位置: 数学編 第5回(M5) / 前提: M1 / 数学編: M1 / この回でできるようになること: ガウス積分を自分の手で計算し、正規分布の平均と分散を導くことができる
目次
0. 物語 ― 平方完成で定数項を落とす誤り
金融工学の演習で、ある学生が株価の将来の平均値を求める計算を大きく間違えました。
正規分布に従う変動のある資産では、将来の価格の平均を出すために指数関数を含む積分が必要です。この積分を処理するには「平方完成」と呼ばれる式変形を使います。二次式の肩を持つ指数関数を、きれいな形に書き直す技法です。
平方完成をすると、指数の肩に「変数を含まない定数の項」が現れます。学生はこの定数を「変数に関係ないから積分の外に出せばいいだけだ」と正しく理解していました。ところが、外に出す代わりにうっかり丸ごと捨ててしまったのです。
計算の結果、指数関数の平均値は1と出ました。しかし正しい値は約1.65です。相対誤差は約39パーセントにもなります。たった一つの定数を落としただけで、答えが4割近くずれてしまいました。
この間違いが怖いのは、先に進むほど影響が広がることです。対数正規モデルで株価の期待値を求める際にこの定数が抜けると、株価の理論的な成長率が合わなくなります。そこからオプション価格の公式を組み立てれば、価格そのものが狂います。一つの定数項の見落としが、金融モデル全体を壊しかねないのです。
今回は、この積分をそもそもどうやって正確に求めるのかを、最初から計算します。原始関数が初等関数では書けないにもかかわらず、積分を2乗して2次元に持ち上げ、極座標に変換すれば正確な値が出ます。その値こそが、正規分布の密度関数に現れるルート2パイの正体です。平方完成を正しく扱い、定数を見落とさなければ、正規分布にまつわるあらゆる積分を自分の手で計算できるようになります。
1. 動機 ― 正規分布の係数 √(2π) はどこから来たのか
この回を読み終えると、ガウス積分を自分の手で計算し、正規分布の平均と分散を導くことができます。
正規分布の密度関数には 2π1 という係数が付いています。この 2π はどこから来たのでしょうか。「全体を積分すると1になるように調整した結果」と説明されることが多いですが、それでは「なぜ 2π なのか」に答えていません。
今回は、e−x2/2 を実数全体で積分すると 2π になることを、自分の手で最初から計算します。この積分は原始関数が初等関数で書けないにもかかわらず、定積分の値が正確に求まるという、解析学の美しい結果です。
さらに、平方完成を使ってこの積分を一般化し、正規分布の積率(モーメント)を具体的に計算します。これらは金融数学でオプション価格を計算する際の土台になります。
この記事で証明すること
- THM-M5-1 e−x2/2 を実数全体で積分すると 2π に等しくなります。
- THM-M5-2 e−ax2+bx を実数全体で積分すると、平方完成により π/aeb2/(4a) に帰着します。
- THM-M5-3 部分積分を繰り返すと、標準正規分布の偶数次の積率は奇数の二重階乗に等しく、奇数次の積率は 0 です。
2. 設定と仮定 ― 原始関数が書けない積分
e−x2/2 の原始関数を求めようとしても、初等関数(多項式・指数・対数・三角関数とその合成)では書けないことが知られています。しかし、広義積分
の値は正確に求まります。ここで広義積分は、有界区間の積分の極限として定義します。
∫−∞∞e−x2/2dx=L→∞lim∫−LLe−x2/2dx
この極限が有限の値に収束することは、e−x2/2 が ∣x∣→∞ で急速に 0 に近づくことから従います。具体的には ∣x∣≥1 のとき e−x2/2≤e−∣x∣/2 が成り立ち、右辺の積分は収束します。
仮定を整理しておきます。
- 広義積分は有界区間の積分の極限として定義します。
- 極座標への変換では面積要素 rdrdθ を使います。極座標変換の正当化に必要な一般論は M15 に送ります。
