第85回 インプライド・ボラティリティ ― 価格から逆算する

第85回 インプライド・ボラティリティ ― 価格から逆算する

位置: 第8部 第85回 / 前提: 第70回、第80回、第84回 / 数学編: M30 / この回でできるようになること: 市場のオプション価格から、インプライド・ボラティリティを数値的に逆算できる

目次

0. 物語 ― どんな価格からでも逆算できるわけではない

ここまでの回で、いくつかの道具がそろいました。第70回ではブラック・ショールズ式を導き、ボラティリティを入れればオプションの値段が出ることを確認しました。第80回ではベガという感度を学び、第84回では過去の値動きから変動の大きさを推定しました。

道具はそろっています。しかし、ひとつ厄介な問題が残っています。ボラティリティそのものを、どうやって知るのかということです。

株価も行使価格も金利も満期も、市場で見える数字です。ところがボラティリティだけは「これから先、株がどれくらい動くか」という将来の話なので、直接には観測できません。

発想を逆転させます。市場にはオプションの値段がすでに付いています。値段が分かっているなら、ブラック・ショールズ式を逆向きに解いて、ボラティリティを逆算すればよいのです。

ただし、どんな値段からでも逆算できるわけではありません。たとえば株価が100、行使価格が100、満期1年のコールを考えます。無裁定の考え方から、このコールの値段はおよそ4.88より高く、100より低い範囲にあるはずです。もし市場に3.88という値段が出ていたら、式を逆向きにどれだけ回しても答えは出ません。安すぎる値段は、ブラック・ショールズ式の言葉に翻訳しようがないのです。反対に101という値段でも同じです。高すぎても翻訳できません。

逆算できるのはどの範囲か。答えがあるなら一つだけなのか。効率よく求めるにはどうすればよいか。今回はこれらの問いに正面から答えます。

1. 動機 ― ボラティリティを市場に聞く

この回を読み終えると、市場のオプション価格から、インプライド・ボラティリティを数値的に逆算できます。

ブラック・ショールズ式にはボラティリティ という入力が1つだけ残っています。原資産価格 、行使価格 、満期 、金利 はすべて市場で観測できますが、ボラティリティだけは将来の変動幅であり、直接は見えません。

しかし市場にはオプション価格が存在します。価格が見えるなら、話を逆にすることができます。「ボラティリティを入れて価格を出す」のではなく、「価格を入れてボラティリティを出す」のです。こうして逆算された値をインプライド・ボラティリティ(implied volatility, IV)と呼びます。

この逆算は見かけ以上に中身があります。解が本当に存在するのか、一意に定まるのか、効率よく計算できるのか。今回はこれらを順に確かめます。

この記事で証明すること

  • THM-IV-1 コール価格が無裁定の範囲内にあるとき、その価格を与えるボラティリティはただ一つ存在します。
  • THM-IV-2 ベガが正であるため、ニュートン法は適切な初期値から二次収束します。
  • THM-IV-3 インプライド・ボラティリティは予測値ではなく、価格をブラック・ショールズ式の言葉に翻訳した表現です。

2. 設定と仮定 ― 価格を与えて逆に解く

ブラック・ショールズ式(第70回)を前提とします。以下の仮定を全て置きます。

  • モデル: 原資産は幾何ブラウン運動に従い、市場は無裁定。
  • オプション: ヨーロピアン型コール、配当なし。
  • 市場価格: コール価格 が市場で観測されている。
  • 無裁定の範囲: を満たす。
  • 数値解法: 二分法とニュートン法の両方を試す。

ブラック・ショールズのコール価格は

です。ここで

です。インプライド・ボラティリティとは、

を満たす のことです。問題は、この方程式 (2) に解が存在し一意であるかどうかです。

この節をまとめます。インプライド・ボラティリティとは、観測されたオプション価格をブラック・ショールズ式に代入して逆に解いたボラティリティです。

3. 主張 ― 解はただ一つに定まる

定理 THM-IV-1(存在と一意性) コール価格が無裁定の範囲内にあるとき、すなわち

を満たすとき、 を満たす がただ一つ存在する。これは が 上で狭義単調増加であることによる。

定理 THM-IV-2(ニュートン法の収束) ベガ は で常に正である。したがって方程式 (2) にニュートン法を適用すると、適切な初期値から二次収束する。

定理 THM-IV-3(意味の解釈) インプライド・ボラティリティは原資産の将来の変動幅の予測値ではない。市場で観測された価格を、ブラック・ショールズ式という共通言語に翻訳した表現である。同じ原資産・同じ満期でも行使価格が異なればインプライド・ボラティリティの値も異なりうるので、単一の「予測値」としては解釈できない。

