第26回 マルチンゲール ― 公平な賭けを数式にすると全部がつながる

第26回 マルチンゲール ― 公平な賭けを数式にすると全部がつながる

位置: 第3部 第26回 / 前提: 第23回、第24回、第25回 / 数学編: M16、M22 / この回でできるようになること: 倍賭けのような売買ルールを示されたときに、公平な賭けの上では期待損益を変えられない理由を説明できる

目次

0. 物語 ― 倍賭けなら必ず勝てるのか

手元に16万円を持って、公平なコイン投げの賭けに参加したとします。表なら賭け金がそのままもらえ、裏なら賭け金を失います。

友人が必勝法を教えてくれました。最初に1万円を賭けます。負けたら次は2万円、また負けたら4万円、さらに負けたら8万円。どこかで1回でも勝てば、それまでの負けを全部取り返して1万円の利益が残ります。3連敗しても、4回目に勝てば累計はぴったり1万円のプラスです。

計算してみると、4回以内にどこかで勝つ確率は16分の15、約94%です。ほぼ確実に1万円が手に入ります。

ところが、残りの16分の1で4回とも裏が出ると、15万円を一気に失います。94%で1万円もらえる代わりに、6%強で15万円を失う。この2つを掛け合わせて足すと、期待される損益はぴったりゼロになります。

資金を増やせば勝率は上がります。1024万円あれば10回以内に勝つ確率は99.9%を超えます。しかし万が一の10連敗で1023万円を失い、期待損益はやはりゼロです。勝率を上げれば上げるほど、負けたときの損失が正確にそれを打ち消します。

賭け金の変え方をどれだけ工夫しても、胴元が有利でも不利でもない賭けからは、平均して1円も引き出せません。今回の主役は、この「公平さは戦略では破れない」という定理です。

1. 動機 ― 公平な賭けとは何を意味するのか

この回を読み終えると、倍賭けのような売買ルールを示されたときに、公平な賭けの上では期待損益を変えられない理由を説明できます。

「公平な賭け」を日常語で言えば、胴元が有利でも不利でもない賭けのことです。コインを投げて、表なら 1 もらい、裏なら 1 失う。期待損益はゼロ。直感的にはこれで十分なのですが、問題はここからです。

賭けを何回も繰り返し、しかも 途中までの結果を見てから賭け金を変えてよい としたら、公平さは保たれるでしょうか。「負けた直後に賭け金を倍にすれば、いつか取り返せる」という倍賭け戦略は有名ですが、本当に期待損益はゼロのままなのか。それとも、巧みな戦略で公平なゲームから利益を引き出せるのか。

この問いに完全な答えを出すのがマルチンゲールの理論です。条件付き期待値(第23回)を使って「公平さ」を数式に翻訳すると、ひとつの定義から次の3つが全部出てきます。

  • 期待値は時点によらず一定です
  • どんな適合戦略で運用しても期待損益はゼロのままです
  • つまり、公平な賭けには必勝法が存在しない

今回はこの3つを、条件付き期待値のタワー則(第23回)だけで証明します。

この記事で証明すること

  • THM-MG-1 適合過程 がマルチンゲールであるとは、任意の について が成り立つことです。このとき期待値 は時点 によらず一定です。
  • THM-MG-2 がマルチンゲールで、取引戦略 が適合かつ有界なら、 で運用した損益の累積もマルチンゲールになります。
  • THM-MG-3 THM-MG-2 から、公平な賭けに対してどのような適合戦略を取っても期待損益は 0 のままです。

2. 設定と仮定 ― 情報の族と適合過程

第24回で導入したフィルトレーション と適合性を、マルチンゲールの定義に必要な範囲でまとめます。

  • 標本空間: は有限集合。各 にはゼロでない確率 が割り当てられています。
  • フィルトレーション: は 加法族の増大列です。(情報なし)とします。
  • 適合性: 確率過程 が に適合であるとは、各時点 で が 可測であること、つまり時刻 までに得られる情報だけで の値が確定することです。
  • 可積分性: 各時点で 。 が有限なのでこれは自動的に成り立ちます。
  • 取引戦略: が適合であるとは、 が 可測であることです。時刻 の賭けは、時刻 までの情報で決める。先読みは許されません(第24回)。

