第41回 マルチファクターモデル ― ベータ1本で足りないとき

第41回 マルチファクターモデル ― ベータ1本で足りないとき

位置: 第4部 第41回 / 前提: 第39回、第40回 / 数学編: M7、M9 / この回でできるようになること: 資産のリターンを複数のファクターに分解し、ファクターを増やすことの落とし穴を説明できる

目次

0. 物語 ― ファクターを増やせば説明力は上がるのか

「もう一つ変数を足したら、もっとよく当たるかな」

研究室でリターンの予測モデルを組んでいた学生が、隣の席の友人に聞きました。友人は首をかしげました。

「当たるかもしれないし、かえって外れるかもしれないよ」

二人が見ていたのは、5つの資産のリターンを2つの要因で説明するモデルでした。要因ごとに「リスクを引き受ける見返り」があり、各資産がそれぞれの要因にどれだけ反応するかで、期待リターンが決まります。このモデルだと、たとえば資産Bの期待リターンは9パーセントと計算できます。

学生は「説明力が足りない」と感じて、3つ目の要因を加えました。天候のデータです。本当は天候はこの5つの資産のリターンと何の関係もありません。しかしデータを無理やり当てはめると、それらしい反応度が推定されてしまいます。学生はその反応度に「見返り2パーセント」を掛けて予測を修正しました。

結果はこうでした。資産Bは、本来9パーセントあるべきなのに、8.6パーセントと予測されました。資産Eは8パーセントが正しいのに、8.5パーセントになりました。5つの資産すべてで、予測が正解からずれたのです。

友人が言いました。「要因を増やしたのに、全部外れたね」

問題は単純でした。リターンを動かしていない要因を加えると、データのノイズから偽の反応度が拾われます。それに見返りを掛けた分だけ、予測が歪みます。要因が多いほど正確になる、という思い込みは成り立ちません。

この回では、リターンが複数の要因で決まるモデルの構造を定式化し、無関係な要因を足しても意味がないことを数値で確認します。

1. 動機 ― ベータだけで説明できない差がある

この回を読み終えると、資産のリターンを複数のファクターに分解し、ファクターを増やすことの落とし穴を説明できます。

第40回で、CAPM の証券市場線を導きました。あらゆる資産の期待収益率は、市場ポートフォリオとの共分散ひとつ ― ベータ ― で決まる、という主張でした。

しかし、実際の資産の収益率を見ると、ベータが同じなのに期待収益率が違う資産があります。たとえば時価総額の小さい株は、ベータの予測よりも収益率が高い傾向が観察されています。ベータ1本では説明しきれない「差」が残るのです。

この差を埋めるには、市場ポートフォリオ以外にも収益率を動かす要因 ― ファクター ― を考え、各資産がそれぞれのファクターにどれだけ反応するかを測る必要があります。今回はこの枠組みを定式化し、期待収益率がファクター感応度の線形結合になることを証明します。

この記事で証明すること

  • THM-MF-1 収益率が複数のファクターの線形結合で書け、固有項がなく裁定機会もないとき、期待収益率は各ファクターへの感応度の線形結合になります。
  • THM-MF-2 固有項が分散によって消せるほど資産数が多いとき、無裁定条件から期待収益率の線形関係が近似的に導かれます。
  • THM-MF-3 ファクターが市場ポートフォリオ1つだけのとき、線形関係は証券市場線に一致します。

2. 設定と仮定 ― 複数のファクターに分解する

以下の仮定を置きます。

  • ファクターは与えられたものとして扱います。 選び方の議論はしません。
  • 固有項は互いに無相関で、ファクターとも無相関です。
  • 資産数は十分に多いとします。
  • 数値に単位は付けません。

個の資産と 個のファクター を考えます。資産 の収益率 が次の形で書けるとします。

ここで は定数、 は資産 のファクター に対する感応度(ファクターローディング)、 は固有項です。固有項は資産ごとの個別のノイズで、次の性質を持ちます。

固有項はファクターでは説明できない個別の変動であり、異なる資産の固有項は無相関です。この仮定により、多数の資産を組み合わせることで固有項を分散させて消すことが可能になります。

ファクター はゼロ平均に正規化しておきます。すなわち とします。このとき です。

まとめると、収益率の変動はファクターが説明する「共通の動き」と、資産固有の「個別の動き」に分解されます。

3. 主張 ― 期待収益率は感応度の線形結合になる

3つの定理を述べます。

定理 THM-MF-1(線形ファクター構造) 収益率が (2.1) の形で書けるとき、期待収益率は

である。さらに固有項がなく(すべての で )、金利 で貸し借りできる市場に裁定機会がないとき、 は各ファクターへの感応度 の線形関数

として書ける。ここで は無リスク金利、 はファクター のリスクプレミアムである。

定理 THM-MF-2(裁定価格理論の骨子) 資産数 が十分に大きく、固有項のリスクが分散によって消せるとき、(3.1) からのずれ が大きい資産は有限個しか存在しない。すなわち、無裁定条件のもとで (3.1) は近似的に成り立つ。

