ0.3だけ得をします。

なぜこうなるかといえば、プットの行使は「お金を受け取る」行為だからです。行使価格の100を今受け取れば、それを銀行に預けて利息を稼げます。待てば待つほど、その利息を逃してしまいます。一方、コールの行使は「お金を払う」行為なので、支払いを先送りにするほど利息を節約できます。この非対称性が、プットだけに早期行使の動機を生むのです。

1. 動機 ― いつでも行使できると何が変わるか

この回を読み終えると、アメリカンオプションを二項ツリーで評価し、早期行使が最適になる場面を特定できます。

これまでのオプションは、満期の1時点でだけ行使できるヨーロピアン型でした。「いつでも行使できる」オプションをアメリカン型と呼びます。権利の行使タイミングを選べるのですから、少なくともヨーロピアンと同じだけの価値はあるはずです。

しかし「選択肢が増える=必ず高くなる」ではありません。使う価値のある選択肢が存在するかどうかが問題です。配当を払わない原資産のコールオプションでは、満期前に行使する理由がなく、ヨーロピアンと価格が一致します。一方、プットは満期前の行使が最適になる場合があります。

今回は、二項モデルの後ろ向き帰納法に「行使するかどうかの選択」を組み込む方法を示し、いつ行使するのが最適かを完全に決定します。

この記事で証明すること

  • THM-AM-1 アメリカンオプションの価格は、各節点で継続価値と即時行使価値の大きいほうを取りながら後ろ向きに計算した値に等しいです。
  • THM-AM-2 配当を払わない原資産のアメリカンコールは、満期前に行使することが最適にならないため、ヨーロピアンと価格が一致します。
  • THM-AM-3 アメリカンプットは、原資産価格が十分低く金利が正のとき、満期前の行使が最適になる場合があります。

2. 設定と仮定 ― 各時点で行使するかを選ぶ

以下の仮定を置きます。第51回で構築した多期間二項モデルをそのまま使います。

  • 権利行使: 権利は各時点で1回だけ行使でき、行使すると終了します。
  • 停止時刻: 行使時刻は第27回の意味での停止時刻です。つまり、行使するかどうかの判断は、その時点までに得た情報 だけで行います。先読みは含みません。
  • 配当の有無: 配当の有無を明示して議論します。まず「配当なし」で定理を示し、配当がある場合は注記します。
  • 取引コスト: 取引コストはありません。

記号の整理です。 期間の二項モデルで、時刻 の各節点における原資産価格を とします。行使価格を とします。プットのペイオフは 、コールのペイオフは です。

アメリカンオプションの保有者は、各時点 で「今すぐ行使する」か「もう1期間待つ(継続する)」かを選びます。この選択を全時点にわたって最適に行ったときの、時刻0における価値がアメリカンオプションの価格です。

ここで鍵になるのが後ろ向き帰納法です。満期 から始めて、各節点で「行使したほうが得か、待ったほうが得か」を比べながら、時刻0まで遡ります。

3. 主張 ― 各節点で大きいほうを取る

プットを例にとり、3つの定理を述べます。

定理 THM-AM-1(アメリカンの価格) 期間二項モデルにおいて、アメリカンプットの時刻 ・節点 での価値 は、次の後ろ向き帰納法で計算される。

満期 では

では

ここで はリスク中立確率、 は節点 の上昇・下落先の節点である。

定理 THM-AM-2(配当なしコールは早期行使しない) 配当を払わない原資産のアメリカンコールは、満期前に行使することが最適にならない。したがってヨーロピアンと価格が一致する。

定理 THM-AM-3(プットは早期行使しうる) アメリカンプットは、原資産価格が十分低く金利が正のとき、満期前の行使が最適になる場合がある。

THM-AM-1 はアメリカンオプションの価格計算の基本原理を、THM-AM-2 と THM-AM-3 はコールとプットの行使判断の非対称性を主張しています。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 後ろ向き帰納法に選択を加える

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第24回「停止時刻とドゥーブの任意抽出定理」へ。

THM-AM-1 の証明

アメリカンオプションの価値は「最適な停止時刻を選んだときの期待ペイオフの割引現在価値」です。これを後ろ向き帰納法で構成します。

満期 。 権利を行使するか放棄するかの二択です。放棄すれば価値はゼロ、行使すれば を受け取ります。合理的な保有者は のときだけ行使しますから、。これが (3.1) です。

