第80回 ベガ ― ボラティリティが動いたときの感応度

位置: 第8部 第80回 / 前提: 第70回(ブラック・ショールズ公式)、第79回(ガンマ) / 数学編: M6 / この回でできるようになること: ボラティリティが動いたときのオプション価格の変化を、ベガで見積もることができる
0. 物語 ― 満期が近いほど敏感なのか
手元に100万円分のコールオプションを持っていて、満期まであと1年残っているとします。市場のボラティリティの推定値が1ポイント上がったとき、このポジションの価値はおよそ3万6000円動きます。かなり大きな金額です。
前回学んだガンマでは、満期が近づくほど感応度が急激に大きくなりました。同じ直感をボラティリティの感応度にも当てはめたくなります。「満期が近いほど、ボラティリティの変動に対しても敏感になるのだろう」と。
ところが実際に計算してみると、結果は逆です。満期まで1年あるときのボラティリティ感応度はおよそ38ですが、残り半年では27、残り1か月ほどでは13、そして満期まであと数日になると4程度にまで縮みます。満期に近づくとボラティリティへの感応度はむしろ小さくなるのです。
なぜこうなるのでしょうか。ガンマとベガの間には「原資産価格の二乗かける、ボラティリティかける、残存期間」という掛け算の関係があります。ガンマが満期近くで急増しても、掛け算の中の残存期間がゼロに近づくため、積としてのベガは小さくなります。ガンマの直感をそのまま持ち込むと、リスク管理の判断を誤ることになります。
この回では、オプション価格をボラティリティで微分した量「ベガ」の正確な形を導き、コールでもプットでも同じ値になること、そして残存期間が短くなるとベガがゼロに向かうことを証明します。
1. 動機 ― ボラティリティが動くと価格はどうなるか
この回を読み終えると、ボラティリティが動いたときのオプション価格の変化を、ベガで見積もることができます。
デルタは原資産価格の変化に対する感応度、ガンマはそのデルタの変化率でした。しかしオプション価格を動かす変数はもうひとつあります。ボラティリティ
市場でボラティリティの推定値が 1 ポイント上がったとき、手持ちのオプションの価値はどれだけ動くのか。この感応度をベガと呼びます。ベガはギリシャ文字ではありませんが、グリークスの一員として広く使われています。
今回は、ブラック・ショールズの価格式を
この記事で証明すること
- THM-VG-1 ベガの閉じた形を導出し、コールとプットで同じ値になることを示します。
- THM-VG-2 ベガはガンマに
を掛けた量に等しいことを示します。 - THM-VG-3 ベガは満期に近い範囲では残存期間
が長いほど大きく、 でゼロに収束することを示します。
2. 設定と仮定 ― 一定ボラティリティの式を微分する
以下の仮定をおきます。
- ブラック・ショールズの枠組み: 原資産は幾何ブラウン運動に従い、市場は無裁定・完備とします。
- ボラティリティを動かすが、価格式は一定ボラティリティのものを使う:
は定数として導いた価格式を、 の関数とみなして微分します。 - ヨーロピアン型、配当なし: 早期行使や配当は考えません。
- グリークスは偏微分として定義する: 他の変数を固定したまま
だけを動かします。
第70回で導いたブラック・ショールズのコール価格は
であり、
です。ここで
ベガを次のように定義します。
以降は表記を簡潔にするため
この節のまとめ: 一定ボラティリティで導いた BS 公式を
3. 主張 ― コールとプットで一致する
定理 THM-VG-1(ベガの閉形式) ブラック・ショールズの枠組みにおいて、コールのベガは
である。プットのベガも同じ値に等しい。
定理 THM-VG-2(ガンマとの関係) ベガとガンマの間には次の関係が成り立つ。
ここで
である。
定理 THM-VG-3(残存期間についての振る舞い)
のもとで、ベガ は で正であり、 でゼロに収束する。さらに を固定し、 とおくと、ベガは で について狭義単調増加し、 で狭義単調減少する。
この節のまとめ: ベガの閉形式は
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 価格式をボラティリティで微分する
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第6回「微分と積分の交換」へ。
THM-VG-1 の証明
(1.1) を
となります。ここで
まず、
指数部分を展開します。
したがって
両辺に
が得られます。この等式は BS 公式のグリークス計算で繰り返し使う基本関係です。
次に
分子の第一項は
角括弧内を整理します。
最後の等号は
最後の等号は
(3.1) に (3.2), (3.3), (3.4) を代入します。
プットのベガ: プット・コール・パリティは
コールとプットのベガは一致します。 ∎