この節をまとめます。コール価格が無裁定の範囲内にあれば解は一意に存在し、ベガが正であることからニュートン法で効率的に求まります。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 単調性から一意性を出す

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第30回「ニュートン法と数値求解」へ。

THM-IV-1 の証明

ベガが正であることを示し、そこから単調性と存在・一意性を導きます。

ブラック・ショールズ式 (1) を で偏微分します。ベガは

です。ここで は標準正規分布の密度関数です。

この計算を確認します。 を で微分すると

となります。 なので

です。また、 の定義から

ここで符号を丁寧に整理するため、分子を直接計算します。 の分子を 、 とおくと

です。 で微分すると、商の微分公式により

計算が煩雑になるため、別のアプローチを取ります。核心は という関係式です。これを示します。

を使います。 で、 です。 の定義を代入すると

です。 の項が打ち消し合うことがポイントです。したがって

となり

が得られます。これを書き直すと

です。

この関係式 (3.4) を使ってベガの式に戻ります。

(3.4)

、、(正規分布の密度は常に正)ですから、 が の全域で成り立ちます。

単調性: は が について狭義単調増加であることを意味します。

値域の確認: 存在を言うには、 の値域が を覆すことを確認します。

  • のとき。 なら かつ で 。 なら かつ で 。 なら かつ で 。いずれの場合も です。
  • のとき。 かつ で 、 です。したがって です。

よって は から への狭義単調増加な連続関数です。中間値の定理により、この範囲内の任意の に対して を満たす が存在し、単調性から一意です。 ∎

THM-IV-2 の証明

方程式 (2) をニュートン法で解くことを考えます。 として、更新式は

です。THM-IV-1 で示した通り ですから、分母がゼロにならず、ニュートン法の更新式は常に定義されます。

は 級で( は で無限回微分可能)、 なので は狭義単調増加です。根は THM-IV-1 より一意に存在します。

ニュートン法の二次収束の一般的な条件を確認します。 を満たす の近傍で かつ が連続であれば、十分近い初期値からニュートン法は二次収束します(テイラー展開による標準的な結果です)。

ですから、条件は満たされます。

したがって、真の解 に十分近い初期値 からニュートン法を始めれば、誤差は

の形で減少します。ここで は の上界から決まる定数です。 ∎

THM-IV-3 の証明

THM-IV-3 は解釈に関する主張ですが、数値的に裏付けを与えます。

ブラック・ショールズ式 (1) は を1つの定数として仮定しています。もしインプライド・ボラティリティが「将来の実現ボラティリティの予測値」であるなら、同じ原資産・同じ満期のオプションからは同じ値が得られるはずです。

ところが実際には、行使価格 を変えるとインプライド・ボラティリティの値も変わります(第5節の CEX-IV-1 で確認します)。1つの原資産に対して「将来の変動幅」は1つしかないのに、行使価格ごとに異なる値が出るのは、インプライド・ボラティリティが予測値ではないことの直接的な証拠です。

インプライド・ボラティリティの正体は、市場で観測された価格を の単位に翻訳したものです。ブラック・ショールズ式は が1対1の写像であること(THM-IV-1)を保証するので、逆写像 が存在します。これは価格の別の表現であって、予測ではありません。 ∎

5. 反例 ― 行使価格ごとに値が違う

CEX-IV-1: インプライド・ボラティリティが1つの予測値だとしたら

もしインプライド・ボラティリティが原資産の「将来の変動幅」を予測した値であれば、同じ原資産・同じ満期のオプションからは同じ値が出るはずです。

、、 のもとで、行使価格を変えたコール価格から逆算します(表の市場価格は、現実に観察されるパターンを模して行使価格ごとに異なるボラティリティで作った例示の値です)。

市場価格 インプライド・ボラティリティ
80 26.4621 0.3000
90 18.1408 0.2500
100 10.4506 0.2000
110 6.8330 0.2200
120 6.1439 0.2800

行使価格ごとに値が異なります。 では 0.30、 では 0.20、 では 0.28 です。もしこれが1つの予測値であるなら、すべての行に同じ数字が並ぶはずです。そうならないということは、インプライド・ボラティリティは予測ではなく、各行使価格における「価格の翻訳」にすぎないということです。

CEX-IV-2: 無裁定の範囲外では解が存在しない

、、、 のとき、コールの無裁定の範囲は

です。数値では です。

下限を下回る場合: とします。ブラック・ショールズ式は で に近づくため、どんなに小さい を入れてもこの価格以下にはなりません。二分法で50回反復しても、最良の近似値と目標値の差は 1.0000 のまま縮まりません。解は存在しません。

