第83回 グリークスでブックを管理する ― 複数の商品をまとめて中立にする

第83回 グリークスでブックを管理する ― 複数の商品をまとめて中立にする

位置: 第8部 第83回 / 前提: 第78回、第79回、第80回、第81回 / 数学編: M7、M11 / この回でできるようになること: 複数のオプションを持つブックのデルタ・ガンマ・ベガを合算し、中立にするための取引量を計算できる

目次

0. 物語 ― 原資産だけではガンマを消せない

トレーディングデスクで、オプションの担当者が頭を抱えています。手元にコールオプションを10単位持っていて、株価が少し動くたびに損益が揺れます。まず株を売買して、株価への感応度をゼロにしました。いわゆるデルタヘッジです。これで一安心、のはずでした。

ところが翌日、株価が大きく動いた瞬間にヘッジが崩れます。デルタヘッジは「株価が少しだけ動く」場合にしか効きません。株価が大きく動くとデルタ自体が変わってしまい、ヘッジにずれが生まれます。そのずれの大きさを測る指標がガンマです。

担当者は考えました。「ガンマもゼロにしよう」。そこで株をさらに売買してみます。しかし数字はぴくりとも動きません。10単位のコールが持つガンマは約0.19ですが、株を何万株買おうが売ろうが、この0.19は変わりません。株のガンマはゼロだからです。

ガンマを動かすには別のオプションが必要です。行使価格の異なるプットを約14単位空売りすれば、ブック全体のガンマがゼロになります。さらに株を約9単位空売りすれば、デルタもゼロです。

ただし、これで全てのリスクが消えたわけではありません。ボラティリティが20パーセントから25パーセントに跳ねたとき、このポートフォリオには約マイナス1.06の損失が出ます。意外なことに、この2本のオプションは満期がそろっているので、ガンマをゼロにした時点でボラティリティへの感応度もほぼゼロになっています。それでも損が出るのは、その感応度自体がボラティリティの水準とともに変わり、損益がボラティリティに対して曲がっているからです。実際、ボラティリティが15パーセントに下がった場合も、約1.56の損失が出ます。

複数の商品を持つブックでは、何のリスクをゼロにするかを選び、必要な取引量を連立方程式で求めます。この回では、その計算の仕組みを証明します。

1. 動機 ― 商品が増えるとどう管理するか

この回を読み終えると、複数のオプションを持つブックのデルタ・ガンマ・ベガを合算し、中立にするための取引量を計算できます。

1本のオプションのデルタヘッジは第74回で扱いました。しかし現実のオプションブックには、同じ原資産に対する行使価格や満期の異なるオプションが何十本も入っています。

個別にヘッジするのは非効率です。あるコールのデルタを消すために株を買い、隣のプットのデルタを消すために株を売る。この2つをまとめれば、必要な株の売買量は小さくなります。

グリークスの加法性がこれを可能にします。ポートフォリオのデルタは各商品のデルタの加重和、ガンマも同様です。ブック全体のグリークスを計算し、それをまとめてゼロにするのがブック管理の基本です。

この記事で証明すること

  • THM-BK-1 ポートフォリオのグリークスは、各商品のグリークスの保有量による加重和に等しいです。
  • THM-BK-2 複数のグリークスを同時にゼロにする問題は連立一次方程式になります。
  • THM-BK-3 原資産のガンマは0なので、ガンマを調整するにはオプションが必要です。

2. 設定と仮定 ― 同じ原資産の複数商品

仮定を書き出します。

  • すべての商品が同じ原資産に対するものとします。。
  • グリークスはブラック・ショールズの枠組みで計算します。、、。
  • 取引コストはありません。
  • 数値では3商品を使います。
商品 種類 行使価格 価格 ベガ
A コール 100 10.4506 0.6368 0.018762 37.524
B コール 110 6.0401 0.4496 0.019788 39.576
C プット 90 2.3101 0.013581 27.163

例として、A を10単位、B を 単位、C を3単位持つポートフォリオのグリークスは

同様に 、ベガ です。ブック全体の感応度が一目で分かります。

この節のまとめです。同じ原資産に対する複数商品のグリークスを一覧にし、保有量で加重すればブック全体の感応度が求まります。

3. 主張 ― グリークスは足し算できる

定理 THM-BK-1(グリークスの加法性) 個の商品を 単位保有するポートフォリオの価値を とする。各商品のデルタが であるとき、ポートフォリオのデルタは

である。ガンマ 、ベガ、セータについても同様に成り立つ。

定理 THM-BK-2(複数中立化の解) 個のグリークスを同時にゼロにする条件は 本の一次方程式になる。独立な商品が 本あれば解が存在する。具体的には、グリークスの行列の行列式がゼロでなければ一意に解ける。

定理 THM-BK-3(原資産ではガンマを動かせない) 原資産の価格は であるから である。すなわち原資産のガンマは常にゼロである。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 偏微分の線形性から出す

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第7回「ベクトル、行列、内積」、数学編 第11回「ラグランジュ未定乗数法」へ。

