第35回 平均分散分析の枠組み ― 2つの数だけで資産を並べる

位置: 第4部 第35回 / 前提: 第29回、第32回、第34回 / 数学編: M7 / この回でできるようになること: 資産を期待リターンと分散の2つの数で並べ、平均分散の基準で支配される組み合わせを判定できる
0. 物語 ― 平均と分散が同じでも中身が違う
2つのファンドを比べて、同じほうを選んでしまった失敗の話です。
ある投資家が、2つのファンドの成績表を見比べていました。どちらも平均リターンは8パーセント、ブレ幅を示す数字も15パーセントで、まったく同じです。「数字が同じなら中身も同じだろう」と考え、手数料の安いほうを選びました。
1年後、その投資家のファンドは28パーセントの損失を出しました。もう一方のファンドを持っていた同僚も損をしましたが、17パーセント程度で済んでいます。同じ数字のはずなのに、なぜ11ポイントも差がついたのでしょうか。
実は、2つのファンドの中身はまるで違いました。同僚のファンドは、値動きが上にも下にもほぼ均等にばらつく、素直な分布をしていました。一方、投資家が選んだファンドは、ふだんは安定して12パーセント前後の利益を出すのですが、10回に1回ほど、平均マイナス28パーセントという大きな損失の領域に落ち込む構造になっていたのです。平均とブレ幅の2つの数字では、この「たまに大きく崩れる」性質が見えません。
さらに恐ろしいのは、40パーセントを超える損失が起きる確率です。素直な分布では0.07パーセント、つまり1400回に1回ですが、投資家のファンドでは3.1パーセント、およそ30回に1回です。同じ2つの数字でも、大きな損失の起きやすさは約45倍も違います。
平均と分散だけで資産を並べる方法は、強力な出発点です。ただし、それで全てが分かるわけではありません。この回では、まず平均と分散で資産を比べる枠組みを正確に作り、そのうえで、2つの数だけでは捉えきれない限界も確認します。
1. 動機 ― 資産を2つの数に要約して並べる
この回を読み終えると、資産を期待リターンと分散の2つの数で並べ、平均分散の基準で支配される組み合わせを判定できます。
ポートフォリオの良し悪しを比べたいとき、必要な情報は膨大に見えます。収益率の分布は無限次元の対象です。しかし、もし「期待収益率」と「分散」の2つだけで比較できるなら、問題は平面上の点の比較に帰着します。
今回は、この平均分散分析の枠組みを正確に定式化します。ポートフォリオの期待収益率と分散がどのように計算されるかを導き、支配の関係を定義し、2つの数だけで判断できることの正当化と限界の両方を示します。
この記事で証明すること
- THM-MV-1 ポートフォリオの期待収益率は期待収益率ベクトルとの内積、分散は共分散行列による二次形式です。
- THM-MV-2 期待収益率が同じで分散が小さいポートフォリオは他方を支配します。
- THM-MV-3 2次効用または正規分布のもとでは、期待効用の比較が期待値と分散だけで決まります。
2. 設定と仮定 ― 期待収益率ベクトルと共分散行列
- 期待収益率ベクトル:
、 。 - 共分散行列:
、 。対角成分 は各資産の分散。
共分散行列は対称かつ半正定値です。ここでは正定値(どの資産も他の資産の線形結合では作れない)を仮定します。
1期間だけを考え、取引コストと税はないものとします。
この節のまとめ: 必要な入力は、
3. 主張 ― 期待値は内積、分散は二次形式
定理 THM-MV-1(ポートフォリオの期待値と分散) 保有比率を
とすると、ポートフォリオの収益率 の期待値と分散は である。
定理 THM-MV-2(支配の関係) 2つのポートフォリオ
, について、 かつ であるとき、 は を支配する。同様に、 かつ のとき、 は を支配する。支配されるポートフォリオを合理的な投資家が選ぶ理由はない。
定理 THM-MV-3(2次効用または正規分布での正当化) 効用関数
が2次関数 ( )であるか、収益率ベクトル が多変量正規分布に従う場合、期待効用 は と のみの関数になる。したがってこれらの場合には、期待効用を平均と分散だけで比較できる。
この節のまとめ: ポートフォリオの評価が2つの数に落ちるのが THM-MV-1、その上で優劣を定義するのが THM-MV-2、正当化の条件を限定するのが THM-MV-3 です。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 期待値の線形性と分散の展開から出す
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第7回「ベクトル、行列、内積」へ。
THM-MV-1 の証明
ポートフォリオの収益率は
期待値について、期待値の線形性を使います。
分散について、分散の定義に戻ります。
二乗を展開します。積の順序を変えても値は同じなので、二重和として書けます。