上限を上回る場合: とします。ブラック・ショールズ式は で に近づくため、100 を超える価格を与える は存在しません。二分法で50回反復しても、差は 2.2112 で収束しません。

無裁定の範囲外の価格は「ブラック・ショールズ式の言葉に翻訳できない」ということです。このような価格が市場に存在すれば、それ自体が裁定機会を示唆しています。

CEX-IV-3: 深いアウト・オブ・ザ・マネーでニュートン法が不安定になる

(深いアウト・オブ・ザ・マネー)のコールを考えます。真のボラティリティ で計算すると、コール価格は 、ベガは です。

のときのベガが 37.5240 だったのに対し、 では 0.3111 と約120分の1に縮んでいます。

ベガ
80 13.6272
100 37.5240
120 34.0738
150 9.7720
200 0.3111

ニュートン法を初期値 で始めると、 が非常に大きな負の値になり、 がほぼゼロになります。ベガが に近いため、ニュートン法の更新ステップ (4.1) の分母が消え、1回目の反復で破綻します。

一方、初期値を に変えると、10回で収束します。二分法であれば初期値に依存しないため、33回の反復で安定して解を得ます。

この例が教えるのは、ニュートン法の「二次収束」は適切な初期値が前提だということです。深いアウト・オブ・ザ・マネーでは、実務上は二分法で安全な範囲に近づけてからニュートン法に切り替える、というハイブリッド戦略が取られます。

この節をまとめます。行使価格ごとにインプライド・ボラティリティが異なること、無裁定の範囲外では解が存在しないこと、ベガが極端に小さい領域ではニュートン法が不安定になることを確認しました。

6. 数値例 ― 2つの解法で逆算する

、、、 で、市場価格 に対するインプライド・ボラティリティを求めます。

二分法

探索区間を として二分法を適用します。

反復 誤差
1 2.50000000 +68.9442
2 1.25000001 +37.6821
3 0.62500001 +15.9983
5 0.15625001
10 0.20019532 +0.0079
15 0.20004273 +0.0022
20 0.19998075
40 0.19998445

40回の反復で に収束しました。二分法は毎回区間を半分にするため、 回で精度は初期区間の 倍になります。40回で の精度です。確実ですが、遅い。

ニュートン法

初期値 としてニュートン法 (4.1) を適用します。

反復 ベガ 誤差
1 0.50000000 37.5240 +11.3426
2 0.19772429 37.5011
3 0.19998514 37.5239 +0.0000
4 0.19998445 37.5239

わずか4回で収束しました。 で、二分法と一致します。

2回目から3回目で誤差が から に減っているのが二次収束の特徴です。各反復で有効数字がおよそ倍になります。ベガが 37.5 と十分大きいアット・ザ・マネー付近では、ニュートン法は圧倒的に高速です。

この節をまとめます。二分法は確実だが遅く(40回)、ニュートン法は速い(4回)がベガが小さい領域では初期値に注意が必要です。

7. 次回へ ― 逆算値が一致しない

今回は、市場価格からボラティリティを1つ逆算する方法を確立しました。定理 THM-IV-1 により、無裁定の範囲内であれば解は必ず存在し一意です。計算にはニュートン法が効率的で、アット・ザ・マネー付近では4回で収束します。

しかし反例 CEX-IV-1 で見た通り、行使価格を変えると逆算値は一致しません。 で 0.30、 で 0.20、 で 0.28。ブラック・ショールズ式が を定数と仮定しているにもかかわらず、市場はそう振る舞っていません。

次回(第86回)では、この不一致がどのようなパターンを描くかを観察します。スマイル、スキュー、ターム構造 ― 逆算値が一致しないという事実そのものが、市場の情報を語り始めます。

次のマイルストーンまであと 3 本です。

よくある質問

インプライド・ボラティリティは予想ですか

予想ではありません。市場で付いているオプション価格を、ボラティリティという別の単位に言い換えたものです。価格と同じ情報を違う形で見せているだけです。

なぜ行使価格ごとに違うのですか

ブラック・ショールズ式がボラティリティを定数と仮定しているのに対し、現実の市場はその仮定通りに動いていないからです。次の回で詳しく見ます。

どうやって計算するのですか

ブラック・ショールズ式の出力が市場価格に一致するボラティリティを、数値的に探します。二分法でもニュートン法でも求まります。ニュートン法のほうが速いですが、深いアウト・オブ・ザ・マネーでは初期値に注意が必要です。

参考文献

  • Hull J. C.、Options Futures and Other Derivatives、第11版、Pearson、2021年
  • Gatheral J.、The Volatility Surface、Wiley、2006年

数値例は compute.py により計算済み。浮動小数点演算を使用(ブラック・ショールズ式に正規分布・指数・対数が必要なため)。

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