数学編 第28回 変数変換で熱方程式に帰着する ― BS 方程式を最後まで解く

位置: 数学編 第E部 M28 / 前提: M26、M27 / 本編での使用: 第68回 / この回でできるようになること: ブラック・ショールズ方程式を変数変換で熱方程式に帰着させ、最後まで解くことができる
0. 物語 ― 係数を1つ誤ると解が崩れる
手元に株価100の株があり、行使価格100、満期1年のコールオプションの値段を求める仕事を引き受けたとします。ブラック・ショールズ方程式という偏微分方程式を解けば答えが出ますが、この方程式はそのままでは解けません。3段階の変数変換を順番に施して、物理学でおなじみの「熱方程式」に書き直す必要があります。熱方程式の解き方はすでに分かっていますから、書き直しさえできれば、あとは変数を元に戻すだけです。
変数変換の途中には、金利とボラティリティだけで決まる係数が出てきます。正しい値は計算で一通りに定まるのですが、試しに、あるべき値からほんの0.1だけずらした係数で価格を出してみましょう。株価がちょうど行使価格の100のところでは、誤差はゼロです。しかし株価が120になると、正しい価格より約0.48高く、率にして約1.8パーセントの過大評価になります。逆に株価が80では約0.04低く、約2.2パーセントの過小評価です。ずれの方向が行使価格を境に反転し、行使価格から離れるほど誤差が膨らみます。
なぜこうなるのでしょうか。係数のずれは、変数を戻すときに掛け算の因子として価格に効きます。行使価格から離れるほどこの因子が大きくなるため、小さな誤りが増幅されるのです。だからこそ、3段階の変数変換のそれぞれでなぜその係数が出てくるのかを理解し、正しく導ける力が必要です。この回では、変換のすべてを省略なしでたどり、最終的にオプション価格の公式を復元します。
1. 動機 ― BS方程式を手で解けるか
この回を読み終えると、ブラック・ショールズ方程式を変数変換で熱方程式に帰着させ、最後まで解くことができます。
ブラック・ショールズ方程式は偏微分方程式です。
見た目は複雑ですが、3段階の変数変換で熱方程式
今回は、この変換を1段ずつ省略なしで実行します。なぜその変換をするのか、各段階で何が消えるのかを追いながら、最後にブラック・ショールズ式を復元します。
この記事で証明すること
- THM-M28-1 対数変換、時間の再スケール、指数因子の置き換えを順に行うと、BS方程式は熱方程式になります。
- THM-M28-2 指数因子の2つの係数は、金利とボラティリティで一意に定まります。
- THM-M28-3 熱方程式の解を基本解との畳み込みで求めて変数を戻すと、BS式が得られます。
2. 設定と仮定 ― 3つの変数変換を用意する
仮定を整理します。
- 金利
とボラティリティ は定数です。 - 配当はなし、ヨーロピアンコールを扱います。
- 熱方程式の解の公式(M26)を使います。
- 変換の各段階で式を省略せずに書きます。
数値例では
3つの変数変換は次のとおりです。
| 段階 | 変換 | 目的 |
|---|---|---|
| 1 | ||
| 2 | 時間を再スケールし、 |
|
| 3 | 一次の微分項と定数項を消す |
この節のまとめです。3段階の変数変換で BS 方程式を熱方程式に帰着させます。各段階には明確な目的があります。
3. 主張 ― 熱方程式に帰着する
定理 THM-M28-1(3段階の変数変換) 原資産価格の対数
、残存時間の再スケール 、指数因子による未知関数の置き換え を順に行うと、BS 方程式は に帰着する。
定理 THM-M28-2(指数因子の決め方) 一次の微分項と定数項を消すように指数因子の係数を選ぶと
であり、
、 から一意に定まる。
定理 THM-M28-3(解の復元) 熱方程式の解を基本解との畳み込みで求めて変数を戻すと、ブラック・ショールズ式
が得られる。
証明を読む(読まなくても記事は完結します)
4. 証明 ― 変換を1段ずつ当てて係数を消す
この節は読まなくても記事は完結します。
この証明を追いたい人は、数学編 第26回「偏微分方程式入門」、数学編 第27回「境界条件と終端条件」へ。
第1段: 対数変換
二階微分は積の微分則を使います。
整理すると
何が起きたか:
数値で確認します。
第2段: 時間の再スケール
(4.3) の両辺を
ここで
何が起きたか:
数値:
第3段: 指数因子の置き換え
偏微分を計算します。
二階微分は
熱方程式にするには、
一次微分項を消す:
定数項を消す:
これで (4.5) は
になりました。熱方程式です。 ∎
THM-M28-2 の証明
(4.6) と (4.8) で
数値:
係数
THM-M28-3 の証明の骨格
熱方程式の解は、初期条件
初期条件は、
変数を元に戻します。
が得られます。ここで
ガウス積分の詳細な計算は標準的な手順で、
5. 反例 ― 順序を変えると帰着しない
CEX-M28-1: 指数因子を先にかける
第3段(指数因子)を第1段(対数変換)の前に行おうとします。
CEX-M28-2: ボラティリティが時間に依存する
になります。
ただし、
CEX-M28-3: 係数を間違えると価格がずれる
| 正しい価格 | ずれた価格 | 誤差 | 誤差率 | |
|---|---|---|---|---|
| 80 | 1.8594 | 1.8184 | ||
| 90 | 5.0912 | 5.0379 | ||
| 100 | 10.4506 | 10.4506 | ||
| 110 | 17.6630 | 17.8321 | ||
| 120 | 26.1690 | 26.6505 |
この節のまとめです。変換の順序を変えると定数係数にならず、ボラティリティが時間に依存すると再スケールの形が変わり、係数の誤りは行使価格から離れるほど価格に効きます。
6. 数値例 ― 復元した価格を突き合わせる
| 量 | 値 |
|---|---|
ブラック・ショールズの閉じた式で計算した価格と、変換を経由して得た価格を突き合わせます。
| BS価格 | ||
|---|---|---|
| 80 | 1.8594 | |
| 100 | 10.4506 | |
| 120 | 26.1690 |
BS の閉じた式はこの変換を経て熱方程式の解として得られるものですから、両者は定義により一致します。しかし「定義により一致する」ことと「計算が実際に合う」ことを確認するのは別です。上の表は後者の確認です。
この節のまとめです。変換の係数は
7. 次回へ ― 凸性と最適化
BS 方程式を変数変換で熱方程式に帰着し、解の公式から BS 式を復元しました。この方法は方程式を解く道であり、確率論を使わない純粋に解析的なアプローチです。
次回(M29)では、凸性と最適化の基礎に進みます。
よくある質問
なぜ熱方程式に直すのですか
熱方程式は解の公式が分かっているからです。直せば既知の答えが使えます。
変換は覚える必要がありますか
一度自分で最後まで追えば十分です。理由が分かれば再現できます。
期待値で求める方法とどう違うのですか
答えは同じです。こちらは方程式を解く道、期待値は確率の道です。
参考文献
- Wilmott P.、Howison S. and Dewynne J.、The Mathematics of Financial Derivatives、Cambridge University Press、1995年
- Black F. and Scholes M.、The Pricing of Options and Corporate Liabilities、Journal of Political Economy、1973年、DOI 10.1086/260062
数値例は compute.py により計算。BS式との一致を確認済み。

