第27回 いつやめるかを自分で決めてよいとき ― 停止時刻と任意抽出定理

第27回 いつやめるかを自分で決めてよいとき ― 停止時刻と任意抽出定理

位置: 第3部 第27回 / 前提: 第24回、第26回 / 数学編: M24 / この回でできるようになること: 「勝ったらやめる」のようなやめ方のルールで、期待値が変わる場合と変わらない場合を区別できる

目次

0. 物語 ― 途中で止めれば有利になるのか

友人と賭けを繰り返していた人が、あるとき「勝ち逃げ」の作戦を思いつきました。公平なコイン投げで、1回目に勝ったら即座にやめる。負けていたらもう1回だけ続ける。2回目が終わったら必ずやめる。勝っているタイミングで抜ければ、平均して得をするはずだと考えたのです。

実際に試してみます。1回目に勝つ場面は半分あり、そこでやめれば1の利益です。残りの半分は1回目に負けて続行します。2回目に勝てば差し引きゼロ、負ければマイナス2。4通りの結末を全部並べて平均を取ると、ぴったりゼロでした。

作戦を変えてみます。何があっても2回目まで待つ。あるいは、1回目で必ずやめる。どちらを試しても、4通りの平均はゼロのままです。やめるタイミングを変えただけで得をすることは、一度もありませんでした。

この失敗の原因は単純です。公平な賭けには「勝っている瞬間」と「負けている瞬間」が同じ重みで存在しており、勝っている瞬間だけを拾い上げることはできません。都合のよいタイミングでやめたつもりでも、やめなかった場合に起きたはずの損が、他の結末にきちんと配分されています。

ただし「いつかプラス1になるまで絶対にやめない」と決めた場合は話が変わります。シミュレーションでは、10万回のうち99パーセント以上が最終的にプラス1に到達しましたが、到達までに平均で76回以上かかりました。時間の制限を外すと、公平さの保証も外れるのです。

この回で扱うのは、合法的なやめ方のルールで公平なゲームを止めても公平さは変わらないという定理と、その条件が崩れる境界線です。

1. 動機 ― やめどきを自分で決められるなら有利ではないか

この回を読み終えると、「勝ったらやめる」のようなやめ方のルールで、期待値が変わる場合と変わらない場合を区別できます。

マルチンゲールは「平均的には増えも減りもしない」過程でした。しかし、いつやめるかを自分で選べるなら、都合の良い瞬間を狙ってやめることで期待値を有利にできるのではないか。これは自然な疑問です。

結論を先に言います。**やめどきの規則が「有界」であれば、期待値は変わりません。**これが任意抽出定理の主張です。ただし「有界」の条件を外すと、期待値はずれます。どちらも今回証明します。

ここで重要なのは「やめどきの決め方」に制約があることです。将来の情報を覗いて「あのときが良かった」と後から判断するのは許されません。今ある情報だけで、今やめるかどうかを決める。この規則を停止時刻と呼びます。

この記事で証明すること

  • THM-ST-1 停止時刻とは、各時点 で「やめるかどうか」がその時点の情報 だけで判断できる確率変数のことです。
  • THM-ST-2 マルチンゲールを停止時刻で止めた過程は、再びマルチンゲールになります。
  • THM-ST-3 停止時刻が有界であれば が成り立ちます。有界でなければこの等式は破れます。

2. 設定と仮定 ― いつやめるかを情報で決める

以下の仮定を全て書き出します。

  • 標本空間: は有限集合。
  • 時点: 。 は有限。
  • フィルトレーション: は増大する 加法族の列。 は「時刻 までに得られる情報」を表します。
  • 確率変数の列: は各 が -可測。
  • マルチンゲール: が全ての で成り立つとき、 をマルチンゲールと呼びます。
  • 停止時刻: 各標本点 に対して1つの時点 を与える確率変数です。
  • 有界性の条件: 停止時刻 が有界とは、 が全ての で成り立つことです。有限標本空間では が有限なので自動的に有界ですが、一般の場合はこの条件が本質的に効きます。
  • 数値に単位は付けない。

