第28回 分布を一本の関数に押し込む ― モーメント母関数と特性関数

位置: 第3部 第28回 / 前提: 第19回、第20回 / 数学編: M19 / この回でできるようになること: 独立な損益の和の分布を、モーメント母関数の積として計算できる
0. 物語 ― モーメント母関数が存在しない分布
損益の平均やばらつきを、ある関数を微分するだけで全部取り出せる。そんな都合のよい道具があるとしたら、どんな分布にでも使えると思いませんか。
答えは「使えない分布がある」です。モーメント母関数と呼ばれるこの道具は、裾の軽い分布では非常にうまく働きます。ところが、極端な値がまれに飛び出す裾の重い分布に当てはめると、関数の値が際限なく膨らみ、定義そのものが壊れてしまいます。
コーシー分布という裾の重い分布で試してみます。計算の範囲を10にすると値は約2.5で、一見おとなしく見えます。しかし範囲を50に広げると約2000万、100にすると10の17乗を超え、1000まで広げると10の210乗に達します。収束する気配はまったくありません。この分布は裾が重すぎて、平均値すら定義できないのです。
では別の道具はないのか。ここで登場するのが特性関数です。指数の肩に虚数を載せるという一手間を加えるだけで、先ほど爆発した同じコーシー分布でも値はつねに有限に収まります。同じ条件で計算すると、特性関数の値は約0.61。範囲を広げても安定したまま動きません。
特性関数にはもうひとつ決定的な強みがあります。2つの独立な損益を足し合わせたとき、合計の特性関数は元の2つをただ掛けるだけで求まります。密度関数の積分を繰り返す必要がないのです。しかも、特性関数が同じなら分布も必ず同じであることが数学的に保証されています。今回はこれらの性質を定義から順に証明していきます。
1. 動機 ― 分布の情報を1本の関数に畳む
この回を読み終えると、独立な損益の和の分布を、モーメント母関数の積として計算できます。
確率変数の分布は、密度関数や分布関数で表せます。しかしこれらの関数を直接操作するのは厄介です。たとえば、2つの独立な確率変数
積分はいつでも簡単に実行できるわけではありません。もし、分布の情報を1本の関数に「押し込んで」おいて、その関数の世界では畳み込みがただの掛け算になるなら、計算が格段に楽になります。
この「押し込み先」がモーメント母関数と特性関数です。今回は定義を述べ、2つの基本定理を証明し、3つめの定理(一意性)を道具として使えるようにします。
この記事で証明すること
- THM-CF2-1 モーメント母関数が原点の近傍で存在するとき、その
階微分を原点で評価すると 次のモーメントが得られます。 - THM-CF2-2 独立な確率変数の和の特性関数は、各特性関数の積に等しくなります。畳み込みが掛け算に変わります。
- THM-CF2-3 特性関数が一致すれば分布も一致します。証明は数学編 M19 で行います。
2. 設定と仮定 ― モーメント母関数と特性関数の定義
確率変数
モーメント母関数(moment generating function, MGF) は実数
特性関数(characteristic function, CF) は実数
ここで
オイラーの公式
数値計算ではこの分解を使い、実部と虚部を別々に計算します。
この節のまとめです。モーメント母関数は
3. 主張 ― 微分でモーメント、積で独立和
3つの定理を正確に述べます。
定理 THM-CF2-1(モーメントの取り出し) モーメント母関数
が原点を含む開区間 で存在するとする。このとき、任意の正整数 に対して が成り立つ。すなわち、モーメント母関数の
階微分を で評価すると、 次のモーメントが得られる。
定理 THM-CF2-2(独立和の積構造)
と が独立な確率変数であるとき、 が全ての
で成り立つ。同様に、モーメント母関数が存在する範囲では も成り立つ。
定理 THM-CF2-3(一意性) 2つの確率変数
について が全ての で成り立つならば、 と は同じ分布を持つ。
THM-CF2-3 の証明には測度論の道具(反転公式)が必要です。本シリーズでは結果だけを使い、証明は数学編 M19 に委ねます。
この節のまとめです。モーメント母関数を微分するとモーメントが出てきて、独立な確率変数の和では特性関数が積になります。そして、特性関数が分布を一意に決定します。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 定義を微分して取り出す
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第19回(特性関数)へ。
THM-CF2-1 の証明
1階微分を計算します。
これで1次のモーメントが取り出せました。
同じ操作を繰り返します。もう1回
一般の
これが (2.1) です。 ∎
「モーメント母関数」という名前の由来はここにあります。微分するたびにモーメントが「生まれる」ので「母」関数です。
特性関数でも同じ操作ができます。
両辺を
となります。こちらは
THM-CF2-2 の証明
