数学編 第24回 停止時刻とドゥーブの任意抽出定理 ― 必勝法が作れない理由

数学編 第24回 停止時刻とドゥーブの任意抽出定理 ― 必勝法が作れない理由

位置: 数学編 第24回 / 前提: M22 / 数学編: なし / この回でできるようになること: 停止時刻での期待値が保存されるかを、任意抽出定理の条件で判定できる

目次

0. 物語 ― 必ず止まるのに期待値が変わる

すごろくで遊んでいるところを想像してください。ただし、このすごろくには少し変わったルールがあります。コインを投げて、表なら1マス進み、裏なら1マス戻ります。スタート地点は0番のマスです。表と裏は同じ確率で出るので、このゲームは完全に公平です。長く続ければ続けるほど、平均的な位置は0番のマスのままです。

ここで「1番のマスに着いた瞬間にやめる」というルールを決めます。裏が続いてマイナスのマスに落ちても気にせず、とにかく1番のマスに届くまで投げ続けます。

このルールでやめられる確率はどれくらいでしょうか。10万回の試行では、1万回以内にやめられた割合は約99%でした。数学的にも、いつかは必ず1番のマスに届くことが証明されています。

ならば「この戦略で必ず1点を手にできる」と考えたくなります。しかし話はそう単純ではありません。途中の最大損失の平均は約3マスですが、最悪のケースでは224マスまで落ち込みました。いつか必ず戻れるとはいえ、底なしの持ち出しに耐える覚悟が必要です。

もっと大事なことがあります。「必ずやめられる」と「決まった回数以内にやめられる」は違います。100回以内にやめられる確率は92%、1000回以内でも97%で、どこまで延ばしても100%にはなりません。やめるまでの回数に上限がないのです。

公平なゲームを、未来を覗かない正当なルールでやめたのに、やめた瞬間の位置の平均が1になってしまいます。公平さが崩れたように見えます。この回では、どんな条件があれば公平さが保たれ、何が足りないと崩れるのかを、定理として正確に述べて証明します。

1. 動機 ― 止め方を工夫すれば勝てるのか

この回を読み終えると、停止時刻での期待値が保存されるかを、任意抽出定理の条件で判定できます。

カジノで「2倍賭け」をすれば必ず勝てる、という話を聞いたことがあるかもしれません。負けたら賭け金を倍にし、初めて勝った時点で止める。最初の1単位分だけ必ずプラスになる――理屈上は。

しかし現実には、この戦略を実行すると途中で天文学的な額を賭けることになり、資金が先に尽きます。問題は「いつか勝つ」ことではなく、「いつ止めるか」の決め方にあります。

M22 でマルチンゲールの定義を見ました。マルチンゲールは「公平なゲーム」を表す数学的概念で、条件付き期待値が現在の値に等しいものです。公平なゲームなのだから、止め方を工夫しても期待利得は変わらないはずです。これを正確に述べたのがドゥーブの任意抽出定理です。

ただし「止め方を工夫しても」と言うためには、「止め方」に制限が必要です。未来の情報を見て止めてよいなら話は変わります。この制限を定式化するのが停止時刻です。

今回は、停止時刻を定義し、任意抽出定理を証明し、仮定を外すと何が壊れるかを数値で確かめます。

この記事で証明すること

  • THM-M24-1 各時点で止めるかどうかをその時点までの情報だけで決められる確率変数を停止時刻と呼びます。この定義を正確に述べます。
  • THM-M24-2 マルチンゲールを有界な停止時刻で止めた値の期待値は、初期値に等しいことを示します。
  • THM-M24-3 停止時刻が有界でなくても、止めた過程が一様可積分であれば同じ結論が成り立つことを確認します。

