第99回 キャリブレーション ― モデルを市場に合わせるという作業

第99回 キャリブレーション ― モデルを市場に合わせるという作業

位置: 第10部 第99回 / 前提: 第85回、第88回、第90回 / 数学編: M29、M30 / この回でできるようになること: モデルのパラメータを市場価格に合わせ、その答えが一つに決まらない場面を見分けることができる

目次

0. 物語 ― 最適化しても答えが一つに決まらない

朝のトレーディングデスクで、二人のクオンツが同じ仕事を始めます。きょうの市場データを使って、オプション価格モデルのパラメータを調整する作業です。二人は同じモデル、同じ市場データ、同じソフトウェアを使っています。違うのは、最適化の出発点として入力する数値だけです。

一人目が作業を終え、「できた」と声を上げます。最適化はきちんと収束の判定を満たして止まり、モデル価格と市場価格のずれは平均0.018ほど。市場価格に含まれる観測の誤差と同じくらいまで小さくなっています。もう一人も「できた」と言います。こちらもずれは平均0.018ほどで、見分けがつきません。しかし二人の画面を並べると、モデルの中身がまるで違います。たとえば「いまの分散がどのくらいか」を表す数値は、一方が約0.011、もう一方が約0.0002と、50倍以上の開きがあります。

市場のオプション価格はどちらのモデルでもほぼ再現できているのに、モデルの中身は別物です。もし二人がそれぞれの結果でヘッジを組んだら、持つポジションの大きさが食い違います。さらに翌日、市場価格がわずかに動いただけで、調整し直した結果が前日から大きく跳ねることもあります。価格のずれはたった0.5%程度なのに、あるパラメータは73%も動きました。

「最適化すれば答えは一つに決まる」という期待は、この作業では成り立ちません。出発点が違えば別の谷にたどり着き、どちらの谷も市場価格をほぼ同じように説明してしまいます。この回では、なぜそうなるのかを数学の言葉で定式化し、答えが一つに決まらない条件と、それを和らげる正則化の仕組みを明らかにします。

1. 動機 ― パラメータはどこから来るのか

この回を読み終えると、モデルのパラメータを市場価格に合わせ、その答えが一つに決まらない場面を見分けることができます。

ヘストンモデルには5つのパラメータがあります。初期分散 、平均回帰速度 、長期分散 、ボラティリティのボラティリティ 、そして相関 です。ブラック・ショールズ公式と違い、これらの値は市場から直接読み取ることができません。モデルを使って価格を出すためには、パラメータの値を「どこかから」持ってくる必要があります。

キャリブレーションとは、モデルのパラメータを、市場で観測されたオプション価格を再現するように調整する作業です。模型を市場に合わせる、という言い方が実態に近いです。

「合わせる」とは曖昧な言い方ですが、実はこれを正確に言うと最小二乗問題になります。今回はその定式化を行い、そこから生じる3つの問題――解の非一意性、パラメータの不安定性、重みへの依存性――を数値で確認します。

この節のまとめ: キャリブレーションはモデルのパラメータを市場価格に合わせる作業であり、最小二乗問題として定式化できます。

この記事で証明すること

  • THM-CAL-1 キャリブレーションは、モデル価格と市場価格の差の重み付き二乗和をパラメータについて最小化する問題として書けます。
  • THM-CAL-2 異なるパラメータが同じ価格を与える場合、最小化の解は一意に定まりません。
  • THM-CAL-3 目的関数にパラメータの変化を抑える項を加えると解が安定しますが、市場への当てはまりは悪くなります。

2. 設定と仮定 ― 市場価格とモデル価格の差

題材としてヘストンモデルを使います。次の設定を仮定します。

  • 原資産: 現在価格 、無リスク金利 、満期 。
  • 市場データ: 行使価格 に対するヨーロピアンコールの市場価格 が与えられている。
  • モデル: ヘストンモデルのパラメータを と書く。各行使価格 に対するモデル価格を と書く。
  • 最適化: 局所的な最適化手法を用い、初期値を明示する。