以上の仮定のもとで、3つの定理を述べます。

3. 主張 ― 公平さは戦略を通しても保たれる

定義と THM-MG-1

定義 THM-MG-1(マルチンゲール) 適合過程 がマルチンゲールであるとは、任意の に対して

が成り立つことをいう。このとき、(定数)が全ての で成り立つ。すなわち期待値は時点によらず一定である。

(1.1) が言っているのは、「いま手元にある情報 を使って将来の値 を予測すると、最良の予測は現在の値 そのものである」ということです。過去の情報を全部使っても、期待値の意味で より良い予測はできない。これが「公平」の数学的な翻訳です。

THM-MG-2(マルチンゲール変換)

定理 THM-MG-2(マルチンゲール変換) がマルチンゲールで、取引戦略 が適合かつ有界であるとする。増分 に対して、損益の累積を

で定める。 とおく。このとき もマルチンゲールである。

(1.2) は、各時点 で 単位の賭けをし、その回の変動 によって だけ損益が発生する、という直感をそのまま式にしたものです。 は時刻 までの情報で決まるので、「結果を見てから賭け金を決める」ことはできません。

THM-MG-3(必勝法の不存在)

定理 THM-MG-3(必勝法の不存在) がマルチンゲールであるとき、任意の適合かつ有界な戦略 に対して

が成り立つ。すなわち、公平な賭けに対してどのような適合戦略を取っても、期待損益は 0 のままである。

THM-MG-3 は THM-MG-2 の直接的な帰結です。 がマルチンゲールなので 。どれだけ巧みに賭け金を変えても、先読みをしない限り、期待損益をゼロから動かすことはできません。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 条件付き期待値のタワー則から出す

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第16回「条件付き期待値は射影である」、数学編 第22回「マルチンゲールと収束定理」へ。

THM-MG-1 の証明

まず (1.1) で とおくと、 は自明な 加法族ですから、

です。定義の条件で なので が成り立たなければなりません。 は 可測なので定数です。よって

が全ての について成り立ちます。これが「期待値は時点によらず一定」の主張です。

次に、(1.1) は と が隣り合う場合()だけで十分であることを示します。任意の に対して (1.1) が成り立つことは、 の場合から導けるからです。

のとき (1.1) は

と書けます。これが全ての で成り立つとします。任意の に対して、タワー則(第23回)を繰り返し適用します。タワー則とは、 のとき

が成り立つという性質です。 に対して適用すると

と変形できます。1行目から2行目では、(2.2) を に適用しました。 です。

この操作を繰り返すと

となり、(1.1) が任意の で成り立ちます。最後の等号は (2.2) そのものです。

したがってマルチンゲールの定義は「隣り合う時点の条件」(2.2) と等価です。 ∎

THM-MG-2 の証明

がマルチンゲールであることを示すには、(2.2) に対応する条件

を各 で確認すれば十分です(THM-MG-1 の証明で示したとおり)。

と分解します。 と の差は なので、(2.3) は

と書けます。左辺を条件付き期待値の線形性で分解します。

第1項を処理します。 の各項について、 は 可測、 は 可測ですから、積 は 可測です。したがって は 可測です。 可測な確率変数を で条件付けると、自分自身に戻ります(第23回の性質)。よって

です。

第2項を処理します。 は戦略の適合性から 可測です。 可測な因子は条件付き期待値の外に出せます(第23回の「既知の因子を外に出す性質」)。よって

です。残る を計算します。 を代入して線形性を使います。

が 可測なので外に出しました。 はマルチンゲールなので です。よって

です。マルチンゲールの増分の条件付き期待値はゼロになります。これが「公平さ」の数式そのものです。

(2.5), (2.6), (2.8) を (2.4) に代入すると

となり、(2.3) が示されました。 ∎

証明の全体を振り返ります。カギになったのは3つの性質です。

  1. が 可測であること(適合性から出る)
  2. が 可測であること(戦略の適合性の定義)
  3. であること( のマルチンゲール性)

