第87回 ローカルボラティリティ ― サーフェスに完全に合わせる代償

位置: 第8部 第87回 / 前提: 第66回、第86回 / 数学編: M26、M27 / この回でできるようになること: 今日のボラティリティ・サーフェスにローカルボラティリティで合わせ、その将来の形が外れる仕組みを説明できる
0. 物語 ― 今日合っていても明日は合わない
「このモデル、今日のオプション価格に完全に合ってるよ」
デスクの向かいで、同僚が画面を指さしました。行使価格80から120まで、満期半年から2年まで、どの組み合わせでもモデルの価格と市場の価格がぴたりと一致しています。
「すごいね。で、1年半後に株価が110に上がっていたら、スマイルはどうなる?」
同僚はしばらく手を動かして、残り半年のオプションの予測値を並べました。今日のスマイルは、株価と同じ行使価格100を底にした左右対称の形です。ところがモデルの予測では、株価が110に動いたのに、底は行使価格99のあたりに残ったままでした。行使価格132の側は底より1.5ポイント近く高いのに、行使価格88の側は株価と同じ行使価格の値とほとんど変わりません。全体の水準も今日より低く出ていますが、それは今日の価格で長い満期ほどボラティリティが低いことから決まる分で、どのモデルでも同じです。気になるのは形のほうです。
「現実には、株価が動けばスマイルの形もだいたい一緒についていくよね」
「うん。このモデルだと、スマイルが行使価格100の位置に張り付いたままだ」
ローカルボラティリティという手法は、今日のオプション価格から逆算して、株価の各水準でのボラティリティを一つの関数として確定させます。その関数は、今日の市場価格をすべて再現できます。しかし関数を確定させた瞬間に、将来の動き方も決まってしまいます。
問題は、その決まり方が現実と合わないことです。モデルは将来のスマイルが今日の行使価格の位置に張り付くと予測しますが、現実の市場ではスマイルの形はおおむね株価の動きについていきます。今日ぴったり合わせたことの代償として、明日の予測が犠牲になっているのです。
この回では、なぜ今日の価格に完全に合うモデルが作れるのか、そしてなぜそのモデルが将来の予測を外すのかを示します。
1. 動機 ― スマイルを完全に再現できるか
この回を読み終えると、今日のボラティリティ・サーフェスにローカルボラティリティで合わせ、その将来の形が外れる仕組みを説明できます。
第86回で、市場で観測されるインプライドボラティリティは行使価格と満期によって異なる――いわゆるボラティリティスマイルを見ました。ブラック・ショールズモデルはボラティリティを定数としていたので、スマイルの存在はモデルの限界を意味します。
ならば「ボラティリティを定数ではなく、時刻
しかし「完全に合う」ことには代償があります。将来のスマイルの予測が現実と合わないのです。今回は、ローカルボラティリティモデルの構造と限界を証明します。
この記事で証明すること
- THM-LV-1 任意の満期と行使価格について観測されたコール価格から、それらを完全に再現する局所ボラティリティ関数が一意に定まります(デュピールの式)。
- THM-LV-2 局所ボラティリティモデルは原資産1本で市場が完備なままであり、ヘッジの理論が壊れません。
- THM-LV-3 このモデルは今日の価格を完全に再現しますが、将来のスマイルの形については現実と合わない予測を与えます。
2. 設定と仮定 ― ボラティリティを時間と価格の関数にする
仮定を書き出します。
- 原資産の動き: リスク中立測度
の下で
ここで
- コール価格が滑らかに観測できると仮定します。 すべての行使価格
と満期 に対し、市場のコール価格 が と について滑らかに与えられているとします。 - 微分はすべて数値的に評価します。 実際のデータは離散的なので、解析的な微分ではなく有限差分で計算します。
- 配当なし、金利一定とします。 連続金利
は定数です。 - 導出の詳細は引用し、性質と限界を示します。 フォッカー・プランク方程式からの完全な導出は Dupire (1994) に譲り、ここでは結果の式と、なぜそれが成り立つかの筋道を述べます。
3. 主張 ― サーフェスから一意に決まる
3つの定理を述べます。1つ目でスマイルから局所ボラティリティを取り出す式を与え、2つ目で市場の完備性を保証し、3つ目で限界を指摘します。
定理 THM-LV-1(デュピールの式) コール価格
が と について十分滑らかで、 であるとき、(1.1) の局所ボラティリティは で一意に定まる。
定理 THM-LV-2(完備性の保持) 局所ボラティリティモデル (1.1) において、リスクの源泉はブラウン運動
の1つだけである。したがって原資産と安全資産の2つで任意のペイオフを複製でき、市場は完備である。
定理 THM-LV-3(将来のスマイルの予測) 局所ボラティリティモデルは今日の全てのコール価格を完全に再現するが、将来の時点のボラティリティの水準と形は事前に固定された局所ボラティリティ関数で決まり、今日のスマイルとは異なるものとして予測される。これは現実のスマイルの動き(今日の姿が持続する傾向)と異なる。
THM-LV-1 の (2.1) は、左辺で
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 価格の微分から関数を取り出す
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第26回「偏微分方程式入門」、数学編 第27回「境界条件と終端条件」へ。
