第84回 ヒストリカル・ボラティリティの推定 ― 過去から入力を作る

位置: 第8部 第84回 / 前提: 第31回、第32回 / 数学編: M18 / この回でできるようになること: 過去の価格からボラティリティを推定し、その推定値にどれだけの誤差があるかを見積もることができる
0. 物語 ― 推定値を真の値と思い込む
天気予報で「明日の降水確率は30%」と聞くと、その数字をそのまま信じて傘を持っていくか決めます。でも、もしその30%が「過去3日だけの天気から出した数字」だったらどうでしょう。3日のうちたまたま1日だけ雨が降れば33%、1日も降らなければ0%になります。少ないデータから出した数字は大きく揺れるのに、その数字だけが一人歩きしてしまうことがあります。
株価の値動きの大きさを測るときにも、同じ落とし穴があります。オプションの値段を計算するには、値動きの大きさを表す数字が1つ必要です。手元にあるのは過去の株価だけなので、そこから計算して数字を出します。
ところが、過去20日分のデータで計算した値と、250日分のデータで計算した値は、同じ株なのに食い違います。この記事の数値例では、20日の推定値は約0.28、250日の推定値は約0.29です。一見わずかな差に見えますが、20日の推定には0.04以上の誤差幅が付きます。「真の値は0.19かもしれないし、0.37かもしれない」という状態です。250日なら誤差幅は約0.01まで縮まります。
推定値をそのまま真の値だと思い込むと、実際にはかなりの不確かさを見落とすことになります。この回では、推定値にどれだけの誤差が付くのかを式で押さえ、その誤差を小さくするにはデータが何日分必要かを明らかにします。
1. 動機 ― ボラティリティはどこから持ってくるか
この回を読み終えると、過去の価格からボラティリティを推定し、その推定値にどれだけの誤差があるかを見積もることができます。
オプション価格の計算にはボラティリティ
この回では、過去の対数収益率からボラティリティを推定する方法を扱います。推定には誤差が付くという当たり前の事実を定量的に評価し、推定が信頼できる条件を明らかにします。さらに、古いデータと新しいデータに同じ重みを置く標本分散の限界を示し、直近の状態を反映しやすい指数加重移動平均(EWMA)を導入します。
この記事で証明すること
- THM-HV-1 対数収益率が独立同分布のとき、標本分散は不偏推定量であり、その標準誤差は標本数の平方根に反比例します。
- THM-HV-2 指数加重移動平均による分散推定は、1つ前の推定値と最新の収益率の二乗の加重和として再帰的に書けます。
- THM-HV-3 収益率そのものは自己相関がほとんど無いが、二乗した系列には正の自己相関があります。これが変動の塊を生みます。
2. 設定と仮定 ― 過去の収益率から推定する
以下の仮定を置きます。
- 対数収益率
を使います。 - 平均は 0 に近いとして扱う場合は明示します。
- 年間の営業日数は 252 日とします。1日の時間刻みは
です。 - 数値実験では乱数のシードを固定します(seed = 42)。
対数収益率が平均
と換算されます。推定の対象は
3. 主張 ― 推定値には必ず誤差がある
定理 THM-HV-1(標本分散の性質) 対数収益率
が平均 、分散 の独立同分布に従うとき、標本分散 は
の不偏推定量である。また、分布が正規分布の場合、年率換算した標本標準偏差 の標準誤差は である。
定理 THM-HV-2(EWMA の更新式) 減衰係数
を固定する。EWMA 分散推定値を で再帰的に定義する。ここで
は最新の対数収益率の二乗、 は1つ前の推定値である。
定理 THM-HV-3(ボラティリティ・クラスタリング) 収益率
の自己相関はほとんど 0 であるが、 の自己相関は正の値を持つ。すなわち、大きな変動のあとには大きな変動が続きやすい。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 標本分散の分散を評価する
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第18回「収束の4概念」へ。
THM-HV-1 の証明
不偏性。
が成り立ちます。これは二乗和を展開して整理すると確認できます。
各項の期待値を取ります。
標本平均の期待値は
標準誤差。 分布が正規分布のとき、
デルタ法により、
年率換算すると
標準誤差は
THM-HV-2 の証明
EWMA は「全てのデータに等しい重みを置く」のをやめ、古いデータの重みを指数的に下げます。
重みを
と定義します。ここで平均は 0 と近似しています(日次の対数収益率は平均がきわめて小さいため)。