この3つが揃って初めて、損益過程 のマルチンゲール性が言えます。どれかひとつが欠ければ、結論は崩れます。反例の節で、条件2が崩れるとどうなるかを数値で見ます。

THM-MG-3 の証明

THM-MG-2 により はマルチンゲールです。THM-MG-1 の帰結(期待値一定)を に適用すると

が得られます。 です。定義により、 ではまだ一度も賭けていないので、足し合わせる利得がありません。 ∎

5. 反例 ― 倍賭けは資金が無限にあるときだけ成立する

CEX-MG-1: 倍賭けすれば必ず勝てる、という主張

公平なコイン投げ(表なら 、裏なら )を繰り返す賭けを考えます。「負けたら賭け金を倍にする」という倍賭け戦略を定義します。

  • 第1ラウンド: 1 を賭ける。勝てば +1 で終了。負ければ次へ。
  • 第2ラウンド: 2 を賭ける。勝てば +2 で、累積損失 と合わせて +1 で終了。負ければ次へ。
  • 第 ラウンド: を賭ける。勝てば累積がちょうど +1 になる。負ければ次へ。

最初の勝ちが第 ラウンドに来たときの累積損益を計算します。第 ラウンドまでの負けの合計は で、 ラウンド目に を獲得するので、純利益は です。何ラウンド目に勝っても利益は 1。一見すると必勝法です。

ところが、資金に上限があると話は変わります。資金上限を とすると、最大 ラウンドまでしか倍賭けを続けられません。 ラウンド全て負ける確率は 、そのときの損失は です。

(資金上限 16)の場合を全パス列挙します。

パス 結果 最終損益
WLLL, WLLW, WLWL, WLWW, WWLL, WWLW, WWWL, WWWW 第1ラウンドで勝ち 1
LWLL, LWLW, LWWL, LWWW 第2ラウンドで勝ち 1
LLWL, LLWW 第3ラウンドで勝ち 1
LLLW 第4ラウンドで勝ち 1
LLLL 全敗

16 パス中 15 パスで利益 1、1 パスで損失 。期待損益は

です。倍賭けは一見 93.75% の確率で勝てますが、負けるときの損失が大きく、期待損益はちょうどゼロです。

資金上限を に増やしても構造は同じです。勝つ確率は に上がりますが、負けたときの損失は です。期待損益は

のまま変わりません。勝率を上げれば上げるほど、負けたときの損失が正確にそれを打ち消します。これは THM-MG-2 の帰結であり、偶然ではありません。

無限の資金と無限の時間を仮定すれば「いつか必ず勝つ」のは正しいのですが、そのとき戦略 の値は と発散し、THM-MG-2 の「 が有界」という仮定も、時点が有限個という仮定も満たしません。それでも、途中の各時点 で打ち切った損益 の期待値は のままです( までの賭け金は 以下で有界だからです)。「確実に 1 を得る」のは、時点を無限に伸ばした極限での損益であって、有限の時点 での損益 ではありません。期待値 の列の極限が確実な利益 になるという食い違いは、THM-MG-3 の仮定の外で起きている現象です。

CEX-MG-2: マルチンゲールなら価格が動かない、という誤解

「期待値が一定ならば値も動かないのでは」という誤解を数値で解消します。

3ステップの対称ランダムウォーク の全パスを書き出します。

パス
UUU 0 1 2 3
UUD 0 1 2 1
UDU 0 1 0 1
UDD 0 1 0
DUU 0 0 1
DUD 0 0
DDU 0
DDD 0

は全時点で成り立ちますが、 の実現値は から まで大きく動きます。分散は で、時間とともに増大します。

時点
0 0 0
1 0 1
2 0 2
3 0 3

マルチンゲールは「平均的には動かない」のであって、「実際に動かない」のではありません。期待値が一定であっても、実現値のばらつきは時間とともに広がります。

CEX-MG-3: 適合性という条件

THM-MG-2 では が適合( が 可測)であることを仮定しました。この条件を破る、すなわち未来を見てから賭ける戦略を作ると、公平さは崩壊します。

先読み戦略を定義します。時刻 の増分 を結果が出る前に覗いて、 と設定します。つまり「次に が出るなら 1 を賭け、 が出るなら を賭ける(逆に張る)」という完全な先読みです。