THM-LV-1 の証明(要点)
ローカルボラティリティモデルの下でコール価格を
ここでフォッカー・プランク方程式を使います。(1.1) に対応する密度
を満たします。これは確率密度の時間発展を記述する偏微分方程式です。ドリフト項
(4.2) を (4.1) に代入し、部分積分を繰り返します。
が導かれます。部分積分の詳細は Dupire (1994) または Gatheral (2006) の第1章を参照してください。要点は次の通りです。
で1回微分すると から確率密度の累積分布が現れます。 で2回微分すると となり、密度関数そのものが取り出せます。これはブリーデン・リッツェンバーガーの結果です。 - この密度を使って (4.2) の拡散係数
を解くと (2.1) が得られます。
THM-LV-2 の証明
(1.1) のリスクの源泉はブラウン運動
正確に述べます。任意の満期
この
THM-LV-3 の理由(定性的な説明)
ローカルボラティリティモデルでは
今日のスマイルがカップ型(ATMが底)であるとき、(2.1) から求まる
現実の市場では、スマイルの形は株価が動けばおおむね株価についていき、時間が経っても持続する傾向があります(スティッキーデルタ的な動き)。ローカルボラティリティモデルはこの動きを再現できません。今日の価格にぴったり合わせた代償として、将来の動きの予測が犠牲になっているのです。
数値例の節で、このずれを具体的な数値で確認します。 ∎
5. 反例 ― 将来のスマイルは当たらない
CEX-LV-1: 将来のスマイルが株価についていかない
ローカルボラティリティモデルが今日のスマイルを再現した後、1年半後の時点のスマイルをどう予測するかを見ます。
1年半後(
| 行使価格 |
LV予測 | LVのATMとの差 | 形がついていく場合のATMとの差 | 差 |
|---|---|---|---|---|
| 88 | ||||
| 99 | ||||
| 110 | ||||
| 121 | ||||
| 132 |
形がついていくなら
全体の水準も、今日の残り半年の ATM の値
これは「今日合っていれば将来も合う」という期待が間違いであることを示しています。スマイルの再現能力と将来の予測能力は別物です。
CEX-LV-2: 補間の仕方で局所ボラティリティが変わる
実際の市場では、全ての行使価格にコール価格があるわけではありません。観測できるのは飛び飛びの行使価格だけです。観測されていない行使価格のインプライドボラティリティは補間で埋める必要があります。
| 行使価格 |
線形補間 | 2次補間 | 差 |
|---|---|---|---|
| 92 | |||
| 95 | |||
| 100 | |||
| 105 | |||
| 108 |
CEX-LV-3: 価格の小さな誤差が2階微分で増幅される
コール価格に
| 行使価格 |
誤差なし | 0.1%誤差 | 変化率 |
|---|---|---|---|
| 90 | |||
| 100 | |||
| 110 |
わずか
6. 数値例 ― 局所ボラティリティを数値で出す
| インプライドVol | 局所Vol | |
|---|---|---|
| 80 | ||
| 90 | ||
| 100 | ||
| 110 | ||
| 120 |
| インプライドVol | 局所Vol | |
|---|---|---|
| 80 | ||
| 90 | ||
| 100 | ||
| 110 | ||
| 120 |
局所ボラティリティはインプライドボラティリティよりも全体に低い値を取っています。これは局所ボラティリティが「その瞬間のボラティリティ」であるのに対し、インプライドボラティリティは「満期までの平均的なボラティリティ」であるためです。
デュピールのPDEの検証。 コール価格に対し、(2.1) の分子
局所ボラティリティモデルでの再計算。 そこで、求めた局所ボラティリティ関数
| 市場価格 | LVモデルでの再計算 | 誤差 | |
|---|---|---|---|
| 90 | |||
| 100 | |||
| 110 |
誤差は差分の刻みによる
7. 次回へ ― 別の方向から説明する
今回の結論は「ローカルボラティリティモデルは今日のスマイルを完全に再現するが、将来のスマイルの予測は当たらない」でした。モデルが完備であることは利点ですが、将来の動き方を問う商品(バリアオプション、クリケットなど)ではヘッジの精度に影響します。
次回(第88回)では、ボラティリティ自体を確率過程にするという別の方向からスマイルを説明します。完全な再現を諦める代わりに、スマイルの動きの性質を捉えるアプローチです。
次のマイルストーンまであと 1 本です。
よくある質問
完全に合うなら良いモデルではないのですか
今日の価格には合いますが、明日以降の動き方が現実と違います。ヘッジの性能に影響します。
なぜ数値微分が不安定なのですか
2回微分するからです。データの小さな誤差が大きく増幅されます。
実務で使われていますか
使われています。ただし将来の動きを問う商品では、ボラティリティ自体も確率的に動くモデル(第88回)が好まれます。
参考文献
- Dupire B.、Pricing with a Smile、Risk、1994年
- Gatheral J.、The Volatility Surface、Wiley、2006年
数値例は compute.py により計算済み(BS公式に指数・対数を使うため float)。乱数は使用していない。