ここで重要なのは、停止時刻の定義に入る可測性の条件です。次の節で正確に述べます。

3. 主張 ― 止めても公平さは変わらない

定義 THM-ST-1(停止時刻) 確率変数 が停止時刻であるとは、各時点 に対して

が成り立つことをいう。すなわち、今やめるかどうかを、今ある情報だけで判断できるという意味である。

条件 (3.1) を言葉で言い換えます。「時刻 の段階で、もう止まっているかどうかが分かる」ということです。 が に入っていれば、時刻 の情報だけで「止まった」か「まだ続いている」かを判定できます。

なぜ であって ではないのか。 実は有限の場合、 ですから、 が全ての で成り立つことと、 が全ての で成り立つことは同値です。しかし の形で書く方が、「累積した判断」を表すので一般論(無限の場合)への拡張が自然です。

定理 THM-ST-2(停止した過程のマルチンゲール性) がマルチンゲールであり、 が停止時刻であるとき、停止した過程 (ここで )も再びマルチンゲールである。

停止した過程 は、 の時点で値が凍結されます。止まった後は動きません。この過程がマルチンゲールの性質を保つ、というのが THM-ST-2 の主張です。

定理 THM-ST-3(任意抽出定理) がマルチンゲールであり、 が有界な停止時刻()であるとき、

が成り立つ。ただし有界性の条件がなければ、この等式は一般に成り立たない。

THM-ST-3 は THM-ST-2 の帰結です。停止した過程 がマルチンゲールであれば、 です。( より)、( より)なので、(3.2) が従います。

これらの定理の核心は「公平なゲームは、合法的にやめても公平なまま」ということです。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 停止した過程の条件付き期待値を計算する

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第24回「停止時刻とドゥーブの任意抽出定理」へ。

THM-ST-1 が定義として整合的であることの確認

THM-ST-1 は定義ですから、証明すべき内容は「この定義が先読み禁止を正しく捉えていること」です。

という条件は、「時刻 までの情報で、 がすでに 以下であるか否かを判定できる」ということを意味します。つまり、やめるかどうかを決めるのに、時刻 より後の情報は不要です。

逆に、この条件が成り立たない場合を考えます。もし であれば、時刻 の段階では「もう止まったのかどうか」が分かりません。それは将来の情報を使って初めて判定できる規則であり、先読みに相当します。反例 CEX-ST-2 で具体例を見ます。 ∎

THM-ST-2 の証明

停止した過程 がマルチンゲールであること、すなわち

を示します。

を計算します。 と の差を考えるため、 と の大小で場合分けをします。

場合1: のとき。 かつ なので、 です。すでに止まっているので、値は変わりません。

場合2: のとき。 かつ なので、 です。まだ止まっていないので、元の過程と同じ増分を持ちます。

これらをまとめると

と書けます。ここで は のとき 1、そうでないとき 0 を取る指示関数です。

(4.1) を示すには、 を示せば十分です。(4.2) より

ここで2つの事実を使います。

事実1: は -可測です。なぜなら、 であり、 が停止時刻なので だからです。補集合も に属するので、 です。したがってその指示関数は -可測です。

事実2: はマルチンゲールなので、 です。

事実1より、-可測な確率変数は条件付き期待値の外に出せます(取り出しの性質)。(4.3) に適用すると

事実2より、右辺の条件付き期待値は 0 です。したがって

よって が成り立ち、 はマルチンゲールです。 ∎

この証明の鍵は、停止時刻の可測性条件(事実1)とマルチンゲール性(事実2)がちょうど噛み合うところです。 が -可測でなければ、(4.4) の取り出しはできません。先読みする規則で止めると、この取り出しが壊れるのです。

THM-ST-3 の証明(要点)

