第29回 相関と共分散行列 ― 多資産を扱うための最小限の線形代数

第29回 相関と共分散行列 ― 多資産を扱うための最小限の線形代数

位置: 第3部 第29回 / 前提: 第19回 / 数学編: M7, M8 / この回でできるようになること: 保有比率と共分散行列からポートフォリオの分散を計算し、その行列が共分散行列としてあり得るかを確かめることができる

目次

0. 物語 ― あり得ない相関の組み合わせ

リスク管理の部署で、新人がポートフォリオの計算に使う数値を整理していました。3つの資産について、それぞれの値動きがどれだけ連動するかを表す数字を並べます。資産Aと資産Bは強く同じ方向に動く。資産Aと資産Cも強く同じ方向に動く。ところが資産Bと資産Cは強く逆方向に動く、と入力しました。

一見すると、どの数字も単体ではおかしくありません。2つの資産の連動を表す数は、マイナス1からプラス1の範囲に収まっていれば「それらしく」見えます。しかしこの3つの数を組み合わせると、矛盾が生まれます。AとBが一緒に上がり、AとCも一緒に上がるなら、BとCも一緒に上がるのが自然です。にもかかわらずBとCが逆方向だと言い張るのは、3つの約束を同時に守れないようなものです。

この矛盾は、リスク計算をすると露骨に表れます。ある保有比率を当てはめると、リスクの指標が「マイナス0.096」と出ました。リスクは値動きのばらつきの大きさですから、本来は負の値を取りません。負のリスクとは「持っているだけでばらつきが減る」という、現実にはあり得ない状況です。

問題の根は、相関の数字を1組ずつ見ていたことにあります。全体をひとつの行列として見たとき、その行列が「あり得る相関の組み合わせ」であるかどうかを判定する条件があります。半正定値性と呼ばれるこの条件を満たさない行列は、どんな資産の値動きからも作ることができません。今回はこの条件を証明し、行列が本物の共分散行列かどうかを見分ける基準を手に入れます。

1. 動機 ― 資産が増えると何を管理すればよいのか

この回を読み終えると、保有比率と共分散行列からポートフォリオの分散を計算し、その行列が共分散行列としてあり得るかを確かめることができます。

資産が1つなら、リスクは標準偏差ひとつで済みます。2つになると、各資産の標準偏差だけでなく、2つの資産が「一緒に動くかどうか」を表す相関係数が必要になります。3資産なら相関係数は3つ、10資産なら45個、100資産なら4950個です。

管理すべき数がこれほど増えるのに、分散やリスクの式はどうやって整理すればよいのでしょうか。答えは、共分散行列という1つの行列にすべてを詰め込むことです。保有比率をベクトルにまとめ、共分散行列との積を取れば、ポートフォリオ全体の分散が1つの式で出ます。

今回は2資産の場合に絞り、共分散行列の基本的な性質と、分散投資がなぜリスクを下げるのかを証明します。

この記事で証明すること

  • THM-CM-1 保有比率のベクトルと共分散行列の積で、ポートフォリオの分散が二次形式として書けます。
  • THM-CM-2 共分散行列は常に半正定値です。任意の保有比率に対して分散が非負であることと同値です。
  • THM-CM-3 相関が 1 未満の2資産を組み合わせると、ポートフォリオの標準偏差は各資産の標準偏差の加重平均より小さくなります。

2. 設定と仮定 ― 収益率のベクトルと共分散行列

以下の仮定を置きます。

  • 資産の収益率は有限の分散を持つ。
  • 共分散行列は既知として与える。推定の問題は第84回に送る。
  • 保有比率の合計は 1 とし、空売りも許す。
  • 数値は無次元とし、収益率は小数で表す。

2つの資産の収益率を とします。保有比率を とし、 とします。ポートフォリオの収益率は

です。各資産の標準偏差を 、相関係数を とします。共分散は です。

共分散行列 を次のように定義します。

保有比率のベクトルを と書きます。

この記法を使えば、ポートフォリオの分散が行列の積ひとつで表せることを次の節で示します。

3. 主張 ― 分散は二次形式で書ける

定理 THM-CM-1(ポートフォリオ分散の二次形式) 保有比率を並べたベクトルを 、共分散行列を とすると、ポートフォリオの分散は

である。

定理 THM-CM-2(半正定値性) 共分散行列は常に半正定値である。すなわち、任意のベクトル に対して が成り立つ。

定理 THM-CM-3(分散低減) のとき、 に対して

が成り立つ。すなわち、ポートフォリオの標準偏差は各資産の標準偏差の加重平均より真に小さい。

3つの定理は、順にポートフォリオ管理の基礎を与えます。THM-CM-1 は分散の計算方法、THM-CM-2 は分散が負にならないという整合性、THM-CM-3 は分散投資の効果です。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 期待値の線形性から展開する

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第7回「ベクトル、行列、内積」、数学編 第8回「二次形式と正定値性」へ。