ヘストンモデルのコール価格は特性関数のフーリエ逆変換で計算できます。ここでは価格を と抽象的に書き、中身は数値計算に任せます。

キャリブレーションの目標は、全ての行使価格でモデル価格が市場価格に「近い」パラメータ を見つけることです。「近い」を測るために、差の二乗和を使います。

この節のまとめ: 市場データとして各行使価格のコール価格が与えられ、モデルが同じ行使価格で価格を計算します。両者の差がキャリブレーションの対象です。

3. 主張 ― 最小二乗問題として書ける

定理 THM-CAL-1(最小二乗問題としての定式化) 個の行使価格 に対する市場価格 が与えられているとする。正の重み を固定する。このとき、キャリブレーションは次の最小化問題として書ける。

ここで はパラメータの許容集合(, , , , )である。

定理 THM-CAL-2(識別可能性) 異なるパラメータ (ともに の元)に対して が全ての で成り立つならば、 である。特に が (3.1) の最小解であれば も最小解であり、最小化の解は一意に定まらない。

定理 THM-CAL-3(正則化) 参照パラメータ と正則化パラメータ を用いて、正則化された目的関数

を考える。 のとき、最小解は に引き寄せられ、日ごとのパラメータ変動が抑えられる。一方、 が大きくなるほど市場価格への当てはまり(残差 )は悪化する。

この節のまとめ: キャリブレーションは重み付き最小二乗問題 (3.1) として定式化され、識別不能なパラメータがあると解は一意になりません。正則化 (3.2) は安定性と当てはまりのトレードオフを制御します。

証明を読む(読まなくても記事は完結します)

4. 証明 ― 目的関数を定義して最小化する

この節は読まなくても記事は完結します。

この証明を追いたい人は、数学編 第29回「凸性と最適化」、数学編 第30回「ニュートン法と数値求解」へ。

THM-CAL-1 の証明

目的関数 を構成します。各行使価格 について、市場価格 は定数であり、モデル価格 は の関数です。差 を残差と呼びます。

残差がゼロに近いほど「モデルが市場を再現している」と言えます。しかし 個の残差を同時にゼロにするパラメータが存在するとは限りません。パラメータは5つ(ヘストンの場合)ですが、行使価格は9つあります。自由度5で9本の方程式を同時に満たすのは一般に不可能です。

そこで、残差をまとめてスカラー値にする必要があります。各残差を二乗し、重みを付けて足します。

なので です。等号は全ての残差がゼロのときに限ります。「市場を完全に再現する」は に対応し、「できるだけ近づける」は を最小化することに対応します。

二乗を使う理由は2つあります。第一に、残差の符号を消すことで正負の打ち消し合いを防ぎます。第二に、 が について微分可能になるため、勾配法が使えます。勾配は

と書けます。 がパラメータについて微分可能であれば(ヘストンモデルでは特性関数の表示からこれが保証されます)、 も微分可能です。したがってキャリブレーションは、 上での の最小化問題として書けます。 ∎

THM-CAL-2 の証明

が全ての で を満たすと仮定します。このとき、 の定義に戻ると

が成り立ちます。モデル価格が等しいので残差が等しく、残差が等しいので目的関数の値が等しくなるという論理です。

が の最小解であれば、 も同じ目的関数値を与えるので、やはり最小解です。最小解が少なくとも2つ存在するので、解は一意ではありません。

なぜこのようなことが起こるかを補足します。ヘストンモデルでは、短い満期のオプション価格は主に と で決まります。 と は長期の分散水準を支配しますが、満期が短いと両者の効果が似通い、個別に識別するのが難しくなります。 を大きくしても を小さくすれば短期のスマイルがほぼ同じ形になる場合があり、これが (3.1) の最小化に複数の解を生む原因になります。 ∎

THM-CAL-3 の証明(要点)

正則化された目的関数 を (3.2) で定義しました。 のとき ですから、元の問題に一致します。

のとき、 は に項 を加えたものです。この追加項は が から離れるほど大きくなります。したがって を最小化すると、残差を小さくする力と に留まる力のバランスで解が決まります。