の任意の節点。 保有者の選択肢は2つです。

  1. 即時行使: ペイオフ を今受け取ります。
  2. 継続: 1期間待ちます。1期間後のアメリカンプットの価値は、上昇先で 、下落先で です。継続した場合の今の価値は、リスク中立確率 で加重平均して1期間分割り引いた

です。この割引がリスク中立確率で正当化されるのは、第45回(a)で示した1期間の価格付け公式を各ステップに適用しているためです。

保有者は合理的ですから、2つの選択肢のうち価値の大きいほうを選びます。

これが (3.2) です。

帰納法が正しい根拠。 時刻 での値は (3.1) で正しく定まっています。 の全節点でアメリカンプットの価値が正しいと仮定すると、 の各節点での継続価値 はリスク中立価格付け公式により正しく計算されます。保有者は即時行使価値と継続価値のうち大きいほうを選ぶのが最適ですから、 は で行使するかどうかの最適判断を反映した正しい価値です。帰納法により、 まで遡ったとき がアメリカンプットの公正価格になります。

なぜ「大きいほう」で良いのかを補足します。もし保有者が行使すべき節点で行使しなければ、継続価値しか得られません。逆に、行使すべきでない節点で行使すれば、即時行使価値しか得られません。最大値を取ることが、各節点で最適な判断を組み合わせたことに対応します。 ∎

THM-AM-2 の証明

配当を払わない原資産のアメリカンコールについて、全ての の全ての節点で即時行使価値が継続価値を超えないことを示します。

コールの即時行使価値は です。 のときは即時行使価値がゼロですから、継続価値(非負)以下です。行使する理由はありません。

の場合を考えます。このとき即時行使価値は です。

継続価値の下限を求めます。アメリカンコールの1期間後の価値は少なくともコールのペイオフ以上ですから

ここで2つ目の不等号は、 が負になりうるため、 を外すと不等号が緩くなることを使っています。

継続価値にこの下限を代入します。

右辺を整理します。リスク中立確率 のもとで、割引後の株価は今の株価に一致するのでした(第45回a、THM-RNM1-2)。つまり

これを (4.1) に適用します。 は確定した定数なので

(4.2)

ですから です。したがって

つまり、継続価値は即時行使価値 を厳密に上回ります。

なぜこうなるのかを直観的に説明します。今すぐ行使すると、行使価格 を今払う必要があります。一方、継続すれば行使価格の支払いを先送りでき、その間 を安全資産で運用して の利息を稼げます。配当がなければ株を持ち続けても「もらい損ねるもの」がないので、行使を遅らせるほうが得です。

全ての の全ての節点で即時行使が最適にならないため、アメリカンコールの保有者は結局、満期まで待つのが最適です。これはヨーロピアンコールと同じ行動ですから、両者の価格は一致します。 ∎

THM-AM-3 の証明

THM-AM-3 は「場合がある」という存在命題ですから、具体例を1つ示せば証明になります。

, , , , の3期間モデルを使います。リスク中立確率は です。

, 2回下落した節点()を調べます。

即時行使価値は です。

継続価値を計算します。 のペイオフは

ですから

即時行使価値 継続価値です。この節点では今すぐ行使するのが最適です。

なぜ即時行使が得なのかを考えます。プットを行使すると行使価格 を今受け取ります。この100を安全資産で運用すれば、1期間後に になります。一方、行使を待つと、株価が回復する可能性がありプットの価値が下がるかもしれません。 と深くイン・ザ・マネーの状態では、行使価格を早く受け取って運用する利益が、株価のさらなる下落から得られるかもしれない追加利益を上回ります。

コールとの対称性が崩れる理由も明確です。コールの行使は を払う行為なので、先送りすれば利息を節約できます。プットの行使は をもらう行為なので、先にもらって運用したほうが得です。金利が正であるほど、この非対称性が大きくなります。 ∎

5. 反例 ― 配当なしコールでは差が出ない

CEX-AM-1: アメリカンは常にヨーロピアンより高い?