THM-CM-1 の証明

ポートフォリオ収益率の分散を定義から展開します。

分散の定義 を使います。期待値の線形性から ですので、

となります。偏差を と書くと、

です。二項の二乗を展開するために、 を適用します。

は定数なので、期待値の線形性で外に出せます。

であり、 です。共分散行列の成分を使って書き直すと、

となります。ここで , , です。

一方、 を行列の積の定義に従って計算すると、

これは (4.6) と一致します。したがって です。 ∎

THM-CM-2 の証明

ポートフォリオ収益率の分散は です。二乗の期待値は常に非負ですから、

が任意の に対して成り立ちます。これは半正定値の定義そのものです。

ここで注意すべき点があります。THM-CM-1 では を仮定しましたが、THM-CM-2 では任意の について成り立つことを主張しています。 でない場合でも、 という確率変数を作ればその分散は非負ですから、(4.7) は に制約なく成り立ちます。 ∎

THM-CM-3 の証明

示すべきことは、 かつ のとき

です。両辺が非負なので二乗して比較します。右辺を二乗すると、

です。一方、THM-CM-1 から

です。(4.8) と (4.9) の差を取ると、二次の項が消えるため、

となります。、、( の仮定)より、右辺は正です。

したがって であり、両辺の正の平方根を取ると

が得られます。 ∎

(4.10) が分散投資の効果の正体です。相関 が 1 未満である限り、二乗の世界で「浮いた分」 が生まれ、ポートフォリオの標準偏差が加重平均より下がります。

5. 反例 ― 相関が1なら分散投資は効かない

CEX-CM-1: 分散は保有比率について線形ではない

「2資産に 60%:40% で投資すれば、分散も 60%:40% の加重平均になる」という誤解があります。数値で確かめます。

, , とし、, とします。

分散の加重平均(誤った計算)は

です。しかし正しいポートフォリオの分散は

です。加重平均の と正しい値の には大きな差があります。保有比率が二乗で効くこと、そして相関を通じた交差項があることが、分散を線形にしない原因です。

CEX-CM-2: 半正定値でない行列で分散が負になる

「相関行列を適当に作れば共分散行列になる」わけではありません。3つの資産で , , という相関を無理に並べた行列を考えます。

この行列式は であり負です。半正定値行列の行列式は非負でなければなりませんから、この行列は半正定値ではありません。

標準偏差を全て として共分散行列を とします。保有比率 (合計 1、空売りあり)で分散を計算すると

です。分散が負になりました。分散は確率変数の二乗の期待値なので本来は非負です。この「共分散行列」は、実際の収益率から作ることが不可能な、架空の数値の寄せ集めです。

資産1と資産2が強く正に相関し、資産1と資産3も強く正に相関するなら、資産2と資産3も正に相関するのが自然です。それを とした矛盾が、半正定値性の破れとして数値に現れています。

CEX-CM-3: 相関が 1 のとき分散低減は起きない

THM-CM-3 は を仮定しています。 のときに何が起きるかを見ます。

, , として計算すると、ポートフォリオの標準偏差は です。一方、加重平均 も同じ値です。

(4.10) で とすると右辺がゼロになり、分散低減が消えます。

相関を 1 から下げていくと、標準偏差がどう変わるかを で並べます。

標準偏差

相関が 1 のときは加重平均と一致し、分散投資の効果がゼロです。相関が下がるほど標準偏差が小さくなり、 ではゼロにまで落ちます。分散投資の効果は、相関が完全でないことに依存しています。

6. 数値例 ― 2資産の標準偏差を保有比率で動かす

, , の2資産で、保有比率 を 0 から 1 まで動かしたときのポートフォリオの標準偏差を計算します。

分散 標準偏差

のとき標準偏差は (資産2のみ)、 で (資産1のみ)ですが、 付近で まで下がります。どちらの資産単体よりも低い標準偏差が、混合によって実現しています。

最小分散を実現する保有比率は、空売りを許す場合 で計算できます。 のときは であり、最小標準偏差は です。

相関を変えたときの最小標準偏差もまとめておきます。

最小標準偏差
(空売りが必要)

と のどちらでも最小標準偏差がゼロになりますが、意味は異なります。 では という自然な比率で完全にリスクが消えるのに対し、 では という極端な空売りが必要であり、「分散投資」とは呼べません。

7. 次回へ ― 相関係数だけでは足りない理由

今回は、2資産の分散が共分散行列を使って二次形式で書けること、共分散行列が半正定値であること、そして相関が完全でなければ分散投資がリスクを下げることを示しました。

しかし相関係数には限界があります。相関係数は「線形の関係」だけを捉えます。2つの資産が普段は無相関に見えても、暴落時に一緒に落ちることがあります。そのような「同時に大きく動く」パターンは、相関係数だけでは記述できません。

次回(第30回)では、同時分布の形そのものを扱うコピュラという道具を導入し、相関係数だけでは足りない理由を具体的に見ていきます。

次のマイルストーンまであと 13 本です。

よくある質問

相関係数が低ければ安全ですか

平常時はそう見えます。ただし相関は状況によって変わり、下落時に上がることが知られています。

なぜ行列で書くのですか

資産が増えると組み合わせの数が急に増えるからです。行列で書くと式が短くなります。

分散投資でリスクはゼロになりますか

なりません。相関が正である限り、いくら分けても残る部分があります。

参考文献

  1. Luenberger D. G.、Investment Science、第2版、Oxford University Press、2013年
  2. Markowitz H.、Portfolio Selection、The Journal of Finance、1952年、DOI 10.2307/2975974

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

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