- 重積分の順序交換は、被積分関数が非負であることから正当化します。
原始関数が書けないにもかかわらず定積分の値が求まるのは、次節で述べる「2乗して極座標」という技法のおかげです。
3. 主張 ― 2乗して極座標にすれば解ける
3つの定理を正確に述べます。
定理 THM-M5-1(ガウス積分)
I=∫−∞∞e−x2/2dx とおくと、I=2π である。
定理 THM-M5-2(平方完成による一般化)
a>0 のとき、
∫−∞∞e−ax2+bxdx=aπeb2/(4a)である。
定理 THM-M5-3(正規分布の積率)
X∼N(0,1) のとき、n が奇数ならば E[Xn]=0 であり、n=2k(偶数)ならば
E[X2k]=(2k−1)!!=1⋅3⋅5⋯(2k−1)である。
THM-M5-1 が土台で、THM-M5-2 はその一般化、THM-M5-3 は THM-M5-1 から部分積分で導かれます。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 重積分に持ち上げて極座標に変換する
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第1回「極限と e」へ。
THM-M5-1 の証明
鍵となるアイデアは、I を直接求める代わりに I2 を計算することです。I>0 は明らかなので、I2 がわかれば I が出ます。
ステップ1:2乗して2重積分にする。
I の定義から、積分変数の名前を変えた
I2=(∫−∞∞e−x2/2dx)(∫−∞∞e−y2/2dy)
を作ります。被積分関数 e−x2/2 と e−y2/2 はともに非負なので、フビニの定理(非負関数版)により積分の順序交換が正当化され、2重積分にまとめられます。
I2=∫−∞∞∫−∞∞e−(x2+y2)/2dxdy(1)
指数部分が e−x2/2⋅e−y2/2=e−(x2+y2)/2 とまとまるのがポイントです。x2+y2 は原点からの距離の2乗ですから、被積分関数は円対称です。
ステップ2:極座標に変換する。
x=rcosθ, y=rsinθ とおきます。このとき x2+y2=r2 であり、面積要素は dxdy=rdrdθ に変わります。積分範囲は r∈[0,∞), θ∈[0,2π) です。
I2=∫02π∫0∞e−r2/2rdrdθ(2)
ステップ3:θ の積分を実行する。
被積分関数は θ に依存しないので、θ の積分は単に 2π を掛けるだけです。
ステップ4:r の積分を置換積分で求める。
t=r2/2 と置換します。dt=rdr なので、被積分関数の rdr がちょうど dt に化けます。r:0→∞ に対応して t:0→∞ です。
∫0∞re−r2/2dr=∫0∞e−tdt=[−e−t]0∞=0−(−1)=1(4)
e−t の原始関数は −e−t ですから、初等的に計算できます。
ステップ5:結論を出す。
(3) と (4) を合わせると
I>0 なので
を得ます。 ∎
この証明のポイントは2つあります。第一に、1次元の積分を2乗して2次元に「持ち上げた」こと。第二に、x2+y2=r2 という円対称性を利用して極座標に変換し、re−r2/2 の形を作って置換積分に帰着させたことです。置換 t=r2/2 が効くのは、面積要素の r が e−r2/2 の微分に含まれる r と打ち消し合うからです。
THM-M5-2 の証明
a>0 とします。指数部分を平方完成します。
−ax2+bx=−a(x2−abx)=−a(x−2ab)2+4ab2(5)
右辺の第2項 b2/(4a) は x によらない定数なので、積分の外に出せます。
∫−∞∞e−ax2+bxdx=eb2/(4a)∫−∞∞e−a(x−b/(2a))2dx(6)
定数因子を忘れないことが重要です(CEX-M5-3 で間違いの例を示します)。
次に、u=x−b/(2a) と置換します。du=dx であり、x が −∞ から ∞ を動くとき u も −∞ から ∞ を動くので、積分範囲は変わりません。