期待値と有限和の順序を入れ替えます(有限和なので常に可能です)。
これは行列とベクトルの積として
THM-MV-2 の証明
支配の定義は、期待効用の枠組みを持ち出さずに成り立ちます。
逆に、
より正確には、ここで想定している投資家は、ポートフォリオを期待収益率と分散だけで評価し、その評価が期待収益率について狭義の増加関数、分散について狭義の減少関数になっている投資家です。したがって、上のどちらかの条件が成り立てば、
ただし、分布の形まで見て期待効用で判断するリスク回避的な投資家には、この結論はそのままでは使えません。期待値と分散以外の情報も効用に影響するからです(THM-MV-3 と CEX-MV-1 を参照)。
注意:
THM-MV-3 の証明(要点)
2次効用の場合。
右辺は
2次効用の問題点は、収益率が大きくなると
正規分布の場合。
逆に、収益率が正規分布でなく効用が2次でもない場合には、一般に3次以上のモーメント(歪み、尖度など)も期待効用に影響します。CEX-MV-1 がその例です。よって「期待値と分散だけで比較できる」ことは無条件には成り立たず、上の2つの場合のように、分布か効用に条件を置いて初めて正当化されます。 ∎
5. 反例 ― 2つの数では足りない場面がある
CEX-MV-1: 歪みが違えば選好は分かれる
期待値と分散が同じでも、分布の形が違えば投資家の評価は変わります。以下の2つの分布を比べます。
- 分布 A(正規):
。 - 分布 B(混合正規): 確率 0.9 で
、確率 0.1 で 。
どちらも平均
しかし下位5パーセント点を計算すると
分布 B は10パーセントの確率で平均
さらに極端な損失の確率を見ると、
分布 B は約45倍の確率で
CEX-MV-2: 最小分散が最善とは限らない
3資産(
期待収益率は
これは確かに分散が最も小さいのですが、期待収益率も低くなっています。等配分ポートフォリオ(各
等配分は最小分散より期待収益率が2ポイント高い代わりに標準偏差が3.4ポイント高くなります。
CEX-MV-3: 裾が重いと大きな損失の確率が桁で変わる
正規分布を仮定できない場面は現実に多くあります。CEX-MV-1 で見たように、平均と分散が同じ
この節のまとめ: 平均分散分析は有力な出発点ですが、歪みや裾の重さを無視する限界があります。
6. 数値例 ― 3資産の組み合わせを平面に並べる
数値例として
| 資産 | 期待収益率 |
標準偏差 |
|---|---|---|
| 1 | 8% | 15% |
| 2 | 12% | 25% |
| 3 | 6% | 10% |
相関係数:
共分散行列は
いくつかのウェイトでの結果をまとめます。
| ポートフォリオ | |||
|---|---|---|---|
| 資産1のみ | 1, 0, 0 | 8.00% | 15.00% |
| 資産2のみ | 0, 1, 0 | 12.00% | 25.00% |
| 資産3のみ | 0, 0, 1 | 6.00% | 10.00% |
| 等配分 | 1/3, 1/3, 1/3 | 8.67% | 12.04% |
| 1と2を半々 | 1/2, 1/2, 0 | 10.00% | 16.39% |
| 2に偏重 | 1/5, 3/5, 1/5 | 10.00% | 16.68% |
「1と2を半々」と「2に偏重」は期待収益率が同じ
最小分散ポートフォリオ:
この節のまとめ: 同じ期待収益率でも、組み合わせ方によって分散は大きく変わります。どの組み合わせが支配するかを数値で確認できます。
7. 次回へ ― 相関が生むただ飯
今回は平均分散分析の基本構造を確認しました。期待値が内積、分散が二次形式であること。支配の定義。そして2つの数だけで比較が正当化される条件とその限界です。
次回(第36回)では、2資産の場合に相関が分散をどれだけ下げるかを正確に計算します。分散投資が「ただ飯」と呼ばれる所以を数式で見ます。
次のマイルストーンまであと 7 本です。
よくある質問
なぜ平均と分散だけなのですか
扱いやすいからです。理論的に正当化できる代表的な場合は、効用が2次関数か収益率が正規分布の場合です。
歪みや裾は無視していいのですか
無視すると、大きな損失の評価を誤ります。第42回で別の指標を扱います。
分散が小さいほど良いのですか
期待収益率が同じならそうです。違う場合は好みの問題になります。
参考文献
- Markowitz H.、Portfolio Selection、The Journal of Finance、1952年、DOI 10.2307/2975974
- Luenberger D. G.、Investment Science、第2版、Oxford University Press、2013年
数値例は compute.py により有理数演算(Fraction)および浮動小数点演算で検算済み。