THM-BK-1 の証明

ポートフォリオの価値は

で偏微分します。偏微分は線形演算ですから、和の微分は微分の和です。

ガンマはデルタをさらに で微分したものなので、同じ議論を繰り返します。

ベガは による偏微分、セータは による偏微分で、どちらも線形演算です。したがって同じ加法性が成り立ちます。

この証明の核心は、偏微分が線形であるという一点です。保有量 は に依存しない定数として扱っています。保有量を原資産価格に依存させる動的ヘッジの場合は、保有量自体の微分も考慮する必要がありますが、ここでは瞬間的なスナップショットを扱っているので、 は定数です。 ∎

THM-BK-2 の証明

デルタとガンマを同時にゼロにする問題を定式化します。既存ポジションとして商品 A を 単位持っているとします。商品 C を 単位、原資産を 単位追加して、ブック全体のデルタとガンマをゼロにします。

ガンマの条件は

原資産のガンマはゼロ(THM-BK-3)なので、ガンマの式に は現れません。(5.1) から が一意に決まります。

(オプションのガンマは一般にゼロでない)であることが必要です。

デルタの条件は

原資産のデルタは1ですから、 を求めます。

2つの未知数 に対して2本の独立な方程式があり、一意に解けます。

一般に 個のグリークスを同時にゼロにするには 本の独立な商品が必要です。これは 元連立一次方程式の理論から直ちに従います。係数行列の行列式がゼロでなければ解が存在し、一意です。 ∎

THM-BK-3 の証明

原資産そのものの価格関数は です。 で微分すると

デルタは常に1、ガンマは常にゼロです。したがって、原資産をいくら売買しても、ブックのガンマは変わりません。ガンマを調整するには、ガンマがゼロでない商品、すなわちオプションが必要です。 ∎

5. 反例 ― 原資産ではガンマを動かせない

CEX-BK-1: 株だけでは不十分

商品 A(コール )を10単位持つポジションのガンマは

これをゼロにしたい。しかし原資産を 単位追加しても

ガンマは動きません。THM-BK-3 の通り、原資産のガンマはゼロだからです。デルタは株で動かせますが、ガンマは株では動かせません。

CEX-BK-2: 中立にしてもボラティリティが動けば損益が出る

A を10単位持ち、C(プット )を 単位、原資産を 単位追加して、デルタとガンマを同時にゼロにしました。

この中立化されたポートフォリオで、ボラティリティが から に動いたとします。オプション部分の価値が変化し、損益は です。

原因はベガ(ボラティリティ感応度)ではありません。ブラック・ショールズ式では、同じ と満期 のオプションについてベガは に等しいので、満期がそろった A と C でガンマを中立にすると、ベガも自動的にほぼ中立になります。実際、ポートフォリオのベガは で、ベガから見積もった損益は にすぎません。

損失を生んでいるのは、ベガ自体がボラティリティとともに変わる効果、すなわちヴォルガ(第82回)です。このポートフォリオのヴォルガは で、二次の項 が損益 の大半を説明します。残りの差は三次以上の項です。ヴォルガが負なので、ボラティリティが に下がった場合も損益は と、上下どちらに動いても損をします。デルタとガンマをゼロにしても(ここではベガまでほぼゼロになっても)、ボラティリティが大きく動けば損益が出ます。中立化は「どのリスクをゼロにするか」を選んでいるのであって、全てのリスクが消えるわけではありません。

CEX-BK-3: 線形従属な商品では解けない

商品 A と全く同じコール を「商品 D」として持ってきます。A と D のグリークスは完全に一致します。、。

ガンマとデルタを同時にゼロにする連立方程式の係数行列は

で、行列式は です。行列が特異なので、消したいデルタとガンマの組が特別な比になっていない限り解が存在せず、存在しても一意には定まりません。

同じオプションを何本足しても、グリークスの比が同じなので新しい情報が加わりません。中立化には、行使価格や満期が異なる「独立な」商品が必要です。

この節のまとめです。原資産ではガンマを動かせず、デルタ・ガンマ中立にしてもボラティリティのリスクは残り、線形従属な商品を足しても中立化できません。

6. 数値例 ― 3商品でデルタとガンマを中立にする

A(コール )を10単位持つポジションに、C(プット )と原資産を加えてデルタとガンマを同時にゼロにします。

ガンマ中立化: (5.2) から

C を 単位空売りします。

デルタ中立化: (5.3) から

原資産を 単位空売りします。

検算: ブック全体のデルタは

ガンマは

デルタとガンマがともにゼロになりました。原資産が小さく動いても、ブック全体の価値はほぼ変化しません。

この節のまとめです。ガンマを消すためにオプション(プット)を使い、デルタを消すために原資産を使います。手順は「まずガンマ、次にデルタ」の順序が自然です。

7. 次回へ ― 入力をどう決めるか

ブラック・ショールズのグリークスを使うには、ボラティリティ を入力として与える必要があります。しかし は直接観測できません。過去のデータから推定する方法があります。次回(第84回)では、ヒストリカル・ボラティリティの推定を扱います。

次のマイルストーンまであと 5 本です。

よくある質問

全部のグリークスを0にできますか

独立な商品を十分な数だけ用意できればできます。現実には取引コストが制約になります。

デルタとガンマ、どちらを優先しますか

通常はデルタです。ガンマは大きな変動に備えるためのもので、コストが高くなります。

中立なら損しませんか

中立にした項目については強くなりますが、していない項目では損益が出ます。

参考文献

  1. Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
  2. Taleb N. N.、Dynamic Hedging、Wiley、1997年

数値例は compute.py によりブラック・ショールズ式で計算。

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