第82回 ローと高次グリークス ― 交差微分が意味するもの

位置: 第8部 第82回 / 前提: 第78回、第79回、第80回 / 数学編: M3、M6 / この回でできるようになること: 金利の変化や、ボラティリティと株価の同時の変化によるオプション価格の変化を見積もることができる
0. 物語 ― 高次グリークスを無視して見積もりが外れる
オプション価格の変化を見積もるとき、「株価が動いた分」と「ボラティリティが動いた分」をそれぞれ計算して足せば正確な予測になるでしょうか。
株価100、行使価格100、ボラティリティ20%のコールオプションを考えてみてください。ボラティリティが10%上がって30%になったとき、価格はいくら変わるでしょうか。ベガという感応度を使えば、変化を1つの掛け算で見積もれます。実際に計算すると、ベガだけの予測は14.20です。ところが、本当の価格は14.23です。差はマイナス0.03ほどありました。
なぜずれたのでしょうか。ベガは「ボラティリティが少しだけ動いたとき」の変化率です。直線で近似しているようなものですから、動きが大きくなれば、曲がっている分だけ予測が外れます。この「曲がり」を捉える感応度がヴォルガです。ヴォルガを加えると予測は14.25になり、誤差はプラス0.02に縮まります。
話はこれだけでは終わりません。株価とボラティリティが同時に動く場面を考えてください。株価が5上がり、ボラティリティが3%上がったとします。株価の影響とボラティリティの影響をそれぞれ二次まで計算し、足し合わせたとしましょう。この予測は15.00です。しかし本当の価格は14.93です。差は0.07です。ここに「株価とボラティリティの交差の影響」を加えると、予測は14.96になり、誤差は0.03に半減します。
個々の感応度を独立に足すだけでは、変数が同時に動いたときの曲がりを見落とします。今回は、こうした交差の項や金利の感応度をまとめて扱い、価格変化の全体像を式にします。
1. 動機 ― 残りの感応度をまとめて見る
この回を読み終えると、金利の変化や、ボラティリティと株価の同時の変化によるオプション価格の変化を見積もることができます。
デルタ、ガンマ、ベガ、セータは第78回から第80回で扱いました。しかし価格は原資産
たとえば原資産が動くと同時にボラティリティも動いたとき、デルタとベガをそれぞれ別に計算して足しても、二次の項が抜けます。この「交差する微分」を無視するかどうかで、予測の精度が変わります。
今回は金利に対する感応度であるローと、二階の偏微分であるヴァンナとヴォルガを導き、価格変化の二次までのテイラー展開に現れる全ての項を整理します。
この記事で証明すること
- THM-RH-1 ローはコール価格の金利についての偏微分であり、閉形式を持ちます。コールでは正、プットでは負です。
- THM-RH-2 ヴァンナはデルタのボラティリティ感応度、ヴォルガはベガのボラティリティ感応度です。いずれも交差または二階の微分として閉形式を持ちます。
- THM-RH-3 価格変化の二次までの展開には、デルタ、ガンマ、ベガ、ヴァンナ、ヴォルガ、セータが全て現れます。
2. 設定と仮定 ― 何で微分するかを整理する
ブラック・ショールズの枠組みのもとで、ヨーロピアン型・配当なしのオプションを扱います。コール価格は
- 原資産価格
は幾何ブラウン運動に従います。 - ボラティリティ
は定数です。 - 無リスク金利
は定数です。 - 満期
は固定し、残存期間を と書きます。 - ヨーロピアン型で、配当はありません。
- 全ての感応度は偏微分として定義します。
コール価格のブラック・ショールズ公式は
です。既知のグリークスを確認しておきます。
ここで
3. 主張 ― 二次までの展開に現れる項
定理 THM-RH-1(ローの閉形式) コール価格の金利
についての偏微分(ロー)は である。
, , より である。プットについては である。
定理 THM-RH-2(ヴァンナとヴォルガ) ヴァンナ(デルタのボラティリティ感応度、あるいはベガの原資産感応度)は
である。ヴォルガ(ベガのボラティリティ感応度)は
である。
定理 THM-RH-3(高次項の寄与) 価格
の変数 についての二次までのテイラー展開から、 を含む二次の項 , , を除いたものは である。ここに
の項を加えれば、金利変動も含めた展開になる。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 多変数のテイラー展開を書き下す