∫−∞∞e−a(x−b/(2a))2dx=∫−∞∞e−au2du(7)
さらに v=2au と置換します。dv=2adu なので du=dv/2a です。
∫−∞∞e−au2du=2a1∫−∞∞e−v2/2dv=2a2π=aπ(8)
最後の等号で THM-M5-1 の結果 I=2π を使いました。(6), (7), (8) を合わせると
∫−∞∞e−ax2+bxdx=aπeb2/(4a)
を得ます。 ∎
THM-M5-3 の証明
φ(x)=2π1e−x2/2 を標準正規分布の密度関数とします。
奇数次の積率が 0 であること。
n が奇数のとき、xnφ(x) は x の奇関数です。なぜなら φ(−x)=φ(x)(偶関数)であり、(−x)n=−xn(n が奇数のとき奇関数)なので、積 xnφ(x) は奇関数になります。奇関数を (−∞,∞) で積分すると、(−∞,0) の部分と (0,∞) の部分が打ち消し合い、値は 0 です。したがって
E[Xn]=∫−∞∞xnφ(x)dx=0(n odd)
です。
偶数次の積率を部分積分で求めること。
n≥2 のとき、部分積分で漸化式を導きます。鍵となる観察は
です。これは φ(x)=2π1e−x2/2 を微分すれば直ちに確かめられます。(9) を変形すると xφ(x)=−φ′(x) です。
E[Xn] に部分積分を適用します。xn−1 と xφ(x)=−φ′(x) に分けます。
E[Xn]=∫−∞∞xn−1⋅xφ(x)dx=∫−∞∞xn−1⋅(−φ′(x))dx
部分積分を実行します。φ(x)→0(∣x∣→∞)なので境界項は消えます。
=[−xn−1φ(x)]−∞∞+∫−∞∞(n−1)xn−2φ(x)dx=0+(n−1)E[Xn−2]
境界項が 0 になるのは、xn−1 の多項式的な増大よりも e−x2/2 の減衰が速いためです。これで漸化式
を得ました。
偶数次 n=2k に (10) を繰り返し適用します。初期値は E[X0]=1(確率の全体が1)です。
E[X2]E[X4]E[X6]=1⋅E[X0]=1=3⋅E[X2]=3=5⋅E[X4]=15
一般に
E[X2k]=(2k−1)(2k−3)⋯3⋅1=(2k−1)!!
となります。ここで (2k−1)!! は二重階乗と呼ばれ、2k−1 から1まで2つおきに掛け合わせたものです。 ∎
5. 反例 ― 順序交換が許されない積分
CEX-M5-1: 原始関数がなくても定積分は求まる
e−x2 の原始関数は初等関数で書けません。しかし、THM-M5-1 の証明と同じ手法で
が示せます。THM-M5-2 で a=1, b=0 とおけば π/1⋅e0=π です。数値積分でも 1.7724538509 が得られ、π=1.7724538509 と一致します。
「原始関数が書けない = 積分できない」ではありません。原始関数を経由しない道筋(2乗→極座標)があるからです。
CEX-M5-2: 積分の順序交換で値が変わる例
THM-M5-1 の証明では、被積分関数が非負だからフビニの定理で順序交換が許されました。被積分関数が符号を変える場合、順序交換は一般には許されません。
を [0,1]×[0,1] 上で積分します。先に y を積分してから x を積分すると
∫01(∫01(x2+y2)2x2−y2dy)dx=4π≈0.785398
ですが、先に x を積分してから y を積分すると
∫01(∫01(x2+y2)2x2−y2dx)dy=−4π≈−0.785398
となり、値が異なります。f(x,y)=−f(y,x) という反対称性がこの結果を生んでいます。∣f∣ の2重積分が発散するため、フビニの定理の仮定(絶対可積分性)が満たされず、順序交換が正当化できません。
THM-M5-1 の証明で順序交換が安全だったのは、e−(x2+y2)/2≥0 が全域で成り立つからです。
CEX-M5-3: 平方完成の定数項を落とす誤り
