第95回 構造モデルと誘導形モデル、そして CDS

位置: 第9部 第95回 / 前提: 第70回(ブラック・ショールズ式)、第94回(デフォルトと信用スプレッド) / 数学編: なし / この回でできるようになること: 企業価値からデフォルトを考える構造モデルと CDS スプレッドの計算を、同じ数値例で比べることができる
0. 物語 ― 構造モデルでは短期のスプレッドが0になる
「この会社、財務はしっかりしてるのに、満期まで数週間しかない社債でも上乗せ金利が数十くらい付いてますよね」。ゼミの発表で学生がそう言いました。企業の資産が100、借金が80で、資産は連続的に動くとします。2週間あまりのうちに資産が80を下回るには、そのごく短い間に2割も落ちなければなりません。連続的に動くなら、そこまで急落する確率はほとんどゼロです。
先生が計算結果を見せました。満期5年のスプレッドは約159。3年で約190。1年で約201。ここまでは現実的な数字です。しかし満期を半年にすると約146、3か月で約65と、短くするほど小さくなっていきます。半年や3か月ではまだはっきり残っていますが、2週間半にまで縮めると、スプレッドはたった0.08になります。
「数字がほぼゼロになりますね。でも現実にはゼロじゃない。モデルが何か見落としているんですか」と学生が聞きました。先生はうなずきます。「連続的に動くという仮定が効いている。パスがなめらかにつながっている限り、いま100ある資産が一瞬で80を割ることはない。だから短い期間では、デフォルトする確率がほぼゼロに見えてしまう。実際の企業は、不正会計の発覚や取引先の突然の破綻のように、連続では説明できない急変に見舞われることがある。だから短期のスプレッドがゼロにならない」。
この限界を補うために、デフォルトの原因を追わず、「いつ起きるか」の確率だけを扱う別の枠組みがあります。この回では、企業価値からデフォルトを組み立てる方法と、確率的な時刻として扱う方法の2つを並べて計算し、それぞれの強みと弱みを数値で確かめます。
1. 動機 ― デフォルトを2つの見方で説明する
この回を読み終えると、企業価値からデフォルトを考える構造モデルと CDS スプレッドの計算を、同じ数値例で比べることができます。
企業がデフォルトするメカニズムを、どう数式に落とすか。大きく分けて2つの方法があります。
ひとつは**構造モデル(structural model)**です。企業の資産価値を直接モデル化し、負債を下回った瞬間をデフォルトと見なします。Merton(1974)が提案したこの方法では、株式のペイオフがコールオプションと同じ形になります。
もうひとつは**誘導形モデル(reduced-form model)**です。デフォルトの原因を追わず、「いつ起こるか」をハザードレートという確率的な量で記述します。市場で観測されるスプレッドに合わせやすいのが利点です。
この2つの見方を具体的に計算し、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の価格がどう決まるかまでを一気に見ます。
この記事で証明すること
- THM-MRT-1 企業価値が幾何ブラウン運動に従い、負債が満期一括返済のとき、株式はブラック・ショールズ式のコールと同じ形で評価できます。
- THM-MRT-2 マートンモデルでは、満期を0に近づけるとクレジットスプレッドが0に潰れます。現実に観測される短期スプレッドと合いません。
- THM-CDS-3 CDS のスプレッドは、プレミアム支払い側の現在価値とデフォルト時の支払い側の現在価値が等しくなる条件で決まります。
2. 設定と仮定 ― 企業価値か、確率的な時刻か
マートンモデルの仮定を全て書き出します。
- 企業価値
はリスク中立測度 のもとで幾何ブラウン運動に従います。
- 負債は額面
の割引債1本で、満期 に一括返済します。中間の利払いはありません。 - デフォルトは満期にのみ起こります。
ならデフォルトです。 - 金利
は一定です。 - 企業価値は観測できるものとします。
誘導形モデルでは、仮定の構造が異なります。
- デフォルト時刻
はハザードレート を持つ指数分布に従います。 - 生存確率は
です。 - デフォルトの原因は問いません。
は市場データから逆算します。
構造モデルは「なぜデフォルトするか」に答え、誘導形モデルは「いつデフォルトするか」に答えます。どちらが優れているかではなく、目的が違います。
3. 主張 ― 株式はコール、CDS は等価条件で決まる
定理 THM-MRT-1(マートンモデル) 企業価値
が幾何ブラウン運動に従い、負債が額面 、満期 の割引債1本であるとき、株式の価値は である。ここで
であり、
は標準正規分布の分布関数である。
定理 THM-MRT-2(短期スプレッドの消失) マートンモデルにおいて
(ソルベント)のとき、クレジットスプレッド は
で となる。
定理 THM-CDS-3(CDS スプレッド) ハザードレート
、回収率 、金利 が一定のもとで、満期 、年1回払いの CDS スプレッド は である。
と が小さいとき に近づく。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― ブラック・ショールズ式を企業価値に当てる
この節は読まなくても記事は完結します。
THM-MRT-1 の証明
満期
です。これは原資産
リスク中立測度
- 原資産が幾何ブラウン運動に従うこと
- 行使価格が確定値であること
- 金利が一定であること
の3つであり、いずれも満たされています。したがって
ここで
です。
で与えられます。 ∎
THM-MRT-2 の証明
負債の価値は、企業価値から株式価値を引いたものです。