定理 THM-MF-3(CAPM は特別な場合) ファクターが市場ポートフォリオの超過収益率 ただ1つのとき、(3.1) は

に一致する。これは CAPM の証券市場線そのものである。

(3.1) は CAPM の証券市場線を複数ファクターに拡張したものです。CAPM では市場ポートフォリオとの共分散だけが価格に影響しましたが、マルチファクターモデルでは複数のファクターとの共分散がそれぞれ影響します。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 線形構造から期待値を取る

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第7回「ベクトル、行列、内積」、数学編 第9回「固有値分解と主成分分析」へ。

THM-MF-1 の証明

(2.1) の両辺の期待値を取ります。、 なので

ファクターをゼロ平均に正規化したことで、期待収益率は定数項 そのものになります。

次に、固有項がなく裁定機会もないとき、 が感応度の線形関数であることを示します。

まず感応度がすべてゼロの資産を考えます。()かつ のとき、(2.1) は となり、この資産の収益率は確定します。したがって でなければ、安い金利で借りて高い金利で運用する裁定が生まれます。

一般の場合を考えます。 個の資産を並べたベクトル 、、 を使います。各資産に金額 を投じ、その合計 を金利 で借りてまかなうポートフォリオを考えます。元手はゼロで、1期間後の損益は

です( を使いました)。 がすべての と直交するように選ぶと、ファクターの項が消えて損益は確定値 になります。これが正なら元手ゼロで確実に利益が出る裁定であり、負なら の符号を反転すれば同じく裁定です。したがって無裁定のもとでは

が成り立ちます。つまり は、 が張る部分空間の直交補空間と直交します。有限次元では直交補空間の直交補空間は元の部分空間に戻るので、 は の線形結合で書けます。

よって定数 が存在して

が成り立ちます。これを移項すると (3.1) が得られます。 ∎

の意味を確認しておきます。ファクター だけに感応度1、他のファクターに感応度0の資産があれば、その期待収益率は です。つまり は「ファクター のリスクを1単位引き受けたときに上乗せされる期待収益率」であり、ファクターリスクプレミアムと呼ばれます。

THM-MF-2 の証明(要点)

裁定価格理論(APT)の核心部分です。(3.1) が厳密ではなく「近似的に」成り立つ理由を示します。

資産 について、(3.1) からのずれを と定義します。ここで は、ずれのベクトル が各感応度ベクトル と直交するように選びます( を感応度に最小二乗で当てはめた係数です)。ずれの2乗和 が で際限なく大きくなると仮定して矛盾を導きます。

の資産を買い、 の資産を売り、差額を金利 で貸し借りするポートフォリオを構成します。具体的には、各資産への投資額を とします。このとき、ポートフォリオの期待超過収益率は

の選び方から なので、ファクター感応度は となり、期待超過収益率は になります。

一方、固有項が無相関で分散が有界()なので、このポートフォリオの分散は

なら分散は に近づく一方、期待超過収益率は常に です。つまりリスクをいくらでも小さくしながら一定の超過収益が得られる、裁定に近い取引(近似裁定)が作れてしまいます。これは無裁定条件に反します。

したがってずれの2乗和 はある定数 以下に抑えられます。すると、どんな についても となる資産は 個以下しか存在できません。 が大きい資産は有限個しかなく、(3.1) はほとんどすべての資産について近似的に成り立ちます。 ∎

THM-MF-2 の結論が「近似的」にとどまるのは、固有項のリスクが完全にはゼロにならないためです。CAPM が均衡理論として厳密な等式を主張するのに対し、APT は無裁定と大数の法則から近似的な関係を導く、という違いがあります。

THM-MF-3 の証明

とし、唯一のファクターを (市場超過収益率のゼロ平均化)とします。(2.1) は

THM-MF-1 の (3.1) より

を求めるために、市場ポートフォリオ自身の場合を考えます。市場ポートフォリオの収益率は ですから、(4.1) で とすると

ここで なので、、、 です。市場ポートフォリオ自身はファクターそのものなので、固有項はゼロになります。

これを (4.2) に代入すると

したがって です。一般の資産 について (4.2) は

これは CAPM の証券市場線と同じ形です。 ∎

ここで が CAPM のベータ と一致することを確認します。(4.1) の両辺と の共分散を取ると

なので 、 です。したがって

CAPM は、マルチファクターモデルにおいてファクターが市場ポートフォリオ1つだけの特別な場合です。

5. 反例 ― 無関係なファクターは役に立たない

CEX-MF-1: 無関係なファクターを加えても意味がない

「ファクターを増やせば説明力が上がる」とは限りません。収益率に影響しないファクターを加えた場合を見ます。

先ほどの2ファクターモデル(、)に、真のプレミアムが のファクターを第3ファクターとして加えます。データのノイズから、見かけの感応度が推定されたとします。

資産 (見かけ) 真の期待収益率
A 0.5 1.5 0.1 8.5%
B 1.0 1.0 9.0%
C 1.5 0.5 0.15 9.5%
D 2.0 0.0 10.0%
E 0.0 2.0 0.25 8.0%