この和を1ステップ前と比較します。
第2行で
新しいデータが入るたびに、前の推定値に
THM-HV-3 の根拠
これは経験的な事実であり、厳密な証明よりも数値的な確認が本質です。
収益率
一方、
数値実験で確認します。前半250日を低ボラティリティ(
5. 反例 ― 短期間の推定は信頼できない
CEX-HV-1: 標本数による標準誤差の違い
同じ系列の末尾から
| 標本数 |
推定値 |
標準誤差 SE |
|---|---|---|
| 20 | 0.2796 | 0.0442 |
| 60 | 0.2994 | 0.0273 |
| 250 | 0.2938 | 0.0131 |
CEX-HV-2: 変動の塊を単純平均が捉えられない
前半250日の真のボラティリティは 0.15、後半250日は 0.30 です。500日全体の標本標準偏差は両方の期間を混ぜた値になり、前半にいるときは過大に、後半にいるときは過小に推定します。直近の状態を知りたいなら、古いデータの重みを下げる必要があります。これが EWMA の動機です。
EWMA(
| 時点(日目) | EWMA 推定値 |
|---|---|
| 50 | 0.1013 |
| 100 | 0.1181 |
| 200 | 0.1367 |
| 300 | 0.3022 |
| 400 | 0.2795 |
| 499 | 0.3127 |
250日目付近で急上昇しており、局面の変化をすばやく捉えています。
CEX-HV-3: 過去の推定値は将来を当てるか
過去60日の推定値で次の60日の実現ボラティリティを予測できるかを確認します。
| 推定期間 | 予測期間 | 推定値 | 実現値 | 差 |
|---|---|---|---|---|
| 0〜60日 | 60〜120日 | 0.1178 | 0.1155 | +0.0023 |
| 120〜180日 | 180〜240日 | 0.1530 | 0.1502 | +0.0028 |
| 240〜300日 | 300〜360日 | 0.2617 | 0.3019 | -0.0401 |
| 360〜420日 | 420〜480日 | 0.3093 | 0.3029 | +0.0063 |
同じ局面が続く区間(0〜240日の低ボラ期、360〜480日の高ボラ期)では差が小さいですが、局面が変わる区間(240〜360日)では推定値が実現値を大きく下回ります。過去のボラティリティが将来も続くとは限りません。
6. 数値例 ― 標本数を変えて推定値を比べる
自己相関を数値で確認します。
| 系列 | ラグ1 | ラグ5 |
|---|---|---|
| 収益率 |
0.0889 | 0.0036 |
| 二乗収益率 |
0.1665 | 0.1278 |
収益率そのものの自己相関はラグ1で 0.0889、ラグ5でほぼ 0 です。一方、二乗収益率の自己相関はラグ1で 0.1665、ラグ5でも 0.1278 と持続しています。これがボラティリティ・クラスタリングの数値的な証拠です。大きな変動のあとには大きな変動が続きやすいことを示しています。
推定の手順をまとめます。標本分散は簡単ですが、標本数が少ないと誤差が大きく、変動の局面変化に追随できません。EWMA は古いデータの重みを下げることで直近の状態を反映しますが、減衰係数
7. 次回へ ― 価格から逆算する
今回は過去のデータからボラティリティを推定しました。しかし推定値は過去の情報に基づくもので、将来の変動を正確に反映するとは限りません。
次回は発想を逆転させます。市場で観測されるオプション価格の中に、将来の変動に対する市場参加者の見方が織り込まれています。価格から逆算してボラティリティを取り出す方法を扱います。
次のマイルストーンまであと 4 本です。
よくある質問
何日分のデータを使えばいいですか
長くすると誤差は減りますが、古い情報が混じります。用途によって変えます。
EWMA とは何ですか
古いデータの重みを指数的に下げる平均です。直近の状態を反映しやすくなります。
過去の値で将来を測れますか
当たるとは限りません。次の回では、市場価格から逆算する別の方法を扱います。
参考文献
- Campbell J. Y.、Lo A. W. and MacKinlay A. C.、The Econometrics of Financial Markets、Princeton University Press、1997年
- Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
数値例は compute.py により float で計算。乱数シード 42 を固定。