THM-VG-2 の証明
第79回で導いたガンマの閉形式は
です。(3.5) から
ベガはガンマに
THM-VG-3 の証明
ベガ
よって
一般の場合(
最後に単調性を調べます。
で、
です。これは
したがって、満期に近づくとベガはゼロに向かい、満期に近い範囲では残存期間が長いほどベガは大きくなります。ただし残存期間を際限なく長くするとベガは再び小さくなるので、全ての
5. 反例 ― 一定と仮定した量を動かす矛盾
反例 CEX-VG-1: モデルの仮定との矛盾
ブラック・ショールズ・モデルはボラティリティ
この矛盾にもかかわらず、小さな変動に対する近似としては実用的です。基準パラメータ
- 実際の価格変化:
- ベガによる予測:
- 誤差:
誤差はごくわずかです。しかし 10 ポイント(0.10)動かすと、
- 実際の価格変化:
- ベガによる予測:
- 誤差:
(実際の変化に対して )
変動が大きくなると近似の精度は落ちます。これは一次の微分だけを使った線形近似の限界です。
反例 CEX-VG-2: ベガが正なら常に得をするわけではない
オプションの買い手はベガが正です。つまりボラティリティが上がれば利益、下がれば損失です。
- コール価格の変化:
ベガが正であることは、ボラティリティが上がることを前提にして初めて有利です。ボラティリティが下がる局面では、ベガが大きいほど損失も大きくなります。「ベガが大きい = 良い」という理解は一面的です。
反例 CEX-VG-3: 満期が近いほど敏感とは限らない
第79回で見たように、ガンマは ATM で満期が近づくほど大きくなります。同じ直感をベガに当てはめると間違います。ATM(
| ガンマ | ベガ | |
|---|---|---|
| 0.01 | 0.1993 | 3.9870 |
| 0.05 | 0.0889 | 8.8933 |
| 0.10 | 0.0627 | 12.5386 |
| 0.50 | 0.0274 | 27.3587 |
| 1.00 | 0.0188 | 37.5240 |
ガンマは
この節のまとめ: 一定ボラティリティの仮定のもとでその微分を取るのは矛盾ですが、小さな変動に対しては良い近似です。ベガが正でもボラティリティが下がれば損失になり、満期近くではガンマと異なりベガは小さくなります。
6. 数値例 ― 残存期間を変えてベガを追う
基準パラメータ:
ベガの値(
数値微分での検算: コールのベガ
残存期間ごとのベガ:
| ベガ | |
|---|---|
| 0.1 | 12.5386 |
| 0.5 | 27.3587 |
| 1.0 | 37.5240 |
| 3.0 | 57.5002 |
原資産価格を振ったときのベガとガンマの比較:
| ベガ | ガンマ | |
|---|---|---|
| 70 | 9.9969 | 0.010201 |
| 80 | 23.8057 | 0.018598 |
| 90 | 35.3480 | 0.021820 |
| 100 | 37.5240 | 0.018762 |
| 110 | 31.1854 | 0.012887 |
| 120 | 21.6007 | 0.007500 |
| 130 | 13.0367 | 0.003857 |
ベガもガンマも ATM 付近で最大ですが、ベガのピークは行使価格よりやや低い側(コールにとってはアウト・オブ・ザ・マネー側、表では
ボラティリティ 1 ポイント変化の予測:
- BS 公式による実際の価格変化:
- ベガ
差は
ガンマとの関係の検算:
ベガの値と一致します。THM-VG-2 が数値で確認できました。
この節のまとめ: ベガは ATM 付近で最大、残存期間が長いほど大きくなります。1 ポイントの変動に対するベガの予測精度は高く、ガンマとの関係式も数値で確認できました。
7. 次回へ ― 時間が経つという損益
ベガはボラティリティの変動という不確実な要因の感応度でした。次回の第81回では、時間の経過という確定的な要因がオプション価格に与える影響を扱います。
次のマイルストーンまであと 8 本です。
よくある質問
なぜコールとプットで同じなのですか
プット・コール・パリティの差の部分は原資産価格と割引された行使価格の差であり、ボラティリティを含みません。したがってコールとプットをボラティリティで微分すると同じ値になります。
ベガはギリシャ文字ではないと聞きました
そのとおりです。ギリシャ文字に該当する語が無いので、慣習的にこう呼ばれています。
矛盾した量を計算していいのですか
厳密には一貫しません。実務では近似として広く使われています。
参考文献
- Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
- Wilmott P.、Paul Wilmott on Quantitative Finance、第2版、Wiley、2006年