指数法則を使い、和の指数を積に分解します。
ここで独立性を使います。
右辺はそれぞれ特性関数の定義そのものです。
以上をまとめると
が得られました。これが (2.2) です。
モーメント母関数についても、
ただし、こちらは
この証明の核心は、指数法則で和を積に変え、独立性で期待値を分解した、という2段階です。密度の畳み込み積分を一度も書かずに済んでいます。これが「畳み込みが掛け算に変わる」ことの意味です。
THM-CF2-3 について
定理 THM-CF2-3(一意性) の証明は数学編 M19 で行います。
特性関数から分布を復元する操作は反転公式と呼ばれ、フーリエ解析の道具を使います。本シリーズでは「特性関数が一致すれば分布も一致する」を既知の事実として用います。この一意性が成り立つからこそ、特性関数は分布の「指紋」として機能します。
5. 反例 ― モーメントだけでは分布が決まらない
CEX-CF2-1: 裾の重い分布ではモーメント母関数が存在しない
モーメント母関数はいつでも使えるわけではありません。コーシー分布(密度
| 打ち切り幅 |
|
|---|---|
| 10 | 2.5345 |
| 50 | 20,005,701 |
| 100 | |
| 500 | |
| 1000 |
一方、特性関数は
| 0.5 | 0.606531 |
| 1.0 | 0.367879 |
| 2.0 | 0.135335 |
すべての
CEX-CF2-2: すべてのモーメントが一致しても分布は決まらない
「モーメントが全部分かれば分布も分かるのでは」と思うかもしれません。しかし、これは一般には正しくありません。
対数正規分布
と修正した分布を考えます。
| 差 | |||
|---|---|---|---|
| 1 | 1.648721 | 1.648721 | 0 |
| 2 | 7.389056 | 7.389056 | 0 |
| 3 | 90.017131 | 90.017131 | 0 |
| 4 | 2980.957987 | 2980.957987 | 0 |
すべてのモーメントが一致しています。これは偶然ではなく、変数変換
密度
特性関数は分布を一意に決定する(THM-CF2-3)のに対し、モーメントの列ではそれが保証されない。これが特性関数を使う決定的な理由の一つです。
CEX-CF2-3: 独立でなければ積の形は崩れる
THM-CF2-2 で使った独立性の仮定を外すとどうなるかを見ます。
- 実際の
: なので - 独立と仮定した場合の
: 各 の特性関数は なので積は
差は
この節のまとめです。モーメント母関数は存在しないことがあり、モーメントの列では分布が決まらないこともあります。特性関数は常に存在し、分布を一意に決定します。また、積への分解は独立性が本質的です。
6. 数値例 ― 正規分布で特性関数を計算する
正規分布
実部と虚部に分けると
絶対値は
モーメントの取り出し
もう1回微分します。
特性関数からも数値微分で同じ値が得られます。
独立和の再生性
これは
| 実部 | 虚部 | |
|---|---|---|
| 0.175410 | 0.273186 | |
| 0.551517 | ||
| 積 |
0.027788 | |
| 0.027788 |
積の値と直接計算の値が完全に一致しています。
この節のまとめです。正規分布では特性関数とモーメント母関数が指数関数の形で陽に書け、微分でモーメントが取り出せること、積で再生性が出ることを具体的に確認しました。
7. 次回へ ― 多資産へ移る準備
今回は、分布の情報を1本の関数に押し込む方法を見ました。モーメント母関数は微分するとモーメントを生み出し、特性関数は独立な確率変数の和を掛け算に変えます。そして特性関数は常に存在し、分布を一意に決定します。
次回(第29回)は相関と共分散行列を扱います。1つの資産から多資産へ移る準備です。相関がある場合に和の分散がどう変わるか ― 今回の CEX-CF2-3 で見た「積の形が崩れる」現象の裏側を、体系的に整理します。
次のマイルストーンまであと 14 本です。
よくある質問
なぜ複素数を使うのですか
モーメント母関数は存在しないことがありますが、特性関数は常に存在します。その代償として複素数が入ります。
この道具はどこで使いますか
和の分布が極限でどんな形に落ち着くかを調べるときと、値が不連続に飛ぶモデルの価格を計算するときです。足し算が掛け算になるのが効きます。
モーメントを全部知れば分布が分かりますか
一般には分かりません。同じモーメントを持つ別の分布が存在する場合があります。
参考文献
- Billingsley P.、Probability and Measure、第3版、Wiley、1995年
- Feller W.、An Introduction to Probability Theory and Its Applications Volume 2、第2版、Wiley、1971年
数値例は compute.py により計算済み。モンテカルロのシードは固定。本文中の小数は6桁で丸めている。