THM-M5-2 を使うとき、平方完成で出てくる eb2/(4a) の因子を落とす間違いがよく起きます。
X∼N(0,1) のとき E[eX] を計算してみます。
E[eX]=2π1∫−∞∞e−x2/2+xdx
これは THM-M5-2 で a=1/2, b=1 とした場合です。正しくは
E[eX]=2π1⋅1/2π⋅e12/(4⋅1/2)=2π2π⋅e1/2=e1/2≈1.648721
です。もし eb2/(4a)=e1/2 の因子を落としてしまうと、E[eX]=1 という誤った値になります。正しい値 1.648721 との相対誤差は約 39.35% です。
この E[eX]=e1/2 という結果は、対数正規分布の期待値を計算する際に不可欠です。因子を落とすと、対数正規モデルにもとづく資産価格の期待値が合わなくなります。
6. 数値例 ― 数値積分で √(2π) を確かめる
e−x2/2 を数値積分で計算し、理論値と照合します。
全実数での積分。 数値積分の結果は 2.506628 であり、2π=2.506628 と 10−10 の精度で一致します。
有限区間 [−L,L] での収束。 L を大きくしたときの積分値の近づき方を見ます。
| L |
∫−LLe−x2/2dx |
2π との差 |
| 1 |
1.7112 |
7.95×10−1 |
| 2 |
2.3926 |
1.14×10−1 |
| 3 |
2.4999 |
6.77×10−3 |
| 4 |
2.5065 |
1.59×10−4 |
| 5 |
2.5066 |
1.44×10−6 |
| 6 |
2.5066 |
4.95×10−9 |
L=4 の時点で 2π との差は 10−3 以下、L=6 では 10−8 以下です。e−x2/2 が急速に減衰するため、∣x∣>5 の領域はほぼ寄与しません。
平方完成の検証(a=1/2, b=1)。 THM-M5-2 の公式から
1/2π⋅e1/(4⋅1/2)=2π⋅e1/2≈2.506628×1.648721=4.132731
数値積分の結果も 4.132731 であり、一致します。
積率の検証。
| n |
E[Xn](数値積分) |
理論値 |
| 1 |
0 |
0 |
| 2 |
1 |
1=1!! |
| 3 |
0 |
0 |
| 4 |
3 |
3=3!! |
| 5 |
0 |
0 |
| 6 |
15 |
15=5!! |
偶数次は二重階乗、奇数次は 0。漸化式 (10) から導いた結果と完全に一致します。
7. 次回へ ― 微分と積分の交換
今回は e−x2/2 の積分値を「2乗して極座標」という技法で求め、平方完成による一般化、部分積分による積率の計算まで進みました。
次回 M6 では、パラメータを含む積分の微分と積分の交換を扱います。グリークス(デルタやベガなど)を積分の中で計算するとき、微分記号を積分の中に入れる操作が正当化される条件を確認します。
よくある質問
なぜ2乗すると計算できるのですか
2乗すると2次元の積分になり、極座標で円対称な形として計算できるようになるからです。1次元のままでは原始関数が書けませんが、2次元に持ち上げると極座標の置換積分に帰着し、初等的に計算が閉じます。
原始関数が無いのに値が出るのですか
出ます。特定の範囲の積分だけは、別の道筋で正確に求められます。今回のように2乗して極座標に変換する方法がその一つです。原始関数を経由しない計算法があることが鍵です。
この計算はどこで使いますか
正規分布を使うあらゆる計算の土台です。ブラック・ショールズ式の導出でも使います。密度関数の正規化定数の由来を知っておくと、積率の計算や期待値の式変形で迷いがなくなります。
参考文献
- 高木貞治、解析概論、改訂第3版、岩波書店、1983年
- Spivak M.、Calculus、第4版、Publish or Perish、2008年
数値例は compute.py により scipy.integrate.quad で検算済み。本文中の小数は6桁で丸めている。