2. 設定と仮定 ― 未来を見ない止め方

離散時間のフィルトレーション を持つ確率空間 を考えます。

定義 THM-M24-1(停止時刻) 確率変数 が停止時刻であるとは、すべての に対して

が成り立つことである。

この条件は「時刻 の時点で、止めるかどうかが決まる」ことを意味します。 という事象が に属するので、時刻 までに得られた情報だけで、 かどうかを判定できます。

証明(定義が要請する性質の確認)。 停止時刻の定義が「未来を見ない」ことと対応することを示します。

の意味を考えます。 は時刻 までの情報を表すσ加法族です。事象 が に属するとは、時刻 までの観測結果だけで が起きたかどうかを判定できるということです。

したがって は、「時刻 に止める」という判断が、時刻 までの情報で下せることを要請しています。時刻 以降の結果を知る必要がありません。

同値な条件として、すべての に対して があります。これは であり、各 ( なのでフィルトレーションの増大性)だからです。逆に で戻れます。 ∎

この節のまとめ:停止時刻とは、止めるタイミングを「その時点までの情報だけ」で決める規則です。未来の情報を覗き見る止め方は停止時刻になりません。

3. 主張 ― 有界なら期待値は変わらない

マルチンゲール を停止時刻 で止めた値 の期待値がどうなるかを述べます。

定理 THM-M24-2(ドゥーブの任意抽出定理、有界版) をフィルトレーション に関するマルチンゲールとし、 を (ある定数 )を満たす停止時刻とする。このとき

が成り立つ。

定理 THM-M24-3(任意抽出定理、一様可積分版) がマルチンゲールで、 が を満たす(有界でない)停止時刻であるとする。止めた過程 が一様可積分ならば

が成り立つ。ここで である。

この節のまとめ:マルチンゲールを「未来を見ない」かつ「有界な」止め方で止めても、期待値は初期値から動きません。有界でない場合は一様可積分性という追加条件が必要です。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 止めた過程もマルチンゲールであることを示す

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第22回「マルチンゲールと収束定理」へ。

THM-M24-2 の証明

証明は2段階です。まず止めた過程 がマルチンゲールであることを示し、次に期待値の結論を導きます。

第1段階: はマルチンゲールです。

を書き直します。止めた過程は、元の過程の増分を止まった後ゼロにしたものです。

この表現を確認します。 のとき、時刻 ではまだ止まっていないので増分 を加えます。 のとき、既に止まっているので増分はゼロです。したがって、和が時刻 で打ち切られ、 に一致します。

条件付き期待値を計算します。示すべきは

です。(2) より

です。 ですが、(停止時刻の定義の同値条件)なので、 は -可測です。

条件付き期待値の性質を使います。-可測な確率変数 と任意の確率変数 に対して が成り立ちます(取り出しの性質)。、 とすると

です。 がマルチンゲールなので です。したがって

となり、 はマルチンゲールです。

第2段階: を導く。

なので、 のとき です。マルチンゲール性より、任意の に対して

が成り立ちます。これはマルチンゲールの定義から帰納法で得られます。 で なので成立します。 から への帰納ステップでは、 です。

とすると なので

が得られます。 ∎

THM-M24-3 の証明(要点)

有界でない停止時刻に対しても、第1段階の議論はそのまま成り立ちます。 はマルチンゲールです。

問題は第2段階です。 で が成り立ちますが、 と の交換には正当化が要ります。

一様可積分性が仮定されているとき、概収束と一様可積分性を合わせると 収束が従います(Vitali の収束定理)。すなわち

です。 が全ての で成り立っているので、 の極限で

が得られます。有界版では という条件が極限操作を不要にしていたのに対し、一般の場合は一様可積分性がその役割を果たします。 ∎

5. 反例 ― 止める時期が無限に遅れうる戦略

CEX-M24-1:1勝ったら止める戦略

THM-M24-2 の有界性の条件を破る例です。

対称ランダムウォーク (、各ステップ を確率 ずつ)はマルチンゲールです。停止時刻を (初めて に到達した時刻)と定めます。

対称ランダムウォークの再帰性から です。実際、シミュレーション(上限 10000 ステップ)では は 0.9918 でした。上限を大きくすれば 1 に近づきます( で 0.9212、 で 0.9737)。

止まった時点で なので です。任意抽出定理の結論が成り立っていません。

有界でない理由。 の分布は重い裾を持ちます。理論的に 、、、 と、停止時刻の値は奇数を取り、確率はゆっくりしか減りません。 です。

途中の損失。 シミュレーション(100000回)で、止まるまでの平均ステップ数は 78.9272、途中の最大損失の平均は 3.4445 でしたが、最悪ケースでは 224.0 まで落ちました。「いつか勝てる」としても、そこに至るまでの資金が必要です。