を大きくすると に留まる力が強くなり、解は に近づきます。日ごとに市場データが変わっても、正則化項が変動を抑えるので、パラメータのジャンプが小さくなります。

しかし代償があります。 の最小解を と書くと、この解での残差は

です。なぜなら は残差だけを最小化した解であり、 は残差に追加のペナルティを加えた上での最小化だからです。制約が強くなれば、制約なしの最適値以上にはなります。

具体的には、 を 0 から 1000 まで上げていくと、パラメータの参照値からの距離は小さくなり(安定性が増す)、残差は大きくなります(当てはまりが悪くなる)。これが正則化のトレードオフです。 ∎

5. 反例 ― 答えが1つに決まらない

CEX-CAL-1: 初期値を変えると別のパラメータに収束する

「最適化すればただ1つの答えが出る」という期待は正しくありません。 は凸関数ではなく、谷底がほとんど平らに伸びていることがあります。初期値が違えば、別の場所で最適化が止まります。

現実の市場価格には、呼値への丸めや売買の偏りによる誤差が含まれます。そこで、人工スマイルデータ(真のパラメータ , , , , )の9本の価格に標準偏差 の正規ノイズを加えた価格を「市場価格」とし、2つの異なる初期値からキャリブレーションを行います。どちらも反復回数の上限ではなく、収束の判定を満たして止まっています。

初期値A:

収束先A: , , , , (RMSE = )

初期値B:

収束先B: , , , , (RMSE = )

パラメータ 真の値 収束先A 収束先B
RMSE

RMSE の差は にすぎず、どちらもノイズの大きさ より小さい誤差で価格を再現しています。それなのに は50倍以上違い、 も1割近く違います。

どちらの収束先も が小さく が大きいという、「現在の分散は低いが長期水準は高い」というパラメータの組になっています。 が大きいと平均回帰が速く、半年の満期のあいだに分散は の側へ引っ張られます。そのため をさらに下げても、 と を少し動かせば9本のオプション価格はほとんど変わりません。

これが THM-CAL-2 の具体例です。厳密に同じ価格を与えるわけではありませんが、目的関数の値がほぼ等しい谷底が長く伸びていて、初期値がどちらから谷に入ったかで止まる場所が変わります。

なお、ノイズのない人工データそのものに当てはめた場合は、初期値Aからも初期値Bからも、反復を十分に回せば真のパラメータに戻ります。答えが一つに決まらない問題は、価格に誤差があるときに表に出ます。

CEX-CAL-2: 市場データの微小な変動でパラメータが跳ねる

「誤差が小さいほど良いモデルである」という理解は、日ごとのキャリブレーションで問題を引き起こします。CEX-CAL-1 で使った、市場価格に標準偏差 のノイズを加えたデータを「翌日のデータ」とみなし、ノイズのないデータのときと同じ初期値Aで再キャリブレーションします。

パラメータ 元の値 ノイズ後 変化量

価格のノイズはわずか (市場価格に対して 程度)ですが、 は 動き、 は も変わりました。キャリブレーション後のRMSEは と小さいにもかかわらず、パラメータは前日と全く違います。

パラメータが日ごとに大きく跳ねると、ヘッジ比率(デルタやベガ)も跳ねます。ヘッジとは前日のポジションを今日のパラメータに合わせて調整する操作ですから、パラメータが跳ねるたびに大量のリバランスが必要になります。取引コストがかさみ、モデルの精度がヘッジの安定性を損なうという逆説が生じます。

CEX-CAL-3: 重みを変えるとパラメータが変わる

「価格で合わせてもボラティリティで合わせても同じ」という理解は成り立ちません。重みを変えることは目的関数を変えることなので、答えも変わります。

ただし、ノイズのない人工データでは、真のパラメータで全ての残差が になり、どんな正の重みでも が最小値です。重みで答えが変わるのは、価格に誤差があって全てを同時には合わせられないときです。そこで CEX-CAL-1 のノイズを加えた価格に対して、全ての行使価格に均一の重みを使った場合と、アウト・オブ・ザ・マネー()に10倍の重みを置いた場合を、同じ初期値Aから比較します。