このとき各ステップの損益は

です。 なので二乗すれば常に 1。どのパスでも、3ステップで確実に 3 の利益が出ます。

パス 利得
UUU 3
UUD 3
UDU 3
UDD 3
DUU 3
DUD 3
DDU 3
DDD 3

期待損益は 3 です。公平な賭けから確実にプラスの利益を引き出せます。

これが可能なのは が 可測ではないからです。 は時刻 にならないとわからない情報なので、それを使って時刻 の賭けを決めることは適合性に反します。THM-MG-2 の証明で (2.6) の「 を条件付き期待値の外に出す」操作は、 が 可測であることに依存していました。先読み戦略ではこの操作が正当化できず、証明が成り立たなくなります。

第24回のフィルトレーションが「先読みの禁止」を形式化したものであることを、ここで改めて確認できます。

6. 数値例 ― 倍賭け戦略の資金推移を追う

対称ランダムウォークが本当にマルチンゲールであることを、条件付き期待値を計算して確かめます。3ステップのモデルで , の場合を調べます。

となるパスは UUU, UUD, UDU, UDD の4本です。このグループで の平均を取ると

です。 のグループ(DUU, DUD, DDU, DDD)でも

です。, でも同様に , が成り立ちます。全ての の組で が確認できました。

次に、マルチンゲール変換の数値例を示します。定数戦略 で運用したときの損益 です。

パス
UUU 2 3 6
UUD 2 3 0
UDU 2 1 4
UDD 2 1
DUU 2
DUD
DDU 0
DDD

各時点で です。 は から まで振れますが、期待値は 0 のまま。THM-MG-2 が主張するとおり、損益過程もマルチンゲールです。

最後に、倍賭け戦略の資金推移を (資金上限 16)の代表的なパスで追います。

パス LLLW(3連敗の後に勝つ):

ラウンド 賭け金 結果 累積損益
1 1 L
2 2 L
3 4 L
4 8 W 1

3連敗で まで沈んだ後、第4ラウンドで 8 を勝ち取って純利益 1 に到達しています。

パス LLLL(全敗):

ラウンド 賭け金 結果 累積損益
1 1 L
2 2 L
3 4 L
4 8 L

4ラウンド全て負けると です。この1パス(確率 )の損失が、他の15パスの利益をちょうど打ち消します。

7. 次回へ ― いつやめるかを自分で決めてよいとき

今回は「どのような適合戦略を取っても、公平な賭けの期待損益はゼロのまま」であることを証明しました。しかしこの結論には「時点 まで賭けを続ける」という暗黙の前提があります。

では、いつやめるかを自分で決めてよいとしたらどうなるでしょうか。倍賭け戦略で「最初に勝った時点でやめる」と決めれば、(無限の資金があれば)確実に 1 を得られるように見えます。やめる時刻は過去の結果に依存して決まる確率変数、つまり停止時刻です。

次回(第27回)では、この「やめる自由」がマルチンゲールの公平さを保つのか壊すのかを調べます。THM-MG-2 の有界性条件と停止時刻の関係が、次の主役です。

次のマイルストーンまであと 16 本です。

よくある質問

マルチンゲールは株価のことですか

株価そのものは普通マルチンゲールではありません。割り引いた価格が、ある確率のもとでマルチンゲールになります。第45回以降の主役です。

倍賭けはなぜ勝てないのですか

資金に上限があるからです。上限に達する前に大きく負ける確率が、小さな利益をちょうど打ち消します。

公平な賭けに参加する意味はありますか

期待値だけを見れば意味はありません。実際の金融では、リスクを引き受ける対価として期待値が正になるよう調整されています。

参考文献

  1. Williams D.、Probability with Martingales、Cambridge University Press、1991年
  2. Shreve S. E.、Stochastic Calculus for Finance I ― The Binomial Asset Pricing Model、Springer、2004年

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。

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