「選択肢が多いのだから、アメリカンは必ずヨーロピアンより高い」という理解は雑です。

同じパラメータ(, , , , , 3期間)で、配当なしコールを計算します。

  • アメリカンコール価格: ()
  • ヨーロピアンコール価格: ()
  • 差:

全ての節点で、コールの継続価値は即時行使価値以上です。たとえば の上昇節点()では、即時行使価値 、継続価値 です。 の の節点でも、即時行使価値 、継続価値 です。THM-AM-2 の通り、配当なしコールでは早期行使が最適になる節点が存在しません。

プットでは差が出ます。

  • アメリカンプット価格: ()
  • ヨーロピアンプット価格: ()
  • 差: ()

「アメリカン ヨーロピアン」は常に成り立ちますが、等号が成立するかどうかはオプションの種類と配当の有無に依存します。

CEX-AM-2: 早い行使は常に損?

「早期行使は権利を捨てるのと同じだから、常に損だ」という理解も間違いです。

の下落節点()でのプットを見ます。

  • 即時行使価値:
  • 継続価値: ()

即時行使価値 継続価値です。この節点で行使するのが最適で、 だけ得をします。

, 2回下落の節点()では差がさらに大きくなります。

  • 即時行使価値:
  • 継続価値: ()

差は です。原資産が深くイン・ザ・マネーにあるほど、早期行使の利益が大きくなります。

CEX-AM-3: 前向きに期待値を取ればよい?

「各パスで行使時刻を決めて、その期待ペイオフを割り引けばよい」という前向きの考え方は、正しい価格を出せません。

最も単純な前向き戦略として「全パスで満期まで待つ」を考えます。これはヨーロピアンと同じですから、価格は ()です。

しかしアメリカンプットの正しい価格は ()です。差は です。

問題の本質は、前向きの計算ではいつ行使するかを事前に決めなければならないことです。「 になったら行使する」と決めるには、将来の株価を知る必要はありませんが、どの閾値で行使するのが最適かを知るには結局、後ろ向きの計算が必要です。行使閾値を決めずに前向きに計算すると、最適でない戦略の価値しか出ません。後ろ向き帰納法は、各節点でその先の全ての可能性を織り込んだ上で比較するので、最適な行使判断を自動的に組み込みます。

6. 数値例 ― プットの行使境界を数値で出す

, , , , の3期間モデルで、アメリカンプットの全節点を計算します。

株価ツリー:

時刻 節点 株価
初期

アメリカンプットの各節点:

時刻 節点 株価 即時行使価値 継続価値 オプション価値 早期行使
初期
最適
最適

(満期)では行使かゼロかの二択で、早期行使ではありません。

早期行使が最適になるノード: の下落節点()と の2回下落節点()の2箇所です。いずれも株価が行使価格を大きく下回った深いイン・ザ・マネーの状態です。

ヨーロピアンプットとの比較:

アメリカン ヨーロピアン 差
プット
コール

アメリカンプットはヨーロピアンプットより だけ高くなっています。この差は、 と の下落節点で早期行使できることの価値です。

配当なしコールの一致の検算: 全ての節点でアメリカンコールの値とヨーロピアンコールの値が一致することを compute.py の assert で確認済みです。THM-AM-2 の主張が数値的にも成り立っています。

7. 次回へ ― u と d をどう選ぶか

今回は , を天下り的に与えました。次回(第53回)では、CRR パラメータの決め方を扱います。 と をどう選べば現実の株価変動に合うのかを、ボラティリティから逆算する方法を導きます。

次のマイルストーンまであと 2 本です。

よくある質問

アメリカンのほうが高いのはなぜですか

選択肢が多いからです。ただし使う価値のある選択肢でなければ、価格差は生まれません。配当なしコールでは早期行使の価値がゼロなので、ヨーロピアンと同じ価格になります。

なぜ配当なしコールは早く行使しないのですか

行使すると行使価格を先に払うことになり、その利息分だけ損だからです。コールを売って現金化したほうが得です。

プットはなぜ早く行使することがあるのですか

行使価格を早く受け取って運用できるからです。金利が高いほどその利点が大きくなります。プットでは行使価格を受け取るので、利息の符号がコールとは逆転します。

参考文献

  1. Cox J. C.、Ross S. A. and Rubinstein M.、Option Pricing ― A Simplified Approach、Journal of Financial Economics、1979年、DOI 10.1016/0304-405X(79)90015-1
  2. Shreve S. E.、Stochastic Calculus for Finance I ― The Binomial Asset Pricing Model、Springer、2004年

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

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