パラメータ 均一重み OTM重み
OTM 側()の RMSE
それ以外()の RMSE

OTM 側の当てはまりは RMSE が から へと3分の1以下になる一方、それ以外の行使価格では から に悪化しました。パラメータも大きく異なり、 は約6倍になり、 は探索範囲の下限 まで下がっています。重みの取り方一つでモデルのパラメータが大幅に変わるということは、「キャリブレーションの答え」は目的関数の定義に依存するということです。

どの重みが「正しい」かは、モデルの使い方に依存します。ATMオプションのヘッジが目的なら均一重みが自然ですし、テイルリスクの捕捉が目的ならOTM側に重みを置くのが合理的です。

この節のまとめ: 初期値・市場データの微小な変動・重みの選び方によって、キャリブレーション結果は大きく変わります。「唯一の正解」が存在しないことを認識した上で、モデルを使う必要があります。

6. 数値例 ― ヘストンをスマイルに合わせる

人工的に生成したヘストンスマイルを使って、キャリブレーションの全体像を数値で示します。

市場データ

, , のもとで、真のパラメータ からヘストンモデルで計算した価格を「市場価格」とします。

80 85 90 95 100 105 110 115 120
21.12 16.61 12.43 8.76 5.82 3.79 2.54 1.65 0.91

キャリブレーション結果

初期値Aから最適化した結果、RMSEは です。モデル価格と市場価格の差は全ての行使価格で 以下であり、ほぼ完全に市場を再現しています。

ノイズを加えた価格に対しては、CEX-CAL-1 で見たように初期値Aと初期値Bで収束先が分かれます。2つの収束先のモデル価格を比較します。

ノイズ入りの
80 21.1321 21.1291 21.1295
90 12.4494 12.4387 12.4389
100 5.8135 5.8265 5.8266
110 2.5877 2.5764 2.5762
120 0.8950 0.9007 0.9000

2つの収束先どうしのモデル価格の差は最大でも です。価格だけを見ればどちらのパラメータも「正しい」ように見えますが、中身は全く違います。

正則化のトレードオフ

ノイズを加えたデータに対して、正則化パラメータ を変えて再キャリブレーションした結果です。参照パラメータ には収束先Aの値を使います。

RMSE パラメータ距離

(正則化なし)ではRMSEが最小ですが、パラメータは参照値から も離れました。 にするだけでパラメータ距離は に縮まり、RMSEの悪化は にとどまります。 ではパラメータはほぼ動きませんが、RMSEが まで上がります。

これが THM-CAL-3 の示すトレードオフです。当てはまりと安定性は両立しません。実務では を「どの程度の当てはまり悪化を許容するか」で決めます。

この節のまとめ: ヘストンモデルのキャリブレーションを9本のオプション価格に対して実行し、初期値依存性・データ感度・正則化のトレードオフを数値で確認しました。

7. 次回へ ― 100本の地図

全100回を通じて、金融数学の基礎を構成する道具――無裁定、複製、リスク中立測度、確率微分方程式、伊藤の公式、ブラック・ショールズ、ギリシャ文字――をひとつずつ積み上げてきました。今回のキャリブレーションは、その道具を実際のデータに接続する最後の段階です。

次回(第100回)では、100本の記事を俯瞰する地図を描き、ここからさらに進むための文献を案内します。

この節のまとめ: 次回は100本のシリーズ全体を振り返る最終回です。

よくある質問

キャリブレーションとは何ですか

モデルのパラメータを、市場で観測された価格を再現するように決める作業です。

なぜ答えが1つに決まらないのですか

パラメータの効果が似ていて、区別できない組み合わせがあるからです。

毎日やり直すべきですか

やり直すのが普通ですが、パラメータが跳ねるとヘッジが不安定になります。安定性との兼ね合いです。

参考文献

  • Gatheral J.、The Volatility Surface、Wiley、2006年
  • Cont R. and Tankov P.、Financial Modelling with Jump Processes、Chapman and Hall、2004年

数値例は compute.py によりヘストンモデルの特性関数を数値積分して計算。乱数のシードは 42 に固定。

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