もし「」と誤って推定してしまうと、期待収益率の予測は次のようにずれます。

資産 真の値 誤った予測 差
A 8.5% 8.7% +0.2%
B 9.0% 8.6%
C 9.5% 9.8% +0.3%
D 10.0% 9.8%
E 8.0% 8.5% +0.5%

無関係なファクターの見かけの感応度にプレミアムを掛けた分だけ予測がずれます。ファクターを増やすこと自体は、それが真に収益率を動かす要因でなければ、ノイズを拾って予測を悪化させるだけです。

CEX-MF-2: ファクター同士の相関が感応度を変える

ファクターが直交している、つまり互いに無相関だということは、しばしば暗黙に仮定されますが、実際のファクター同士には相関があります。相関がある場合、同じデータから推定しても感応度の値が変わります。

2つのファクターに相関 がある場合を考えます。両ファクターの分散は1に正規化しておきます。 を に回帰して直交化すると、 と分解できます。元の (2.1) を書き直すと

への感応度が から に変わります。

資産 元の 直交化後の
A (0.5, 1.5) (1.25, 1.5)
B (1.0, 1.0) (1.5, 1.0)
C (1.5, 0.5) (1.75, 0.5)
D (2.0, 0.0) (2.0, 0.0)
E (0.0, 2.0) (1.0, 2.0)

資産 E は、元のモデルでは にまったく反応しない()ように見えましたが、 と に相関があるため、直交化すると になります。「この資産はファクター1に無関係」という解釈は、ファクター同士が直交しているという前提に依存しています。

資産 D は なので、直交化の影響を受けません。ファクター2にまったく反応しない資産だけが、解釈の変化を免れます。

CEX-MF-3: 感応度は時間とともに変わる

ファクター感応度を過去のデータから推定するとき、推定期間を前半と後半に分けると値が変わることがあります。

資産 前半 後半 差
A (0.3, 1.7) (0.7, 1.3) (+0.4, )
B (1.2, 0.8) (0.8, 1.2) (, +0.4)
C (1.6, 0.4) (1.4, 0.6) (, +0.2)

資産 A のファクター1への感応度は、前半の 0.3 から後半の 0.7 へと2倍以上に増えています。資産 B は逆に減っています。全期間で推定した感応度は両者の中間になりますが、それは前半にも後半にも当てはまらない妥協の値です。

この不安定性は、企業の事業構成が変わったり、市場の構造が変化したりすることで生じます。過去のデータで見つかった関係が将来も続くとは限りません。

6. 数値例 ― 2ファクターで期待収益率を出す

、ファクター1のプレミアム 、ファクター2のプレミアム とします。5つの資産の感応度と期待収益率を (3.1) で計算します。

資産 計算
A 0.5 1.5 8.5%
B 1.0 1.0 9.0%
C 1.5 0.5 9.5%
D 2.0 0.0 10.0%
E 0.0 2.0 8.0%

資産 D はファクター1だけに反応し、資産 E はファクター2だけに反応します。ファクター1のプレミアムのほうが大きいので、ファクター1への感応度が高い資産 D のほうが期待収益率が高くなっています。

ファクターが1つだけのとき(CAPM との一致)

、、したがって市場プレミアム 。

資産 計算
A 0.5 4.5%
B 1.0 7.0%
C 1.5 9.5%

(3.1) で 、 と置いた結果です。これは証券市場線そのものであり、THM-MF-3 の主張が数値で確認できます。

7. 次回へ ― リスクを1つの数字にする

今回は、期待収益率が複数のファクターへの感応度で決まることを示しました。ファクターの数を1にすると CAPM に戻ります。増やすと説明力は上がりますが、無関係なファクターを加えてもノイズを拾うだけです。

次回(第42回)では、リスクをひとつの数字に圧縮する方法を扱います。ポートフォリオの損失分布から VaR と Expected Shortfall を定義し、何を捨てているのかを明らかにします。

次のマイルストーンまであと 1 本です。

よくある質問

ファクターはどう選ぶのですか

理論からは決まりません。経済的な理由づけと実証の両方から選ばれます。

CAPM は間違っていたのですか

ファクターが1つだけの特別な場合です。説明力が足りないので増やした、という位置づけです。

ファクターは今後も有効ですか

保証はありません。広く知られると効果が薄れることが知られています。

参考文献

  1. Ross S. A.、The Arbitrage Theory of Capital Asset Pricing、Journal of Economic Theory、1976年、DOI 10.1016/0022-0531(76)90046-6
  2. Fama E. F. and French K. R.、Common Risk Factors in the Returns on Stocks and Bonds、Journal of Financial Economics、1993年、DOI 10.1016/0304-405X(93)90023-5

数値例は compute.py により有理数演算で検算済み。

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