THM-ST-2 から がマルチンゲールであることが分かっています。マルチンゲールの性質を繰り返し使うと

(有界性)より です。また より です。したがって

これが (3.2) です。有界性 を使ったのは の等式のところだけです。 が有界でなければ となりうるので、この議論は成り立ちません。 ∎

5. 反例 ― 有界でない停止規則は等式を壊す

CEX-ST-1: 初めて +1 に達する時刻は有界でない

対称ランダムウォーク 、各ステップ または を等確率で選ぶ過程を考えます。停止時刻を (初めて に到達する時刻)とします。

到達すれば なので (到達確率は 1 であることが知られています)。一方 ですから、 です。

なぜ等式が壊れるか。 この は有界ではありません。 です。有界でない停止時刻では、THM-ST-3 の証明で使った の等式が成り立たず、結論が崩れます。

シミュレーション(100,000 回)でも確認します。到達率は 0.99(打ち切り 10,000 ステップ)、到達した場合の は常に 1、到達までの平均ステップ数は約 76.2 でした。打ち切りを伸ばすほど到達率は 1 に近づきますが、平均ステップ数も際限なく伸びます。

CEX-ST-2: 最高値で売るのは停止時刻でない

2期間の対称ランダムウォークで、「過程が最高値を付けた時点で止める」という規則 を考えます。各標本点での値は次の通りです。

標本点

停止時刻の条件を確認します。 です。ところが時刻 1 のフィルトレーション の元は

です。 はこの中にありません。よって であり、 は停止時刻ではありません。

直観的な理由: では が最高値ですが、それは を見て初めて分かります。 でも ですが なので最高値ではありません。時刻 1 の段階では と の区別がつかないので、「今が最高値かどうか」は判断できません。

CEX-ST-3: 有界な規則をどう選んでも期待値は変わらない

有界な停止時刻であれば、規則をどう変えても が成り立つことを確認します。2期間の対称ランダムウォーク()で3通りの規則を試します。

標本点 確率 規則A( まで待つ) 規則B( で止める) 規則C( で止める)

各規則の期待値を計算します。

3通りとも です。規則 B は「上がったらすぐ利確する」賢い戦略に見えますが、期待値は変わりません。利確で得する分は、続けたときの損で相殺されるのです。

6. 数値例 ― 3つの停止規則で期待値を比べる

2期間の対称ランダムウォーク を使って、停止時刻の具体例をまとめます。

モデル: 各ステップで または を等確率()で選びます。標本空間は 4 点です。

標本点 確率

マルチンゲールの確認: を計算します。上昇グループ では 、下降グループ では です。確かにマルチンゲールです。

停止時刻 の可測性チェック:

  • です。 なので、時刻 0 で止まる標本点はありません。
  • です。これは という条件で決まり、 に属します。
  • です。有界性の上限 で全員停止します。

全ての で が成り立っているので、 は停止時刻です。

停止した過程 :

標本点

では なので で凍結されています。

停止した過程のマルチンゲール性の確認: を計算します。上昇グループでは 、下降グループでは です。確かにマルチンゲールです。

任意抽出定理の確認: です。3通りの停止規則 A, B, C を試しても全て であることは、前節で確認した通りです。

有界な停止時刻をどう選んでも期待値は変わりません。公平なゲームは、合法的にやめても公平なままです。

7. 次回へ ― 分布を一本の関数に押し込む

マルチンゲールを止めても公平さが変わらない、という結論は「賢い戦略で相場を出し抜けるか」という問いに数学的な答えを与えます。

次回(第28回)では、確率変数の分布を1つの関数にまとめる方法を扱います。モーメント母関数と特性関数です。分布の情報を生成関数に押し込むと、独立な確率変数の和の分布が積で計算できるようになります。

次のマイルストーンまであと 15 本です。

よくある質問

やめどきを工夫すれば勝てませんか

有界な規則である限り期待値は変わりません。勝てるように見える規則は、どこかで無限の時間か無限の資金を使っています。

高値で売る、は停止時刻ですか

違います。高値かどうかは後になってみないと分かりません。今ある情報だけで決められる規則が停止時刻です。

この話はどこで使いますか

アメリカンオプションです。いつ行使するかを持ち主が決められるので、最適な停止規則を探す問題になります。

参考文献

  1. Williams D.、Probability with Martingales、Cambridge University Press、1991年
  2. Shreve S. E.、Stochastic Calculus for Finance I ― The Binomial Asset Pricing Model、Springer、2004年

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。シミュレーション部分はシード固定(seed=42)で再現可能。

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