この負債の利回り
です。したがって
です。ここで最後の極限は
です。
と書けます。
が残ります。
であり、
です。
直感的に言えば、企業がいまソルベントなのに、一瞬後にデフォルトする確率は幾何ブラウン運動のもとではほぼゼロです。連続パスでは「ジャンプ」がないので、短期間に大きく値が落ちる確率が極端に小さくなります。 ∎
THM-CDS-3 の証明
CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は次の契約です。
- プロテクションの買い手は、定期的にスプレッド
を想定元本に対して支払います。 - プロテクションの売り手は、参照企業がデフォルトしたとき、損失額
を支払います。
スプレッド
ハザードレート
プレミアム側の現在価値は、各支払い時点でまだデフォルトしていない確率(生存確率)を掛けて割り引いたものです。
生存確率
プロテクション側の現在価値は、各期間
CDS のスプレッド
両辺をプレミアム側の和で割ると
が得られます。これが (1.2) です。
近似公式の導出:
が得られます。ハザードレートと損失率の積という、直感的に明快な式です。 ∎
5. 反例 ― 構造モデルでは短期スプレッドが消える
CEX-MRT-1: 満期を縮めるとスプレッドが潰れる
THM-MRT-2 を数値で確認します。
| 満期 |
スプレッド(bps) |
|---|---|
| 5.0 | 159.33 |
| 3.0 | 189.97 |
| 1.0 | 200.54 |
| 0.5 | 145.70 |
| 0.25 | 64.58 |
| 0.05 | 0.08 |
これはマートンモデルの本質的な限界です。ジャンプ過程を加えるか、デフォルト境界を上方に動かすなどの拡張が必要になります。誘導形モデルがハザードレートを直接パラメータとして持つのは、この問題を回避する一つの方法です。
CEX-MRT-2: 企業価値の逆算が入力に敏感
マートンモデルでは企業価値
| 株式価値 | 逆算された |
|
|---|---|---|
| 41.4669 | 98.8475 | |
| 42.4669 | 100.0000 | 基準 |
| 43.4669 | 101.1467 |
株式価値の 1 の変化が企業価値の約 1.15 の変化に増幅されます。さらにボラティリティ
| 株式価値 | |
|---|---|
| 0.20 | 40.2842 |
| 0.25 | 42.4669 |
| 0.30 | 44.9590 |
CEX-CDS-3: CDS は保険ではない
CDS はデフォルト時に損失を補填する契約なので「保険」に見えます。しかし決定的な違いがあります。保険は損害を被った当事者しか請求できませんが、CDS は参照債券を保有していなくても購入できます。
想定元本 100、スプレッド 121.21 bps の CDS を考えます。年間プレミアムは 1.2121 です。参照企業がデフォルトすると回収率 40% のもとでプロテクション側から 60.0 を受け取ります。
参照債券を持たずにこの CDS を買った場合(ネイキッド CDS)、デフォルトが1年目に起きれば
の利益が出ます。債券を持っていないので実際の損害はゼロですが、プロテクション支払いを受け取れるのです。保険であれば、火事が起きていない家の保険金を受け取ることはできません。
この構造により CDS は信用リスクを移転する道具であると同時に、信用リスクに対する投機の道具にもなります。需給が価格に影響するため、CDS スプレッドは純粋なデフォルト確率だけでは決まりません。
6. 数値例 ― 株式価値と CDS スプレッドを出す
マートンモデルによる計算
株式価値は
です。リスク中立デフォルト確率は
です。約 28.5% の確率でデフォルトすることになります。負債の価値は
であり、5年のクレジットスプレッドは 159.33 bps です。
CDS スプレッドの計算
ハザードレート
プレミアム側の現在価値(
プロテクション側の現在価値は
CDS スプレッドは
近似公式
等価条件の検算:
7. 次回へ ― モンテカルロ法
構造モデルでは企業価値を幾何ブラウン運動で記述し、誘導形モデルではハザードレートで記述しました。どちらも「デフォルトの確率的な振る舞い」を扱っています。
次回(第96回)では第10部に入り、期待値を乱数で近似するモンテカルロ法を扱います。今回のマートンモデルのように解析解がある場合は公式で済みますが、パスに依存するペイオフや多数の資産を扱う場合には、乱数シミュレーションが不可欠になります。
よくある質問
株式がコールだとはどういう意味ですか
企業価値が負債を上回った分だけ株主のものになり、下回ればゼロになるからです。コールのペイオフと同じ形です。
構造モデルと誘導形はどちらが良いのですか
経済的な意味を知りたいなら構造モデル、市場価格に合わせるなら誘導形です。
CDS とは何ですか
ある企業がデフォルトしたときに損失を補填してもらう契約です。代わりに定期的にプレミアムを払います。
参考文献
- Merton R. C.、On the Pricing of Corporate Debt ― The Risk Structure of Interest Rates、The Journal of Finance、1974年、DOI 10.2307/2978814
- Duffie D. and Singleton K. J.、Credit Risk ― Pricing Measurement and Management、Princeton University Press、2003年
数値例は compute.py により計算済み。本文中の小数は4桁で丸めている。