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第3回「偏微分、全微分、多変数のテイラー展開」、数学編 第6回「微分と積分の交換」へ。
THM-RH-1 の証明
(1.1) を
まず
です。
(1.1) の第1項を
第2項を微分します。積の微分律を使います。
ここで第1の項は
(2.2) と (2.3) を足します。
が成り立ちます。これを確認します。
です。
したがって
よって
(2.4) を使うと (2.2) の
金利が上がると、行使価格の現在価値
プットについては、プット・コール・パリティ
を得ます。プットは「将来
THM-RH-2 の証明
ヴァンナの導出。
ここで
分子から
ではなく、直接
です。これを分子に代入します。
したがって
を得ます。
ヴァンナは
ヴォルガの導出。
を得ます。 ∎
THM-RH-3 の証明
一次の項は
です。二次の項は、3変数の二次形式として
の6つが現れます。実務では
です。(4.1) と (4.3) を合わせると THM-RH-3 の式を得ます。金利の変動を含めるときは、
5. 反例 ― 交差項を落とすと予測が外れる
CEX-RH-1: ヴォルガを落とすとベガだけの予測が外れる
「ボラティリティの変化はベガだけで捉えられる」という判断を検証します。
| 実際の価格 | ベガのみの予測 | ベガ+ヴォルガの予測 | 誤差(ベガのみ) | 誤差(+ヴォルガ) | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1% | |||||
| 5% | |||||
| 10% |
ボラティリティの変動が 1% 程度ならベガだけで十分ですが、10% 動くと誤差は
CEX-RH-2: ローは短期では小さいが長期では大きい
「ローは小さいので無視してよい」という判断が、残存期間の長い商品で壊れることを示します。
| 残存 |
コール価格 | ロー | 価格に対する比率 |
|---|---|---|---|
| 1年 | |||
| 5年 | |||
| 10年 |
ローの定義は「金利が 1(= 100%)動いたときの価格変化」なので、数字自体が大きいのは自然です。重要なのは、残存期間が長くなるにつれてローが急速に大きくなることです。
CEX-RH-3: 交差項を落とすと二次の予測が合わない
原資産を
| 予測方法 | 予測値 | 誤差 |
|---|---|---|
| 一次( |
||
| 二次・交差項なし | ||
| 二次・交差項あり | ||
| 実際の価格 | — |
交差項
6. 数値例 ― 有限差分で検算する
閉形式の値を有限差分で検算します。
| グリークス | 閉形式 | 有限差分 |
|---|---|---|
| Vanna | ||
| Volga |
有限差分の刻み幅は
二次展開の各項の寄与(
| 項 | 値 |
|---|---|
デルタの寄与が最大で、次にベガ、ローの順です。交差項のヴァンナは符号が負で、原資産の上昇とボラティリティの上昇が重なったとき、価格の上昇を一部打ち消す方向に働きます。
数値例は compute.py により有限差分との一致を assert で検算済みです。
7. 次回へ ― 複数の商品をまとめて扱う
今回は1つのオプションに対してグリークスを計算しました。しかし実際には、複数の満期・行使価格のオプションを同時に保有しています。次回(第83回)では、複数の商品のグリークスをまとめて管理する方法を扱います。
次のマイルストーンまであと 6 本です。
よくある質問
高次グリークスは実務で使いますか
ボラティリティが大きく動く商品では使います。通常の株式オプションでは優先度は低めです。
ヴァンナとは何ですか
原資産とボラティリティの両方で微分した量です。両者が同時に動くときに効きます。
ローが小さいのはなぜですか
残存期間が短いと金利の影響が小さいからです。長期商品では無視できません。
参考文献
- Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
- Castagna A. and Mercurio F.、The Vanna-Volga Method for Implied Volatilities、Risk、2007年