CEX-M24-2:最大値で止める規則は停止時刻でない

(10ステップの最大値に到達した時刻で止める)という規則を考えます。

具体的なパスで確認します。シミュレーションで得られたパスは

で、最大値は 0( の値)、最大値到達時刻は 0 でした。

しかし時刻 0 の時点で「この後のパスが全て負になる」ことは知りません。時刻 0 が最大値を与えるかどうかは、時刻 1 以降の値を見なければ判定できません。これが であることの意味です。

一般に、最大値を取る時刻は全体のパスを見終わるまで確定しません。したがってこの規則は停止時刻の定義を満たしません。

CEX-M24-3:確率1で有限時間に止まるが期待値が保存されない

「停止時刻が有限()であれば期待値は保存される」という理解は誤りです。

CEX-M24-1 の がまさにこの例です。 ですが、 です。

任意抽出定理の条件は「 が有限」ではなく「 が有界」(ある定数 で )です。有界ならば有限ですが、逆は成り立ちません。 は確率 1 で有限ですが、どんな を取っても なので有界ではありません。

時間の上限を付けて とすると有界になり、 が回復します。シミュレーションで確認すると、 で 0.0027、 で 0.0028、 で -0.0026 と、いずれも 0 付近です。

この節のまとめ:有界性を外すと「勝つまで続ける」戦略で期待値が変わります。しかしその代償として、途中で必要な資金が無限大になりえます。また、最大値で止めるなどの未来を使う規則はそもそも停止時刻になりません。

6. 数値例 ― 壁に当たる確率を計算する

任意抽出定理の応用として、対称ランダムウォーク ()を上壁 と下壁 で止める問題を解きます。

と定めます。これは停止時刻です( の値が壁に到達したかどうかは時刻 の情報で判定できます)。さらに は確率 1 で有限で、 なので止めた過程は有界であり、したがって一様可積分です。 自体は有界ではないので有界版の (1) は使えませんが、一様可積分版の THM-M24-3 が適用できます。

THM-M24-3 より

です。 は か のどちらかの値を取るので、 とおくと

です。これを解くと

検算します。 で、初期値 に一致します。

シミュレーションとの比較。 200000 回のシミュレーションでは、上壁到達確率が 0.3752、下壁到達確率が 0.6248 となり、理論値とよく一致しました。停止時刻の期待値(平均ステップ数)は 14.9893 でした。

時間の上限を付けた場合。 CEX-M24-1 の戦略に上限 を付けて とすると、停止時刻は有界になり、 が成り立ちます。 では 0.0027、 では -0.0026 となり、0 付近に収まっています。これは有界な停止時刻に対する任意抽出定理の帰結です。

この節のまとめ:壁のある対称ランダムウォークの到達確率は、任意抽出定理から代数的に求まります。シミュレーション結果も理論値と一致しました。

7. 次回へ ― 常微分方程式

今回の任意抽出定理は、本編第27回や第52回で使います。第52回では、ある種の金融商品の価格付けに停止時刻が本質的な役割を果たすことを見ます(予告のみ)。

次回 M25 では、E群として常微分方程式の基礎を扱います。微分方程式は金融数学のもう一つの柱であり、Black-Scholes 方程式の理解に不可欠です。

この節のまとめ:停止時刻と任意抽出定理は、金融数学において「いつ行動するか」を数学的に扱うための道具です。

よくある質問

必勝法は本当に無いのですか

有限の時間と有限の資金の範囲では無いことが、この定理で保証されます。

停止時刻とは何ですか

その時点までの情報だけで、止めるかどうかを決められる規則です。

条件を外すとどうなりますか

期待値が変わる例が作れます。ただし、途中で必要な資金が無限大になるなどの代償があります。

参考文献

  1. Williams D.、Probability with Martingales、Cambridge University Press、1991年
  2. Durrett R.、Probability ― Theory and Examples、第5版、Cambridge University Press、2019年

数値例は compute.py により乱数シード固定のシミュレーションで検算済み。

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